29 / 35
29話 薬
しおりを挟む
ナツは目を覚ました。自分がまだ呼吸をし、瞼を開けることのできるのが不思議だった。
「薬、効いたみたいね」
よかったと、枕元に膝をつく姉が安堵のため息をついている。
「くすり……?」
掠れた声を零す妹に、姉は水の入ったコップを差し出し、重い体を起こす彼女の背を支える。
「母さんが飲ませたの、覚えていないの?」
ぬるい水を口に含み、時間をかけて飲み込みながら、ナツは覚えていないと首を振った。
「ひどい熱だったから、仕方ないわね」
そう言って、姉はどこか疲れた顔で笑った。
高熱にうなされている間に母が薬を飲ませたおかげで、ナツは目を覚ますことができたらしい。それでも、まだ体の節々はひどく痛み、ぼうっと続く熱のせいで頭はうまく働かない。見下ろした肌は、不気味な赤黒さに埋め尽くされている。
「薬、なんて……」
上手く声を出せず激しく咳をするナツの背を優しく撫で、姉は眠るように促す。
「ナツは、心配しなくていいから」
「だけど……」
「いいの。それより、早く体を治して。また熱が上がるかも知れないのよ」
この貧乏な家で、嘗ては病気になっても医者に看せられずに死んだ子さえいるのに、何故薬などを飲むことができたのか。しかしいくら姉に問いただしたくとも、その台詞を考える力さえ持ち得ないナツは、言われるがままに目を閉じるしかなかった。あの子に会ったのだとも伝えたかったが、病に疲れきっている体は、瞼を開けることを許してはくれなかった。あの辛い別れの日から、七日目のことだった。
あの子に会ったのだとようやく語ると、姉は目を見開いて驚いていたが、言葉を挟まずナツの話を聞いていた。三度薬を飲んだ頃には、体は横たえたままでも話をする体力は戻ってきていた。
「ナツのことが、一番好きだったからね」
ただの夢だと笑い飛ばすことなく、姉はしんみりとした口調で言う。そんな彼女から目を離し、ナツは布団から出した腕を持ち上げて見つめた。皮膚に浮く点の濃度はいくらか薄まり、細い腕はいくらか元の肌色を取り戻していた。その様子を見た姉や母は、よかったと口にするが、しかしナツは、素直に喜ぶことができない。
「姉さん、どうして、薬なんか買えたんだ……?」
訝しむナツに、姉はかぶりを振る。
「あの子には、一度だって飲ませられなかったのに。なんで、今になって……」
「いいから、気にしなくていいの」
「気になるよ」
僅かに語気を強めたナツは咳き込んだ。だが、それを見て抑えようとする姉の手を遮り、ナツは続ける。
「あたしだけこうして、生き延びちまったんだ。今の母さんたちを見ても、十分金が手に入ってるようには思えない」
姉は力なく、捨てられた子犬のように項垂れている。
「なあ、姉さん……」
「あとで、ちゃんと教えるから。きちんと病気が治って、元気になったら、教えるから。だから今は、何も言わないで、考えないで、体を治して。ね、ナツ。お願いだから、言うことを聞いて」
幼い子どもに語りかける口調で頼み込む姉は苦しそうで、ナツは何も言えなくなってしまった。ただでさえ下がりきらない微熱のせいで、少し無理をした体は考える力を失い、ぼんやりとしてしまう。
大人しく体を横たえ直し、瞼を閉じると、姉が静かに立ち上がり出て行く物音が聞こえた。決して生活は楽ではない。まだ朝も早い時間だが、母も姉も、働きに出なければならない。末娘がたとえ病で床に臥していても、その命の危機を脱したのであれば、四六時中看病しているわけにはいかなかった。
誰もいなくなった部屋は静かで、耳を澄ませて微かに漂ってくるのは、外の遠い喧騒のみだ。釈然としない、大きな塊が胸に沈むのを感じながら、ナツは眠りに沈んでいった。悲しい別れから、半月が経った頃だった。
「薬、効いたみたいね」
よかったと、枕元に膝をつく姉が安堵のため息をついている。
「くすり……?」
掠れた声を零す妹に、姉は水の入ったコップを差し出し、重い体を起こす彼女の背を支える。
「母さんが飲ませたの、覚えていないの?」
ぬるい水を口に含み、時間をかけて飲み込みながら、ナツは覚えていないと首を振った。
「ひどい熱だったから、仕方ないわね」
そう言って、姉はどこか疲れた顔で笑った。
高熱にうなされている間に母が薬を飲ませたおかげで、ナツは目を覚ますことができたらしい。それでも、まだ体の節々はひどく痛み、ぼうっと続く熱のせいで頭はうまく働かない。見下ろした肌は、不気味な赤黒さに埋め尽くされている。
「薬、なんて……」
上手く声を出せず激しく咳をするナツの背を優しく撫で、姉は眠るように促す。
「ナツは、心配しなくていいから」
「だけど……」
「いいの。それより、早く体を治して。また熱が上がるかも知れないのよ」
この貧乏な家で、嘗ては病気になっても医者に看せられずに死んだ子さえいるのに、何故薬などを飲むことができたのか。しかしいくら姉に問いただしたくとも、その台詞を考える力さえ持ち得ないナツは、言われるがままに目を閉じるしかなかった。あの子に会ったのだとも伝えたかったが、病に疲れきっている体は、瞼を開けることを許してはくれなかった。あの辛い別れの日から、七日目のことだった。
あの子に会ったのだとようやく語ると、姉は目を見開いて驚いていたが、言葉を挟まずナツの話を聞いていた。三度薬を飲んだ頃には、体は横たえたままでも話をする体力は戻ってきていた。
「ナツのことが、一番好きだったからね」
ただの夢だと笑い飛ばすことなく、姉はしんみりとした口調で言う。そんな彼女から目を離し、ナツは布団から出した腕を持ち上げて見つめた。皮膚に浮く点の濃度はいくらか薄まり、細い腕はいくらか元の肌色を取り戻していた。その様子を見た姉や母は、よかったと口にするが、しかしナツは、素直に喜ぶことができない。
「姉さん、どうして、薬なんか買えたんだ……?」
訝しむナツに、姉はかぶりを振る。
「あの子には、一度だって飲ませられなかったのに。なんで、今になって……」
「いいから、気にしなくていいの」
「気になるよ」
僅かに語気を強めたナツは咳き込んだ。だが、それを見て抑えようとする姉の手を遮り、ナツは続ける。
「あたしだけこうして、生き延びちまったんだ。今の母さんたちを見ても、十分金が手に入ってるようには思えない」
姉は力なく、捨てられた子犬のように項垂れている。
「なあ、姉さん……」
「あとで、ちゃんと教えるから。きちんと病気が治って、元気になったら、教えるから。だから今は、何も言わないで、考えないで、体を治して。ね、ナツ。お願いだから、言うことを聞いて」
幼い子どもに語りかける口調で頼み込む姉は苦しそうで、ナツは何も言えなくなってしまった。ただでさえ下がりきらない微熱のせいで、少し無理をした体は考える力を失い、ぼんやりとしてしまう。
大人しく体を横たえ直し、瞼を閉じると、姉が静かに立ち上がり出て行く物音が聞こえた。決して生活は楽ではない。まだ朝も早い時間だが、母も姉も、働きに出なければならない。末娘がたとえ病で床に臥していても、その命の危機を脱したのであれば、四六時中看病しているわけにはいかなかった。
誰もいなくなった部屋は静かで、耳を澄ませて微かに漂ってくるのは、外の遠い喧騒のみだ。釈然としない、大きな塊が胸に沈むのを感じながら、ナツは眠りに沈んでいった。悲しい別れから、半月が経った頃だった。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる