己が為に死ぬ

濵野々鳴杜

文字の大きさ
上 下
1 / 3

お前たちの為に死ぬんじゃない

しおりを挟む
 波に乗った時、海と一つになったと思える感覚が心地よくてやめられなかった。
 

 始めた当初は何度も辞めようって思ったんだ。

 まず波を捉えるのも難しいし、サーフボードの上でバランス感覚を維持するのも難しい。
 

 時間だって限られている。波に乗れるタイミングは一瞬でこれを逃せば次はいつ来るかわからない波を待ち続ける。

 正直言って続けるつもりはなく、付き合いという惰性だった。

 そうやって何気なく何年も続けて不思議と悪くないと思うようになった。

 季節とか関係なくこの海にやってくる。夏になると海水浴を楽しむ観光客が大勢押し寄せてそれはそれで風情を感じて良いのだが、冬が一番良い。

 まず人が居ない。一人で来た時には耳に入ってくるのは波音と、海岸沿いに住んでいる野良猫の泣き声がほんの微かに聞こえてくるだけ。

 波が殆どなくてもサーフボードに寝転がって浮遊しているこの感覚が溜まらない。
 

 浮遊感と波音を楽しんでいると身体の力がすっと抜けて蕩けてくる。

 蕩けてきた頃に頭を過る思考。

 ――このまま流されてしまいたい

 極上ともいえるこの時の中でも、どうしても日常を思い出してしまう。世間的にはまだ若いとは言え、同年代には負けないくらいの努力をしてきた自負がある。

 その努力の成果が出るのは大変喜ばしい。どんどん重要な位置に抜擢され注目を集めるようになる。

 最初は嬉しかった。周囲から期待される事の喜びが明日を頑張れる希望となった。
 

 七年前は全く通知のなかったスマホも今では通知が鳴りやまないくらい。

 今の僕はまさに順風満帆。世間から見たら間違いなくそう思うはずだ。僕自身もそう感じている。

 汐の味をを舌で感じながら海水で濡れた髪を後ろへと搔き分ける。

 砂を足に感じた時にふと思うのは重力という枷。

 この枷という感覚が剥がす事が出来ず、纏わりついて気持ち悪い。
 
 空しか見ていなかった為か、眼前に広がる陸地の景色が濁って見えた。

 濡れた髪をタオルで軽く乾かしてから、堤防沿いにある階段に座り込こみ、空を見上げ大きくため息。

 なにも流されてしまいたいという思考は今に始まった事じゃない。

 今まで流れに身を委ねてきた。人が作り出す社会の波に身を委ねてきた。

 この波に乗るのも最初は苦労したんだ。沢山稽古して、自問自答を繰り返し、先輩方の技術を模倣してようやく乗ってきた波。

 波に乗る事に夢中になっている間は良い。次第に周囲の音を聞く余裕が出てくる。期待、称賛、声援、嫉妬、嫌悪。

 当たり前についてくるものではあるが波に集中したい僕にはどうにも五月蠅い。

 ついこの間気が付いたんだ。この感覚は、海から陸地へ感じる重力。枷がはめられた感覚にとてもよく似ている。

 もっと自由で居たい。なんの音もない中で一人ただ波に乗る事に集中したい。

 風に流されるあの雲のように流れていきたい。

 サーフボードに浮遊してあのまま海の果てまで流れていきたい。

 荷物から電話の音が鳴りやまない。

「しょうがない。帰ろう」

 リーシュコードを片手に荷物をまとめた。

 次の日には僕のニュースが沢山あるだろう。
 
 悲しんでくれる人も居るのだろう。

 それでも僕は音のない世界へと流されていきたい。
しおりを挟む

処理中です...