青白の覚醒 〜影を超えし者〜

相野リキ

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第二話 退魔師の男

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翌朝、目覚めたとき、俺はしばらく自分が生きているのが信じられなかった。
首の長い女。
あれは夢じゃない。
冷や汗で濡れたシャツの感触が、現実を告げていた。
「……なんで、生きてんだ」
呟きながら、鏡を覗き込む。
そこに映るのは、どこにでもいる三十五歳の男。
やや伸びた無精ひげ。寝不足で赤い目。
昨夜の出来事を示す痕跡は、どこにもない。
だが、脳裏に焼き付いた声は消えなかった。
──空っぽだな。
女の瞳が俺を覗き込む感触が、今も残っている。
鳥肌が立ち、喉が渇く。
会社に行く気力はなかった。
体調不良ということにして欠勤の連絡を入れ、俺は布団の中でひたすら天井を見つめていた。
やがて昼を過ぎ、夕方になっても、俺はほとんど動けなかった。
そんなときだった。
玄関のチャイムが鳴ったのは。

「佐伯涼介さんですね」
ドアを開けた先に立っていたのは、三十代半ばくらいの男だった。
黒いコートを羽織り、鋭い目をしている。
会社員というより刑事に見えるが、胸元に警察手帳らしきものはない。
「……どちら様ですか」
「神崎と言います。あなた、昨夜──何か“見た”でしょう」
心臓が跳ねた。
どうして、こいつが知っている?
警戒心が一気に高まる。
「何の話ですか」
とぼけようとした。だが神崎は俺の反応を一瞥しただけで、確信めいた笑みを浮かべた。
「やはり、見えてしまったか。……首の長い女に」
全身の血が凍りつく。
名前を、知っている。
俺が昨夜遭遇したものを。
「安心してください。俺はあなたを害するつもりはない。むしろ逆だ。あなたが殺されないように、説明に来た」
「……殺される?」
「“視えてしまった人間”は、例外なく狙われるんです。妖怪に」

リビングに通した神崎は、淡々と語った。
日本には昔から妖怪の伝承がある。
だが、それは単なる民話や作り話ではなく──実在する。
そして妖怪は普通の人間には見えない。
視えるのは、特別な者か、あるいは“被害者”になった者だけだ。
「昨日、あなたは首の長い女に遭遇した。奴は人を喰らう妖怪だ。……普通なら、もう殺されているはずだが」
神崎は俺をじっと見た。
「あなたは生きている。……珍しいケースです」
俺は言葉を失っていた。
馬鹿げている。だが、昨夜のあれを夢や幻覚だと切り捨てることはできない。
あまりにも生々しく、現実だった。
「信じられないかもしれませんが、これは事実です。……そして、ここからが重要です」
神崎は声を低くする。
「妖怪に狙われた人間は、必ず“視える”ようになる。その代償として、死が待っている」
俺は反射的に笑った。
乾いた、引きつった笑いだ。
「じゃあ、俺は……死ぬって言うんですか」
「はい。放っておけば、遅かれ早かれ」
神崎は淡々と告げた。
その冷徹さに逆に現実味があった。
こいつは脅しているわけじゃない。本当に知っている人間の口調だ。
「ただ──対処の方法はあります」
神崎は懐から札のようなものを取り出した。
古びた和紙に呪文のような文字が描かれている。
退魔の符、というやつだろうか。
「俺は退魔師です。あなたのような人間を守るのが仕事だ」
退魔師。
現代の日本でそんな職業があるとは思わなかった。
だが、昨夜の化け物を思い出せば、笑い飛ばすこともできない。
「助かる……んですか?」
「絶対ではありません。ただ──無策でいるよりは生き残る可能性がある」
俺はしばらく黙り込んだ。
頭の中は混乱しきっていた。
だが、一つだけ確かなことがある。
──昨夜の女は、本物だった。
俺はもう、知らなかった頃の世界には戻れない。
「……お願いします」
そう口にした瞬間、自分がどれだけ追い詰められているかを実感した。
目の前のこの男に縋るしかない。
神崎はわずかに微笑んだ。
その笑みは安堵にも見えたが、同時に哀れみのようでもあった。
「覚悟してください、佐伯さん。ここから先は、もう“普通の人間”には戻れません」

夜。
布団に横になった俺は、眠れずに天井を見つめていた。
神崎は帰り際に言った。
「妖怪は人間の“歪み”を喰う。恐怖、怒り、執着……。奴らは人の心を餌にする。だから、視えるようになった人間は長く持たない」
歪み。
俺には、そんなものがあるのだろうか。
いや──俺は、空っぽだ。
昨夜、あの女が囁いたように。
欲望も、夢も、怒りすらもない。
だからこそ俺は生き残ったのか。
それとも、空っぽであるがゆえに、より深く喰われていくのか。
答えはまだ分からない。
だが一つだけ確かだ。
俺の人生は、もう後戻りできない。
俺は、妖怪の見える人間になってしまったのだから。
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