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第六話 囁く影
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夜は静かすぎた。
昨日の戦いの痕跡がまだ残る部屋で、俺は天井を見つめていた。 壁に焼け残った符の跡、焦げたような黒い染み。 どれも現実感がなく、夢を見ているようだ。
けれど、夢じゃない。 俺は妖怪を見たし、襲われたし──それでも生きている。
「……空っぽだから、か」
自嘲気味に呟く。 神崎に言われた言葉が、何度も胸を抉る。
人間である証はどこにある? 記憶か? 血か? 心か? もしそのどれもが欠けていたら、俺は何なんだ?
──そのとき。
耳元で声がした。
「……見える、見える……お前は、違う……」
ぞくりと背筋が凍る。 視線を動かすと、壁の影が揺れていた。
人の形をした影。 だが顔がない。 黒い空洞のような穴だけがこちらを覗いている。
「また……影喰いか?」
思わず立ち上がる。 だが、違う。 これはあの化け物とは別の気配だった。
「……お前は喰えない。喰えない、だから……」
影が囁く。 声は男とも女ともつかず、ただ耳の奥に直接響く。
俺は恐怖よりも、理解できない苛立ちを覚えていた。
「だったら、なんで俺の前に現れるんだ。俺は……何者なんだよ」
返事はなかった。 ただ、影がゆらりと揺れ、床を這い回る。
やがて、窓の外へと溶けるように消えていった。
残されたのは、心臓の鼓動だけ。 俺の体が強く震えているのに気づいた。
翌日、神崎に会った。 彼は相変わらず無愛想な顔で俺を迎える。
「また現れたのか」
「……ああ。今度は喰おうとしなかった。ただ、囁いただけだ」
「囁いた?」
神崎の眉が動いた。 俺は影の言葉を正直に伝えた。
神崎は長い沈黙のあと、低く言った。
「……妖怪が“喰えない人間”を恐れ、避けることは稀にある。だが、語りかけるとはな」
「どういうことだ?」
「お前を“仲間”だと見ているのかもしれん」
思考が止まった。
仲間。 俺が、妖怪の?
「冗談じゃない……俺は人間だ」
声が震えていた。 自分に言い聞かせるように。
神崎は俺をまっすぐ見て、冷ややかに告げる。
「そう願うなら、証明しろ。……お前が本当に人間であることを」
「証明って……どうやって?」
「それは、これから探る」
神崎の目に、疑念と警戒が濃く宿っていた。 それは俺を守る者の目ではなく、監視する者の目だった。
帰り道。 夕暮れの街は人で溢れているのに、俺にはその雑踏が遠い世界のものに思えた。
笑い声、携帯を覗き込む姿、誰かの手を引く仕草。 全部が俺には眩しく、同時に届かない。
──空っぽ。
影の声がまた耳に蘇る。 あれは幻聴だったのか? それとも、本当に俺の存在を“何か”が認識しているのか?
信号が青に変わる。 人の流れが動く。 俺も歩き出そうとしたとき、ふと気づいた。
俺の影が──なかった。
「……え?」
慌てて足元を見下ろす。 街灯の下でも、ネオンの光でも。 周囲の人間には影があるのに、俺の影だけが消えていた。
吐き気が込み上げる。 膝が震え、呼吸が浅くなる。
その瞬間。
背後で、あの囁きが響いた。
「……やっぱり、お前は……」
振り返ったときには、誰もいなかった。 ただ、夜風が冷たく頬を撫でただけだった。
部屋に戻っても、影は戻らなかった。 電気をつけても、月明かりの下でも、俺には影がない。
その事実が、何よりも恐ろしかった。
俺は本当に、人間なのか? それとも──もう、とっくに。
胸の奥で答えの出ない問いが渦巻き、眠れぬ夜が始まった。
昨日の戦いの痕跡がまだ残る部屋で、俺は天井を見つめていた。 壁に焼け残った符の跡、焦げたような黒い染み。 どれも現実感がなく、夢を見ているようだ。
けれど、夢じゃない。 俺は妖怪を見たし、襲われたし──それでも生きている。
「……空っぽだから、か」
自嘲気味に呟く。 神崎に言われた言葉が、何度も胸を抉る。
人間である証はどこにある? 記憶か? 血か? 心か? もしそのどれもが欠けていたら、俺は何なんだ?
──そのとき。
耳元で声がした。
「……見える、見える……お前は、違う……」
ぞくりと背筋が凍る。 視線を動かすと、壁の影が揺れていた。
人の形をした影。 だが顔がない。 黒い空洞のような穴だけがこちらを覗いている。
「また……影喰いか?」
思わず立ち上がる。 だが、違う。 これはあの化け物とは別の気配だった。
「……お前は喰えない。喰えない、だから……」
影が囁く。 声は男とも女ともつかず、ただ耳の奥に直接響く。
俺は恐怖よりも、理解できない苛立ちを覚えていた。
「だったら、なんで俺の前に現れるんだ。俺は……何者なんだよ」
返事はなかった。 ただ、影がゆらりと揺れ、床を這い回る。
やがて、窓の外へと溶けるように消えていった。
残されたのは、心臓の鼓動だけ。 俺の体が強く震えているのに気づいた。
翌日、神崎に会った。 彼は相変わらず無愛想な顔で俺を迎える。
「また現れたのか」
「……ああ。今度は喰おうとしなかった。ただ、囁いただけだ」
「囁いた?」
神崎の眉が動いた。 俺は影の言葉を正直に伝えた。
神崎は長い沈黙のあと、低く言った。
「……妖怪が“喰えない人間”を恐れ、避けることは稀にある。だが、語りかけるとはな」
「どういうことだ?」
「お前を“仲間”だと見ているのかもしれん」
思考が止まった。
仲間。 俺が、妖怪の?
「冗談じゃない……俺は人間だ」
声が震えていた。 自分に言い聞かせるように。
神崎は俺をまっすぐ見て、冷ややかに告げる。
「そう願うなら、証明しろ。……お前が本当に人間であることを」
「証明って……どうやって?」
「それは、これから探る」
神崎の目に、疑念と警戒が濃く宿っていた。 それは俺を守る者の目ではなく、監視する者の目だった。
帰り道。 夕暮れの街は人で溢れているのに、俺にはその雑踏が遠い世界のものに思えた。
笑い声、携帯を覗き込む姿、誰かの手を引く仕草。 全部が俺には眩しく、同時に届かない。
──空っぽ。
影の声がまた耳に蘇る。 あれは幻聴だったのか? それとも、本当に俺の存在を“何か”が認識しているのか?
信号が青に変わる。 人の流れが動く。 俺も歩き出そうとしたとき、ふと気づいた。
俺の影が──なかった。
「……え?」
慌てて足元を見下ろす。 街灯の下でも、ネオンの光でも。 周囲の人間には影があるのに、俺の影だけが消えていた。
吐き気が込み上げる。 膝が震え、呼吸が浅くなる。
その瞬間。
背後で、あの囁きが響いた。
「……やっぱり、お前は……」
振り返ったときには、誰もいなかった。 ただ、夜風が冷たく頬を撫でただけだった。
部屋に戻っても、影は戻らなかった。 電気をつけても、月明かりの下でも、俺には影がない。
その事実が、何よりも恐ろしかった。
俺は本当に、人間なのか? それとも──もう、とっくに。
胸の奥で答えの出ない問いが渦巻き、眠れぬ夜が始まった。
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