3 / 15
第三話 喰われる影
しおりを挟む
夜のコンビニの前で、俺は神崎と待ち合わせをしていた。
時刻は午後十時。
会社が終わって家で夕飯を済ませたあと、また呼び出されたのだ。
「……で、俺は何をすればいいんですか」
神崎は缶コーヒーを片手に立っていた。 黒いロングコートに無駄のない立ち姿。 退魔師、という肩書きが妙に似合っている。
「何もしなくていい。ただ見ていろ」
「見てろって……」
「経験しておけ。これからあなたが直面する現実だ」
そう言って神崎は歩き出した。 俺は仕方なくついていく。
繁華街から外れた住宅街。 静かな通りに街灯が並ぶが、その光が届かない影は濃かった。 湿った風が吹き、犬の遠吠えがどこからか聞こえる。
「ここで、何が?」
「通報があった。『変な女を見た』とな」
神崎は淡々と言いながら、腰のポーチから札を取り出す。 見慣れない文字が刻まれたそれは、昨日も見せられた退魔の符だ。
「……来る」
神崎の声が低くなった。
その瞬間、街灯が一つ、ふっと消えた。 風が止み、音が消えた。 世界から切り取られたような静寂。
俺は背筋に冷たいものを感じた。 昨日と同じだ。 “視える世界”の空気が変わった。
「……あれを見ろ」
神崎が顎で示す。 視線を向けた先──。
路地の奥に、人影があった。 痩せた女。髪が顔にかかっていて表情は見えない。 だが、その背後に──黒い塊が蠢いていた。
「……影?」
地面に落ちた女の影が、別の生き物のように膨らみ、もぞもぞと動いている。 腕のような、脚のようなものを伸ばし、女の体を覆い尽くす。
「う、うわ……」
影が女の口をこじ開け、中へと吸い込まれていく。 女はかすれた悲鳴をあげ、白目を剥いた。
「やめ……助け……」
次の瞬間、影が女の身体を内側から突き破った。 真っ黒な触手のようなものが迸り、女の肉を引き裂いていく。 血の匂いが風に乗り、鼻を突いた。
俺は吐きそうになった。
「喰影鬼だ」
神崎が低く言った。 声に焦りはない。慣れているのだろう。
「人間の影に取り憑き、宿主を喰らい尽くす妖怪だ」
「ま、待て……あの人、まだ……!」
「もう助からない」
神崎は淡々と告げる。 女の身体は既に半ば影に飲み込まれていた。 肉が溶け、骨が軋み、悲鳴が途切れる。 代わりに響いたのは、獣の咆哮。
闇の中から、異形が現れた。 女の影から生まれた、四つ足の怪物。 全身が漆黒で、眼だけが真紅に光っている。
「……っ!」
全身が震える。 昨日の首の長い女とは違う種類の恐怖。 もっと生々しく、獣じみていた。
「下がっていろ」
神崎は符を構えた。 次の瞬間、符が青白く燃え上がる。
「破ッ!」
振り下ろした手から光が迸り、怪物を直撃した。 耳をつんざくような咆哮。 怪物の体が一瞬ひるんだ。
だが、すぐに跳ね返すように飛びかかってくる。
「ぐっ……!」
神崎は避け、もう一枚の符を叩きつける。 光と影が衝突し、爆ぜるような音が響いた。
俺はただ呆然と立ち尽くす。 現実離れした光景なのに、目を逸らせない。 体の奥で、何かがざわついている。
戦いは続いた。 神崎は符と短刀を駆使して応戦するが、怪物はしぶとい。 影の体は斬っても斬っても再生し、赤い目だけが光を放っている。
「……佐伯! 絶対に前に出るな!」
神崎の声に頷こうとした、その時だった。
怪物の目が、俺を見た。
全身が凍りついた。 視線が突き刺さる。 動けない。声も出ない。
怪物が俺に向かって飛びかかってくる。 神崎の位置からは間に合わない。
「う、わ……!」
目を瞑った瞬間──。
怪物が、止まった。
目の前、わずか数センチのところで。 赤い目が俺を凝視している。 口からは涎が垂れ、牙が光っている。 だが、襲いかかってこない。
「な……ぜ……」
神崎の驚愕した声が聞こえた。
怪物は、俺を嗅ぎ回るように鼻を鳴らし──次の瞬間、後退した。 まるで、俺を食えないと悟ったかのように。
「……空っぽだな」
耳の奥で、誰かの声が囁いた気がした。 首の長い女と同じ言葉。
俺は、呆然と立ち尽くしていた。
神崎はすかさず最後の符を投げ、怪物を焼き払った。 黒い煙が立ち込め、獣の断末魔が響き、やがて静寂が訪れる。
「……どういうことだ」
戦いを終えた神崎が、俺を見つめていた。 険しい表情のまま、低く呟く。
「喰影鬼が、あなたを喰おうとしなかった。……そんな例は聞いたことがない」
俺は答えられなかった。 ただ、全身が震えているのを必死で押さえるだけだった。
「……佐伯涼介。あなたはいったい──何なんだ」
神崎の視線は鋭く、問い詰めるように俺を射抜いた。
俺は自分の胸に手を当てる。 何もない。 空っぽだ。
だが、その空虚さこそが、俺を生かしているのかもしれない。
そう思った瞬間、背筋にぞっとするほどの寒気が走った。
「……で、俺は何をすればいいんですか」
神崎は缶コーヒーを片手に立っていた。 黒いロングコートに無駄のない立ち姿。 退魔師、という肩書きが妙に似合っている。
「何もしなくていい。ただ見ていろ」
「見てろって……」
「経験しておけ。これからあなたが直面する現実だ」
そう言って神崎は歩き出した。 俺は仕方なくついていく。
繁華街から外れた住宅街。 静かな通りに街灯が並ぶが、その光が届かない影は濃かった。 湿った風が吹き、犬の遠吠えがどこからか聞こえる。
「ここで、何が?」
「通報があった。『変な女を見た』とな」
神崎は淡々と言いながら、腰のポーチから札を取り出す。 見慣れない文字が刻まれたそれは、昨日も見せられた退魔の符だ。
「……来る」
神崎の声が低くなった。
その瞬間、街灯が一つ、ふっと消えた。 風が止み、音が消えた。 世界から切り取られたような静寂。
俺は背筋に冷たいものを感じた。 昨日と同じだ。 “視える世界”の空気が変わった。
「……あれを見ろ」
神崎が顎で示す。 視線を向けた先──。
路地の奥に、人影があった。 痩せた女。髪が顔にかかっていて表情は見えない。 だが、その背後に──黒い塊が蠢いていた。
「……影?」
地面に落ちた女の影が、別の生き物のように膨らみ、もぞもぞと動いている。 腕のような、脚のようなものを伸ばし、女の体を覆い尽くす。
「う、うわ……」
影が女の口をこじ開け、中へと吸い込まれていく。 女はかすれた悲鳴をあげ、白目を剥いた。
「やめ……助け……」
次の瞬間、影が女の身体を内側から突き破った。 真っ黒な触手のようなものが迸り、女の肉を引き裂いていく。 血の匂いが風に乗り、鼻を突いた。
俺は吐きそうになった。
「喰影鬼だ」
神崎が低く言った。 声に焦りはない。慣れているのだろう。
「人間の影に取り憑き、宿主を喰らい尽くす妖怪だ」
「ま、待て……あの人、まだ……!」
「もう助からない」
神崎は淡々と告げる。 女の身体は既に半ば影に飲み込まれていた。 肉が溶け、骨が軋み、悲鳴が途切れる。 代わりに響いたのは、獣の咆哮。
闇の中から、異形が現れた。 女の影から生まれた、四つ足の怪物。 全身が漆黒で、眼だけが真紅に光っている。
「……っ!」
全身が震える。 昨日の首の長い女とは違う種類の恐怖。 もっと生々しく、獣じみていた。
「下がっていろ」
神崎は符を構えた。 次の瞬間、符が青白く燃え上がる。
「破ッ!」
振り下ろした手から光が迸り、怪物を直撃した。 耳をつんざくような咆哮。 怪物の体が一瞬ひるんだ。
だが、すぐに跳ね返すように飛びかかってくる。
「ぐっ……!」
神崎は避け、もう一枚の符を叩きつける。 光と影が衝突し、爆ぜるような音が響いた。
俺はただ呆然と立ち尽くす。 現実離れした光景なのに、目を逸らせない。 体の奥で、何かがざわついている。
戦いは続いた。 神崎は符と短刀を駆使して応戦するが、怪物はしぶとい。 影の体は斬っても斬っても再生し、赤い目だけが光を放っている。
「……佐伯! 絶対に前に出るな!」
神崎の声に頷こうとした、その時だった。
怪物の目が、俺を見た。
全身が凍りついた。 視線が突き刺さる。 動けない。声も出ない。
怪物が俺に向かって飛びかかってくる。 神崎の位置からは間に合わない。
「う、わ……!」
目を瞑った瞬間──。
怪物が、止まった。
目の前、わずか数センチのところで。 赤い目が俺を凝視している。 口からは涎が垂れ、牙が光っている。 だが、襲いかかってこない。
「な……ぜ……」
神崎の驚愕した声が聞こえた。
怪物は、俺を嗅ぎ回るように鼻を鳴らし──次の瞬間、後退した。 まるで、俺を食えないと悟ったかのように。
「……空っぽだな」
耳の奥で、誰かの声が囁いた気がした。 首の長い女と同じ言葉。
俺は、呆然と立ち尽くしていた。
神崎はすかさず最後の符を投げ、怪物を焼き払った。 黒い煙が立ち込め、獣の断末魔が響き、やがて静寂が訪れる。
「……どういうことだ」
戦いを終えた神崎が、俺を見つめていた。 険しい表情のまま、低く呟く。
「喰影鬼が、あなたを喰おうとしなかった。……そんな例は聞いたことがない」
俺は答えられなかった。 ただ、全身が震えているのを必死で押さえるだけだった。
「……佐伯涼介。あなたはいったい──何なんだ」
神崎の視線は鋭く、問い詰めるように俺を射抜いた。
俺は自分の胸に手を当てる。 何もない。 空っぽだ。
だが、その空虚さこそが、俺を生かしているのかもしれない。
そう思った瞬間、背筋にぞっとするほどの寒気が走った。
0
あなたにおすすめの小説
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
どうやらお前、死んだらしいぞ? ~変わり者令嬢は父親に報復する~
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
「ビクティー・シークランドは、どうやら死んでしまったらしいぞ?」
「はぁ? 殿下、アンタついに頭沸いた?」
私は思わずそう言った。
だって仕方がないじゃない、普通にビックリしたんだから。
***
私、ビクティー・シークランドは少し変わった令嬢だ。
お世辞にも淑女然としているとは言えず、男が好む政治事に興味を持ってる。
だから父からも煙たがられているのは自覚があった。
しかしある日、殺されそうになった事で彼女は決める。
「必ず仕返ししてやろう」って。
そんな令嬢の人望と理性に支えられた大勝負をご覧あれ。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
聖女を追放した国は、私が祈らなくなった理由を最後まで知りませんでした
藤原遊
ファンタジー
この国では、人の悪意や欲望、嘘が積み重なると
土地を蝕む邪気となって現れる。
それを祈りによって浄化してきたのが、聖女である私だった。
派手な奇跡は起こらない。
けれど、私が祈るたびに国は荒廃を免れてきた。
――その役目を、誰一人として理解しないまま。
奇跡が少なくなった。
役に立たない聖女はいらない。
そう言われ、私は静かに国を追放された。
もう、祈る理由はない。
邪気を生み出す原因に目を向けず、
後始末だけを押し付ける国を守る理由も。
聖女がいなくなった国で、
少しずつ異変が起こり始める。
けれど彼らは、最後まで気づかなかった。
私がなぜ祈らなくなったのかを。
処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!
秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。
民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。
「おまえたちは許さない」
二度目の人生。
エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。
彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。
1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。
「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」
憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。
二人の偽りの婚約の行く末は……
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる