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4章 宣戦布告
疾走1
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街はすっかり夜の帳を下ろしていた。家路を行く人や、これから飲み屋や遊び場に向かうのであろう、若者や中年の会社員が行き来する街は賑わい、昼間とは異なる雰囲気を呈している。
「走って!」
あと少しだったのにと歯噛みする時間さえ惜しく、彼は竦みかける彼女の手を握り締め、立ち止まらないよう声を上げた。振り向くと、あの男たちがあっという間に店のドアをくぐり抜けてくるのが見える。
捕まれば全てがおしまいだ。少女は恐らく、足の骨を折られる以上の目に遭い、生涯を叔父たちの金づるとして捧げ、汚される。邪魔をした少年にも間違いなく、同等かそれ以上の苦痛を与えることぐらい、軽々とやってのける。その中身が想像を絶する事態であることが、二人の背筋を凍らせ、足を震わせる原因の一つだった。
ぶつかりかける人を必死で避けながら、少女より一歩先を行く少年と、少年と手を繋ぐ少女は夜の街を疾走する。
「私のせいだ……」
思いつめ、涙さえ滲みそうな声を、切らす呼吸の間で彼女は絞り出した。これで捕まれば、黙っているよりもなお一層ひどい目に逢うことは火を見るより明らかだ。それも自分だけではなく、この少年まで。
「私が、大人しくしてれば、こんなこと……!」
「ちがう!」
彼女の後悔に対し、少年が声を荒げた。
「逃げようって言ったのはぼくだ。けれど、一番悪いのは、ぼくたちじゃない!」
罵声が後ろからかけられる。今すぐ止まらないと殺すという。二人は無我夢中で駆け、悪い大人たちから逃げ惑う。肩のぶつかった人の暴言を浴び、急ブレーキの自転車に衝突しかけ、夜闇を蹴り飛ばす。
走って、走って、走って――。
息が切れる。荒い呼吸に支配されかける聴覚に、野太い男の声が重なる。決して足は止められない。
一体自分たちは、どんな悪いことをしてしまったのか。愛する相手と言葉を交わすことは、手を繋ぎ笑い合うことは、それほどまでに悪いことだったのか。自由を奪われ、人生を売り飛ばされるほどに、認められない違法行為に成り得てしまうのか。
だが、そう足掻いても納得する答えなど得られるはずがなく、我武者羅に駆けた。蓄積する疲労になど、あとでならいくらでも襲われ、動けなくなってもいい。それでも今だけは、今この瞬間、逃げ切るまでは、足の重みなど忘れなければならない。
滑り離れそうな手に気がつけば、少年は右手を、少女は左手を一層強く握り合う。彼女が追いつけるように、しかし決して捕まらない速度を懸命に少年は探る。人と足並みをそろえ、仲良く歩む誰かなど長年持たずに生きてきた彼は、今となっては誰よりも大切な彼女の足取りを、全身の感覚を研ぎ澄ませて感じ取る。決して容易いことではないが、彼女だけをおいて逃げる選択肢など最初からあるわけがない。鞄などはとっくにどこかで投げ捨てた。彼女と逃げ切れるのなら、中身など何一つ必要だとは思わない。
目と鼻の先に、点滅する青信号。広い大通り。あれを渡り切れば、後ろにいる男たちは赤信号と車の流れに遮られるかもしれない。二人は、横断歩道にいきおいよく飛び出した。
地面に描かれた白い横線を踏みつける。一つ、二つ、三つ。睨みつける信号は、最後の点滅を終える。
網膜を刺激する真っ白な光。少女が右へ向けた視界を埋め尽くすのは、左折する強すぎるヘッドライト。
どうして。どうして、あの時と同じ光が。雨は降っていないのに。バスにも乗っていないのに。お父さんは、もうどこにもいないのに。
前よりも、大きいな。刹那、彼女はそれを見上げてただ思った。
「走って!」
あと少しだったのにと歯噛みする時間さえ惜しく、彼は竦みかける彼女の手を握り締め、立ち止まらないよう声を上げた。振り向くと、あの男たちがあっという間に店のドアをくぐり抜けてくるのが見える。
捕まれば全てがおしまいだ。少女は恐らく、足の骨を折られる以上の目に遭い、生涯を叔父たちの金づるとして捧げ、汚される。邪魔をした少年にも間違いなく、同等かそれ以上の苦痛を与えることぐらい、軽々とやってのける。その中身が想像を絶する事態であることが、二人の背筋を凍らせ、足を震わせる原因の一つだった。
ぶつかりかける人を必死で避けながら、少女より一歩先を行く少年と、少年と手を繋ぐ少女は夜の街を疾走する。
「私のせいだ……」
思いつめ、涙さえ滲みそうな声を、切らす呼吸の間で彼女は絞り出した。これで捕まれば、黙っているよりもなお一層ひどい目に逢うことは火を見るより明らかだ。それも自分だけではなく、この少年まで。
「私が、大人しくしてれば、こんなこと……!」
「ちがう!」
彼女の後悔に対し、少年が声を荒げた。
「逃げようって言ったのはぼくだ。けれど、一番悪いのは、ぼくたちじゃない!」
罵声が後ろからかけられる。今すぐ止まらないと殺すという。二人は無我夢中で駆け、悪い大人たちから逃げ惑う。肩のぶつかった人の暴言を浴び、急ブレーキの自転車に衝突しかけ、夜闇を蹴り飛ばす。
走って、走って、走って――。
息が切れる。荒い呼吸に支配されかける聴覚に、野太い男の声が重なる。決して足は止められない。
一体自分たちは、どんな悪いことをしてしまったのか。愛する相手と言葉を交わすことは、手を繋ぎ笑い合うことは、それほどまでに悪いことだったのか。自由を奪われ、人生を売り飛ばされるほどに、認められない違法行為に成り得てしまうのか。
だが、そう足掻いても納得する答えなど得られるはずがなく、我武者羅に駆けた。蓄積する疲労になど、あとでならいくらでも襲われ、動けなくなってもいい。それでも今だけは、今この瞬間、逃げ切るまでは、足の重みなど忘れなければならない。
滑り離れそうな手に気がつけば、少年は右手を、少女は左手を一層強く握り合う。彼女が追いつけるように、しかし決して捕まらない速度を懸命に少年は探る。人と足並みをそろえ、仲良く歩む誰かなど長年持たずに生きてきた彼は、今となっては誰よりも大切な彼女の足取りを、全身の感覚を研ぎ澄ませて感じ取る。決して容易いことではないが、彼女だけをおいて逃げる選択肢など最初からあるわけがない。鞄などはとっくにどこかで投げ捨てた。彼女と逃げ切れるのなら、中身など何一つ必要だとは思わない。
目と鼻の先に、点滅する青信号。広い大通り。あれを渡り切れば、後ろにいる男たちは赤信号と車の流れに遮られるかもしれない。二人は、横断歩道にいきおいよく飛び出した。
地面に描かれた白い横線を踏みつける。一つ、二つ、三つ。睨みつける信号は、最後の点滅を終える。
網膜を刺激する真っ白な光。少女が右へ向けた視界を埋め尽くすのは、左折する強すぎるヘッドライト。
どうして。どうして、あの時と同じ光が。雨は降っていないのに。バスにも乗っていないのに。お父さんは、もうどこにもいないのに。
前よりも、大きいな。刹那、彼女はそれを見上げてただ思った。
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