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第五話 影喰い
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俺の部屋の天井には、染みのような影があった。
最初に気づいたのは昨日の夜。 電気を消しても、窓から差し込む街灯の明かりが壁をぼんやり照らす。 そこに、どう見ても形のおかしい影があったのだ。
人の腕。 いや、腕のように見える黒いものが、じわじわと広がっていく。
俺は息を殺して見ていた。 瞬きをしても、視線をそらしても、影は消えない。 ──あの怪物が言っていた。 「見える」奴は、死ぬ。
それでも、俺はまだ生きている。
翌朝、会社で妙な噂を耳にした。
「また出たらしいよ、例の“連続不審死”」 「えー、今度はどこ?」 「駅の近く。男の人が倒れてたんだって。影がなかったって……」
影が、なかった。
ぞっとする。 まるで昨夜、天井でうごめいていた黒い腕を思い出させるような言葉だった。
俺はすぐに神崎に連絡した。 嫌な予感があったからだ。
電話口で神崎は短く言った。
「現場に来い。……お前も、見ておいたほうがいい」
駅前の路地裏。 人通りは多いはずなのに、なぜかそこだけ空気が淀んでいた。 救急隊が去ったあとらしく、残された黄色い規制テープが風に揺れている。
「ここだ」
神崎が指差した場所には、まだ人の形が残るような影がアスファルトに焼き付いていた。 だが、それは“人の影”ではなかった。
胴体から何本もの腕が伸び、のたうち回るように形を歪ませている。
「……影喰い、か」
神崎が低く呟く。
「影を媒介にして、人の魂を奪う妖怪だ。宿主の影を食い破って、餌にする。……被害者は、もう戻らん」
俺は言葉を失った。 影を食う。 つまり──昨夜、俺の天井にいたものと同じじゃないか。
「神崎……」
「分かっている。お前の部屋に現れたのだな?」
図星だった。 頷くしかない。
神崎は険しい顔で俺を見据えた。
「普通なら、とっくに命を奪われている。……だが、お前はまだ生きている」
「……俺が“空っぽ”だからか?」
自嘲気味に言った俺の声は震えていた。
神崎は何も答えず、代わりに符を取り出して地面に貼り付けた。 符はじゅっと音を立て、煙を上げる。
「近くにいる。……狙いは、お前だ」
その言葉に、背筋が冷えた。
夜。 部屋に戻ると、再び天井に“それ”がいた。 黒い腕が無数に蠢き、壁を這い降りてくる。
「来やがった……」
声が裏返った。 全身の毛穴が開くような嫌悪感。 なのに、逃げられない。
黒い腕が、俺の体に触れた。 ひやりとした感覚。 だが、何も奪われない。 俺の影は、食い破られない。
代わりに──腕は困惑したように、震えていた。
「……餌じゃない?」
妖怪が、俺に対して怯んでいる。 そのことに、背筋がさらに寒くなった。
だが次の瞬間、扉が開き神崎が飛び込んできた。
「佐伯、下がれ!」
符を投げつけ、炎が走る。 黒い腕が焼け、苦悶の声が響いた。
「っぎィィ……!!」
部屋の空気が歪む。 影が煙のように弾け、消えていった。
神崎は荒い息をつきながら俺を睨んだ。
「……やはり、お前は“狙われていない”。むしろ──妖怪のほうが、お前を恐れている」
「……俺が、人間じゃないから?」
問いかけると、神崎は沈黙した。
その無言が、何よりも雄弁に思えた。
影喰いの残滓が消えた部屋で、俺は壁に背を預けた。 手が震えて止まらない。
空っぽだから喰われない。 空っぽだから、妖怪が恐れる。
──俺は、本当にまだ“人間”なのか?
闇が深く沈む。 その中で、自分の鼓動だけがやけに大きく響いていた。
最初に気づいたのは昨日の夜。 電気を消しても、窓から差し込む街灯の明かりが壁をぼんやり照らす。 そこに、どう見ても形のおかしい影があったのだ。
人の腕。 いや、腕のように見える黒いものが、じわじわと広がっていく。
俺は息を殺して見ていた。 瞬きをしても、視線をそらしても、影は消えない。 ──あの怪物が言っていた。 「見える」奴は、死ぬ。
それでも、俺はまだ生きている。
翌朝、会社で妙な噂を耳にした。
「また出たらしいよ、例の“連続不審死”」 「えー、今度はどこ?」 「駅の近く。男の人が倒れてたんだって。影がなかったって……」
影が、なかった。
ぞっとする。 まるで昨夜、天井でうごめいていた黒い腕を思い出させるような言葉だった。
俺はすぐに神崎に連絡した。 嫌な予感があったからだ。
電話口で神崎は短く言った。
「現場に来い。……お前も、見ておいたほうがいい」
駅前の路地裏。 人通りは多いはずなのに、なぜかそこだけ空気が淀んでいた。 救急隊が去ったあとらしく、残された黄色い規制テープが風に揺れている。
「ここだ」
神崎が指差した場所には、まだ人の形が残るような影がアスファルトに焼き付いていた。 だが、それは“人の影”ではなかった。
胴体から何本もの腕が伸び、のたうち回るように形を歪ませている。
「……影喰い、か」
神崎が低く呟く。
「影を媒介にして、人の魂を奪う妖怪だ。宿主の影を食い破って、餌にする。……被害者は、もう戻らん」
俺は言葉を失った。 影を食う。 つまり──昨夜、俺の天井にいたものと同じじゃないか。
「神崎……」
「分かっている。お前の部屋に現れたのだな?」
図星だった。 頷くしかない。
神崎は険しい顔で俺を見据えた。
「普通なら、とっくに命を奪われている。……だが、お前はまだ生きている」
「……俺が“空っぽ”だからか?」
自嘲気味に言った俺の声は震えていた。
神崎は何も答えず、代わりに符を取り出して地面に貼り付けた。 符はじゅっと音を立て、煙を上げる。
「近くにいる。……狙いは、お前だ」
その言葉に、背筋が冷えた。
夜。 部屋に戻ると、再び天井に“それ”がいた。 黒い腕が無数に蠢き、壁を這い降りてくる。
「来やがった……」
声が裏返った。 全身の毛穴が開くような嫌悪感。 なのに、逃げられない。
黒い腕が、俺の体に触れた。 ひやりとした感覚。 だが、何も奪われない。 俺の影は、食い破られない。
代わりに──腕は困惑したように、震えていた。
「……餌じゃない?」
妖怪が、俺に対して怯んでいる。 そのことに、背筋がさらに寒くなった。
だが次の瞬間、扉が開き神崎が飛び込んできた。
「佐伯、下がれ!」
符を投げつけ、炎が走る。 黒い腕が焼け、苦悶の声が響いた。
「っぎィィ……!!」
部屋の空気が歪む。 影が煙のように弾け、消えていった。
神崎は荒い息をつきながら俺を睨んだ。
「……やはり、お前は“狙われていない”。むしろ──妖怪のほうが、お前を恐れている」
「……俺が、人間じゃないから?」
問いかけると、神崎は沈黙した。
その無言が、何よりも雄弁に思えた。
影喰いの残滓が消えた部屋で、俺は壁に背を預けた。 手が震えて止まらない。
空っぽだから喰われない。 空っぽだから、妖怪が恐れる。
──俺は、本当にまだ“人間”なのか?
闇が深く沈む。 その中で、自分の鼓動だけがやけに大きく響いていた。
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