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3章 ノンフィクション
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一人語りに休符を打った少年は、細く長い息を吐くと、左腕を額に乗せる。半分だけ閉じた瞼の裏側で、ただ天井を見上げた。
「見ないだけでいいんだ。知らない振りをして、あと少しで出て行けば、みんな幸せになれる」
「あんたは幸せなの」
「……多分」彼は困ったように目を瞑ると、表情だけで笑った。
「救いないね」
「現実なんて、そんなもんだよ。ノンフィクションは、無慈悲で冷たいんだ」
仕方のないノンフィクションに生きる彼は「だけど」と息を吐く。
「知ってるのに、それでもって思っちゃうんだ。いつだって」
瞼に瞳を隠し、彼が深く潜っていくのを彼女は知っている。深海へ沈むのではない、不本意に深度を深めるのではない、自ら水をかき、深く、深く潜ってしまう。誰の手も届かない、光も薄まり感じなくなる深海に。それでも頭の上にあるはずの、どこまでも差し込む光を求め、顔を上げたまま。泳げない、歩くのがやっとな深い海の底を、たったひとりで。
指先で少女が頬をつついてやると、彼はゆっくりと目を開け、腕を額に乗せたまま首を小さく曲げる。
「私たちって、どこかで血が繋がってたんだね」
「そういうことだね」
「残酷だよね」
だがもしも、この世界とは違うどこか。二人が初めから真に幸せに生きる世界線とやらが存在するのなら、きっと出会うことすらなかったのだ。
「ねえ、あんたが生まれたのって、十五年前のいつなの」
「誕生日? 八月十二日」
「ふーん。なるほどね」
訝しげな彼に対し、彼女はにやりと口の端を歪めてみせた。
「暑い日だったね」
「そりゃあ、真夏だからね……。なに言ってるの」
「私、覚えてるし」
目を丸くして仰天する少年は、その瞳を穏やかに細めると小さく笑った。
「覚えてるわけないよ。だって、あなたは二歳だよ。物心なんて、まだまだつかない年だし」
「馬鹿にしてるな」正論を唱える少年の鼻先を、少女は細い指先で軽くつつく。「私の成績がどんだけ優秀か知らないくせに。舐めんなよ。しょぼい常識が当てはまると思うな」
「そんなことまで言ってないよ」
鼻先を軽く手でかき、少年は首を傾げて頬でシーツを擦った。彼女の真意が汲み取れない。
「覚えてるって、何を覚えてるの。その日に何かあったの」
「なんかね、ずっと笑ってた。そんだけ覚えてる」
「なにそれ」
「一日中笑ってた記憶がある。嘘じゃないから」
彼女の言いたいことを理解した彼は、口を尖らせて穏やかに笑ってみせた。
「……うそ」
「だまれ」
「うそつき」
「だまれよ」
嘘つきと繰り返して頬を緩める彼に、実力行使だと少女は正面から抱き着いた。ぱっと背を向けてしまう彼の脇腹に手をやり、足を絡めて逃げられないようにすると、たちまち堪え切れない笑い声が聞こえてくる。さらに首筋に手をやると、くすぐったさに首を曲げ、抵抗しようと手を伸ばしてくる。それも無視して脇に触れると、もう降参だという声がした。
「だめ、嘘つきとかいいやがった」
「嘘だよ、ごめんってば」
「やーだ、許さない」
二人は幼い子どものように笑い、転げまわった。重すぎる、暗すぎる全ての重みを今この瞬間だけは思考から消し去り、ただ一つの想いだけを通じて声を上げて笑う。
大好き。
それがふたりのすべて。大好きだから、全てを共にするためにここにいて、今一緒に笑っている。それだけでいいのだと、もう少しだけ、少女と少年は柔らかなベッドで無邪気に身を寄せ合った。
「見ないだけでいいんだ。知らない振りをして、あと少しで出て行けば、みんな幸せになれる」
「あんたは幸せなの」
「……多分」彼は困ったように目を瞑ると、表情だけで笑った。
「救いないね」
「現実なんて、そんなもんだよ。ノンフィクションは、無慈悲で冷たいんだ」
仕方のないノンフィクションに生きる彼は「だけど」と息を吐く。
「知ってるのに、それでもって思っちゃうんだ。いつだって」
瞼に瞳を隠し、彼が深く潜っていくのを彼女は知っている。深海へ沈むのではない、不本意に深度を深めるのではない、自ら水をかき、深く、深く潜ってしまう。誰の手も届かない、光も薄まり感じなくなる深海に。それでも頭の上にあるはずの、どこまでも差し込む光を求め、顔を上げたまま。泳げない、歩くのがやっとな深い海の底を、たったひとりで。
指先で少女が頬をつついてやると、彼はゆっくりと目を開け、腕を額に乗せたまま首を小さく曲げる。
「私たちって、どこかで血が繋がってたんだね」
「そういうことだね」
「残酷だよね」
だがもしも、この世界とは違うどこか。二人が初めから真に幸せに生きる世界線とやらが存在するのなら、きっと出会うことすらなかったのだ。
「ねえ、あんたが生まれたのって、十五年前のいつなの」
「誕生日? 八月十二日」
「ふーん。なるほどね」
訝しげな彼に対し、彼女はにやりと口の端を歪めてみせた。
「暑い日だったね」
「そりゃあ、真夏だからね……。なに言ってるの」
「私、覚えてるし」
目を丸くして仰天する少年は、その瞳を穏やかに細めると小さく笑った。
「覚えてるわけないよ。だって、あなたは二歳だよ。物心なんて、まだまだつかない年だし」
「馬鹿にしてるな」正論を唱える少年の鼻先を、少女は細い指先で軽くつつく。「私の成績がどんだけ優秀か知らないくせに。舐めんなよ。しょぼい常識が当てはまると思うな」
「そんなことまで言ってないよ」
鼻先を軽く手でかき、少年は首を傾げて頬でシーツを擦った。彼女の真意が汲み取れない。
「覚えてるって、何を覚えてるの。その日に何かあったの」
「なんかね、ずっと笑ってた。そんだけ覚えてる」
「なにそれ」
「一日中笑ってた記憶がある。嘘じゃないから」
彼女の言いたいことを理解した彼は、口を尖らせて穏やかに笑ってみせた。
「……うそ」
「だまれ」
「うそつき」
「だまれよ」
嘘つきと繰り返して頬を緩める彼に、実力行使だと少女は正面から抱き着いた。ぱっと背を向けてしまう彼の脇腹に手をやり、足を絡めて逃げられないようにすると、たちまち堪え切れない笑い声が聞こえてくる。さらに首筋に手をやると、くすぐったさに首を曲げ、抵抗しようと手を伸ばしてくる。それも無視して脇に触れると、もう降参だという声がした。
「だめ、嘘つきとかいいやがった」
「嘘だよ、ごめんってば」
「やーだ、許さない」
二人は幼い子どものように笑い、転げまわった。重すぎる、暗すぎる全ての重みを今この瞬間だけは思考から消し去り、ただ一つの想いだけを通じて声を上げて笑う。
大好き。
それがふたりのすべて。大好きだから、全てを共にするためにここにいて、今一緒に笑っている。それだけでいいのだと、もう少しだけ、少女と少年は柔らかなベッドで無邪気に身を寄せ合った。
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