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4章 宣戦布告
疾走2
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迫るトラックが角度を変えたように見えたのは、咄嗟に前から後ろへ急ブレーキをかけ、驚くほどの力で少年がその手を力強く、全力で引いたからだった。彼は大きく一歩二歩と後ろへ飛び退り、竦んでしまった彼女を引き戻す。
大型トラックが走り抜ける地響きのような振動を足の裏に感じながら、よろめく彼女は彼に抱きとめられた。逃れた歩道の上で、自分たちが轢かれかけ、彼の瞬時の判断のおかげで命を長らえたのだと知った。
だがその隙は、追う者たちがあと数メートルまで距離を縮めてしまうのに、十分な後戻りだった。
「警察呼んで」
彼女の前に出ながら、彼が短く告げる。言葉の意味を彼女が理解できないでいる間に、いち早く飛び掛かって来た大柄な髭面の男へ地面を蹴った。
腰を落とし、全体重をかけ、相手に組み付いて押し返す。彼は固まってしまう彼女をもう一度振り返り、叫んだ。
「警察呼んで、早く!」その声が詰まった。
まだ軽い少年の身体では、相手を留められても、倒すことは不可能だった。自身の倍近くあるこぶしで左頬を殴られた彼は、受け身も取れずに硬いアスファルトに転げてしまう。
「鬱陶しい真似しやがって!」
痛みに呻く彼に吐き捨て、男は少年を見つめる少女に数歩歩み寄った。
だが、その腕は彼女を掴めなかった。「離せっつってんだよ!」男は自分を引き戻す二本の腕に怒鳴り散らした。
片頬を赤く腫らせた少年は、地面を這いずり、男の足に懸命にしがみついていた。乱暴に男は足を揺さぶり彼を振り落そうとするが、彼は細い指を相手のズボンに絡め、腕を巻きつけ、何が何でも離すまいと抗っている。
「このクソガキ!」
追いついた刺青の手のひらが、彼の髪を鷲掴んで無理にでも剥がそうとする。足を掴まれる髭の男は自由な右足を上げると、邪魔な少年の顔面を踏みつけた。
瞬く間に鼻血が溢れ、彼は痛みにくぐもったうめき声をあげる。それでも手から力を抜くことはしない。鮮血が滴り落ちるアスファルトは、ぽたぽたと点状の赤に染められていく。
このままでは、彼が大怪我を負ってしまう。
「ひろ……!」
堪らず駆け寄ろうとした彼女は、息を呑んで足を止めた。自分を睨む彼の気概に気圧されたのだ。近づくなと、彼は声なく警告している。その眼差しの鋭さは、彼が彼女に初めて見せるものだった。
震える手で彼女はせめて警察を呼ぼうとポケットからスマートフォンを取り出した。彼は警察を呼んでくれと言ったのだ。今はその通りにするのが最善だと思った。何より、そうしなければ彼が殺されてしまいかねない。
何ごとかと野次馬が集まり始める。焦る男たちは少女が手にする機器を見て、さっさと彼女だけでも連れて行くのが吉だと思ったらしい。「何やってんだてめえ!」彼の髪から手を離し、刺青の男が彼女に近づく。咄嗟に顔をかばった彼女の手から、スマートフォンが滑り落ちた。
だが「いてえ!」と悲鳴を上げ、男は彼女に伸ばしかけた右手を引っ込めた。
男の左腕には、飛び掛かった少年が噛みついていた。
まるで虫を叩き落すように男は彼を平手で殴る。三発目でようやく膝をついた彼に、男は極限まで苛立ちをつのらせていた。尚も彼女に近づかせまいと足にしがみつく彼の頭を踏みつける。もう一人の髭面の男も、周囲が振り返る罵声を浴びせながら、幾度も足を振り上げた。
少年はあまりの衝撃に単音を詰まらせて蹲った。かん、と小さな音が響いた先には、白い歯が落ちていた。
口元から真っ赤な血を流している姿を見て、彼は自分だけでも逃がそうとしていることに彼女は気が付いた。自分を助けようとして、歯まで折られてしまった。
だが、彼女も彼と同様に、片方を見捨てて自分一人だけ無事に逃げ切る真似など、決して許すわけにはいかなかった。
その時少女は、野次馬の向こうにそれを見つけた。途端に、血の気が引くのを感じる。
あの夜、絶望の淵へと自分を連れて行った、黒いバン。
途端にぶるぶると手が震え出す。足は一歩退くだけ、顔は助手席から下りてくる男を見たまま、逸らすことが出来ない。細い呼吸が漏れる。今朝聞いたばかりの恐ろしい台詞さえ思い出す。
「そんな……」
もう二度と会うつもりのない男だった。この男と血の繋がりがあることを、叔父などという名称で呼ばねばならない立場である悔しさは、幾年も絶えることはなかった。
彼女の絶望を耳にしたかのように、彼も男の方へ視線を向ける。
途端、どれだけ蹴られても離さなかった手を解き、一度よろめきながらも少年は立ち上がった。そんな彼の姿を見つけた叔父は、頬の端をひくつかせる憎々しい顔で彼を見やると、汚い言葉を吐くべく口を開いた。
だが男は、喉元まで出た言葉をそのまま飲み下す。
二本の足で立つ少年は、少女の叔父に、自分の父親に、左手に握るナイフを向けていた。
大型トラックが走り抜ける地響きのような振動を足の裏に感じながら、よろめく彼女は彼に抱きとめられた。逃れた歩道の上で、自分たちが轢かれかけ、彼の瞬時の判断のおかげで命を長らえたのだと知った。
だがその隙は、追う者たちがあと数メートルまで距離を縮めてしまうのに、十分な後戻りだった。
「警察呼んで」
彼女の前に出ながら、彼が短く告げる。言葉の意味を彼女が理解できないでいる間に、いち早く飛び掛かって来た大柄な髭面の男へ地面を蹴った。
腰を落とし、全体重をかけ、相手に組み付いて押し返す。彼は固まってしまう彼女をもう一度振り返り、叫んだ。
「警察呼んで、早く!」その声が詰まった。
まだ軽い少年の身体では、相手を留められても、倒すことは不可能だった。自身の倍近くあるこぶしで左頬を殴られた彼は、受け身も取れずに硬いアスファルトに転げてしまう。
「鬱陶しい真似しやがって!」
痛みに呻く彼に吐き捨て、男は少年を見つめる少女に数歩歩み寄った。
だが、その腕は彼女を掴めなかった。「離せっつってんだよ!」男は自分を引き戻す二本の腕に怒鳴り散らした。
片頬を赤く腫らせた少年は、地面を這いずり、男の足に懸命にしがみついていた。乱暴に男は足を揺さぶり彼を振り落そうとするが、彼は細い指を相手のズボンに絡め、腕を巻きつけ、何が何でも離すまいと抗っている。
「このクソガキ!」
追いついた刺青の手のひらが、彼の髪を鷲掴んで無理にでも剥がそうとする。足を掴まれる髭の男は自由な右足を上げると、邪魔な少年の顔面を踏みつけた。
瞬く間に鼻血が溢れ、彼は痛みにくぐもったうめき声をあげる。それでも手から力を抜くことはしない。鮮血が滴り落ちるアスファルトは、ぽたぽたと点状の赤に染められていく。
このままでは、彼が大怪我を負ってしまう。
「ひろ……!」
堪らず駆け寄ろうとした彼女は、息を呑んで足を止めた。自分を睨む彼の気概に気圧されたのだ。近づくなと、彼は声なく警告している。その眼差しの鋭さは、彼が彼女に初めて見せるものだった。
震える手で彼女はせめて警察を呼ぼうとポケットからスマートフォンを取り出した。彼は警察を呼んでくれと言ったのだ。今はその通りにするのが最善だと思った。何より、そうしなければ彼が殺されてしまいかねない。
何ごとかと野次馬が集まり始める。焦る男たちは少女が手にする機器を見て、さっさと彼女だけでも連れて行くのが吉だと思ったらしい。「何やってんだてめえ!」彼の髪から手を離し、刺青の男が彼女に近づく。咄嗟に顔をかばった彼女の手から、スマートフォンが滑り落ちた。
だが「いてえ!」と悲鳴を上げ、男は彼女に伸ばしかけた右手を引っ込めた。
男の左腕には、飛び掛かった少年が噛みついていた。
まるで虫を叩き落すように男は彼を平手で殴る。三発目でようやく膝をついた彼に、男は極限まで苛立ちをつのらせていた。尚も彼女に近づかせまいと足にしがみつく彼の頭を踏みつける。もう一人の髭面の男も、周囲が振り返る罵声を浴びせながら、幾度も足を振り上げた。
少年はあまりの衝撃に単音を詰まらせて蹲った。かん、と小さな音が響いた先には、白い歯が落ちていた。
口元から真っ赤な血を流している姿を見て、彼は自分だけでも逃がそうとしていることに彼女は気が付いた。自分を助けようとして、歯まで折られてしまった。
だが、彼女も彼と同様に、片方を見捨てて自分一人だけ無事に逃げ切る真似など、決して許すわけにはいかなかった。
その時少女は、野次馬の向こうにそれを見つけた。途端に、血の気が引くのを感じる。
あの夜、絶望の淵へと自分を連れて行った、黒いバン。
途端にぶるぶると手が震え出す。足は一歩退くだけ、顔は助手席から下りてくる男を見たまま、逸らすことが出来ない。細い呼吸が漏れる。今朝聞いたばかりの恐ろしい台詞さえ思い出す。
「そんな……」
もう二度と会うつもりのない男だった。この男と血の繋がりがあることを、叔父などという名称で呼ばねばならない立場である悔しさは、幾年も絶えることはなかった。
彼女の絶望を耳にしたかのように、彼も男の方へ視線を向ける。
途端、どれだけ蹴られても離さなかった手を解き、一度よろめきながらも少年は立ち上がった。そんな彼の姿を見つけた叔父は、頬の端をひくつかせる憎々しい顔で彼を見やると、汚い言葉を吐くべく口を開いた。
だが男は、喉元まで出た言葉をそのまま飲み下す。
二本の足で立つ少年は、少女の叔父に、自分の父親に、左手に握るナイフを向けていた。
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