35 / 51
4章 記憶の行き先
13
しおりを挟む
凪の台詞に耳を疑った。
今日でアルバイトは終了だと彼は言った。全く兆候のない話で、陽向は海鳥の座敷で茶碗を持ったまま、唖然とする。図書館を出てから店を手伝い、最後の客が帰ってから夕飯を摂っていた。隣では、陽向の表情にきょとんとする小夜が、絵本を読む手を止めて顔を上げている。
「すまない、急な話だというのは分かってる」
座敷の端に腰掛け、床に足を下ろす凪が言った。これまで、あと何日という具体的な話は出てこなかった。夏休みいっぱいいてほしいと嘗て彼が言ったから、陽向もギリギリまでここにいるつもりだったのだ。
「……それって、俺が、ケガレのことを調べたから」茶碗と箸を静かに置く。「神志名之久にまで辿り着いたから?」
それしか心当たりはなかった。その証拠に凪は黙ったままでいる。カウンターの内側で律が洗い物をする水音が救いだった。
「きっと俺が、このままだと悪影響をもたらすから」
「悪影響だというわけじゃない」
床から上げた片足を座敷に乗せ、半分あぐらをかいた姿勢で、凪は陽向を見つめた。
「ただ、陽向はケガレに近づきすぎている。あのお守りがない以上、次に襲われたらお終いだ」
「そんなのわかってる、でも……」ちらりと小夜に視線を向けた。彼は再び絵本に集中している。
小夜を襲ったばかりだから、当分ケガレは誰も襲わない。そんなこと、彼の前で言えるはずがない。口を噤んだが、凪は陽向の言いたいことを察し、軽く顎を引いて頷いてみせた。
「あくまで推測でしかない。ケガレは分からないことだらけだ。神志名という名を口にするきみを襲いに来る可能性がないわけじゃないだろう」
「そんなの」反論しようと口を開いたが、確固とした台詞は何一つ思い浮かばない。乗り出しかけた身をゆっくりと引いた。「……推測でしかない」
「陽向、これだけはわかってくれ」凪はじっと陽向を見つめる。「俺たちは、きみをみすみす犠牲にしたくないんだ」
だけど、でも。そんな幼稚な言葉が滑りそうな唇を噛み締める。凪は本気で自分を心配してくれている。
けれど、やっぱり、あんまりだ。自分の膝を両手できつく握りしめた。
「陽向が、俺たちのために頑張ってくれていることは、誰もが知っている。だからこそなんだ」
座敷に上がり、そばに腰を下ろした凪の手が背に触れる。
「俺たちはここにいる。また街で会うこともきっとできる。武藤さんに手紙を託したっていい」
こみあげて零れそうになる涙を必死に堪えた。凪はこう言ってくれるが、やっぱりここにも居場所はなかった。ようやく自分の存在が許される場所を見つけたと思ったのに。そんな悲しみに懸命に抗い、歯を食いしばった。
いつの間にか水音が止んでいた。座敷に上がった律が小夜を抱いて横に座る。項垂れたままの陽向に、小夜が心配そうに抱きついた。耐えることができず、彼を抱き返しながら、少しだけ泣いた。
今日でアルバイトは終了だと彼は言った。全く兆候のない話で、陽向は海鳥の座敷で茶碗を持ったまま、唖然とする。図書館を出てから店を手伝い、最後の客が帰ってから夕飯を摂っていた。隣では、陽向の表情にきょとんとする小夜が、絵本を読む手を止めて顔を上げている。
「すまない、急な話だというのは分かってる」
座敷の端に腰掛け、床に足を下ろす凪が言った。これまで、あと何日という具体的な話は出てこなかった。夏休みいっぱいいてほしいと嘗て彼が言ったから、陽向もギリギリまでここにいるつもりだったのだ。
「……それって、俺が、ケガレのことを調べたから」茶碗と箸を静かに置く。「神志名之久にまで辿り着いたから?」
それしか心当たりはなかった。その証拠に凪は黙ったままでいる。カウンターの内側で律が洗い物をする水音が救いだった。
「きっと俺が、このままだと悪影響をもたらすから」
「悪影響だというわけじゃない」
床から上げた片足を座敷に乗せ、半分あぐらをかいた姿勢で、凪は陽向を見つめた。
「ただ、陽向はケガレに近づきすぎている。あのお守りがない以上、次に襲われたらお終いだ」
「そんなのわかってる、でも……」ちらりと小夜に視線を向けた。彼は再び絵本に集中している。
小夜を襲ったばかりだから、当分ケガレは誰も襲わない。そんなこと、彼の前で言えるはずがない。口を噤んだが、凪は陽向の言いたいことを察し、軽く顎を引いて頷いてみせた。
「あくまで推測でしかない。ケガレは分からないことだらけだ。神志名という名を口にするきみを襲いに来る可能性がないわけじゃないだろう」
「そんなの」反論しようと口を開いたが、確固とした台詞は何一つ思い浮かばない。乗り出しかけた身をゆっくりと引いた。「……推測でしかない」
「陽向、これだけはわかってくれ」凪はじっと陽向を見つめる。「俺たちは、きみをみすみす犠牲にしたくないんだ」
だけど、でも。そんな幼稚な言葉が滑りそうな唇を噛み締める。凪は本気で自分を心配してくれている。
けれど、やっぱり、あんまりだ。自分の膝を両手できつく握りしめた。
「陽向が、俺たちのために頑張ってくれていることは、誰もが知っている。だからこそなんだ」
座敷に上がり、そばに腰を下ろした凪の手が背に触れる。
「俺たちはここにいる。また街で会うこともきっとできる。武藤さんに手紙を託したっていい」
こみあげて零れそうになる涙を必死に堪えた。凪はこう言ってくれるが、やっぱりここにも居場所はなかった。ようやく自分の存在が許される場所を見つけたと思ったのに。そんな悲しみに懸命に抗い、歯を食いしばった。
いつの間にか水音が止んでいた。座敷に上がった律が小夜を抱いて横に座る。項垂れたままの陽向に、小夜が心配そうに抱きついた。耐えることができず、彼を抱き返しながら、少しだけ泣いた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる