バー木蓮 比呂乃ママと一杯いかが?

くうちゃん

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第2部 カフェ木蓮

第2部最終第5話 ケンちゃんのおむすび

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 比呂乃は、店への出勤途中、いつもどおり弁天様に寄り、貴和子のこれからをお守りくださいと念じていた。祈り終えた比呂乃の足元に、池の中で独特の姿をした白い鯉が、長いひれをヒラヒラ揺らしながら真っ直ぐ泳いできて、大丈夫だよと言ってくれているような気がした。
 貴和子は海外に旅立つころだ。
 週はじめ、貴和子が「木蓮カフェ」に来たとき、バータイムでの出来事を報告した。貴和子の書いた原稿をみんなで読んで、お互いの経験談やらを話すことができて、なかなか意義深かったということや、しかし作品としては問題があると思うことなどを正直に伝えた。
「ホント?嬉しい。」
 貴和子は、やはり作品評には興味がないらしい。それぞれが自分の経験を分かち合って貰えたということが嬉しいとだけ言った。
「わたしが書きたいものって、上手く書けないことがわかった。比呂ちゃん、いろいろしてもらって、ありがとう。」と丁寧に頭を下げて言ってから、アールグレイを一口飲んだ。
 そして、思い出したかのように、オーストラリアへの旅券を比呂乃に見せた。
「どうしたの?」と尋乃が尋ねると、
「私なりに書くことで、ずいぶん解放されたわ。実はね。ずっと行ってみたかったオーストラリアに渡ることにした。向こうで催眠療法や瞑想方法について学んでくるわ。」
「そう。」
 貴和子なりに必要なものに出逢えたのだろう。迷走しながら彼女がしたいことに出逢えてよかったと、比呂乃は、友人の旅立ちを祝福した。
「元気でね。」
「ありがとう。」
 別れを前に二人は固く握手し、抱擁した。
 そして、貴和子は、白いシルク地のワンピースの裾を揺らしながら、軽やかに静かに店を出ていった。
 
 旅立つまで、貴和子はもう店には来ないだろうという比呂乃の勘はあたった。店への道を歩く比呂乃には、秋の風が肌寒く感じられ、別れの淋しさを助長する。一生会えないわけでもないのにね。そんな風に思いながら、比呂乃が店に辿り着いたとき、店の前に二人の男性の影が見えた。
「ケンちゃん!来てくれたの!?」
 一瞬にして胸にあたたかい空気が流れ込んで、比呂乃は大きな声を上げていた。
「おう、比呂ちゃん。ども!」
 ケンちゃんは、比呂乃とは昔ながらの友達である(第1部第2話)。
 ケンちゃんは、人生の途中、精神的な落ち込みにあい、訓練を受けたスタッフが中心に立ち上げたリハビリ施設に通っていた。今はその関連事業所で農作業を仲間とともにしており、比呂乃から見ても、最近特に素敵になってきている。
 今日は珍しくジャケットにスラックス姿である。
「こっちは、同僚のヒロだ。」
 隣にいる、同じ年くらいの少し背の高い男性を紹介してくれた。
 比呂乃は男性に挨拶した。
「はじめまして。比呂乃と申します。」
「ヒロです。よろしくお願いします。」
「ひろひろだんべ?」
 どこの訛りを真似たものか、ケンちゃんがひょうきんに言って、場を和ませてくれた。
 立ち話もなんだ。
 とにかく、店を開けて、気の置けない友達同士、適当に手伝ってもらったり、冗談を言い合いながら賑やかに開店準備をしていたら、比呂乃は貴和子のことで沈んだ気持ちが晴れて、自分本来の陽気さが戻ってくるのを感じた。
(ケンちゃんが来てくれてよかった。)
「比呂ちゃん、これなーんだ?」
「ん?なに?」
 ケンちゃんが差し出した包みの中を覗き込むと、紙箱の中に綺麗におにぎりが三つずつ、並べてあった。
 聞くと、ケンちゃんが働いている事業所でとれた新米の販売促進のため、おにぎりを売ることになったものらしい。一つずつ食べやすいように、フィルムは使わず薄皮の竹を模した包装紙でくるんである。
「とりあえず、サンプルみたいにこいつらを、こっちの百貨店の催事場で売ってるから、見に来たんだ。」
「こいつらって、おにぎりのことね。」比呂乃が言った言葉を真似して、
「おにぎりって、おむすびのことね。」ケンちゃんが茶目っ気たっぷりに話しながら、箱の中の一つを取り出し、包装紙に印刷されたロゴを見せてくる。
 赤いひょうたんの中に白抜きで「縁起結び」と書いてある。
「あっホント、おむすびね!かわいい!」
 比呂乃が言うと
「おにぎりとおむすびの違いってあるんだっけ?」
「さあ、私に聞かれてもわからないわ。
でも、たしかに昔はおむすびとも言ってたわね。また調べておくわね。」
 比呂乃は、頂いたおむすびを有難く頂戴し、一つずつを皿に取り分けた。
「新米って、本当美味しいよね。」
「ホントホント。」

「で、比呂ちゃん。例の話だけど。ヒロがやりたいっていてるんだ。」
 少し遡ると、バー木蓮の感謝祭を前に、カフェの営業も始めると決めた時、ササやんと相談してリフォームを行った(第1部最終話)。
 カウンターの奥に、ワインセラーを置いていた小部屋があったのだが、ここを改装して、簡単なテーブルとチェアを置き、タロット用のブースとした。ワインセラーをオークションで処分したら、それなりな値が付き、備品の費用を余裕で賄えた上に、お洒落な扉まで新調できた。
 落ち着いたシェアリングができるように、温かいオレンジ色の壁かけランプも設置してもらい、友人が送ってくれたピカソの「花束」の小さな額縁も飾った。
 そんな風に始まったカフェ営業とタロットの個人鑑定だった。
 少しずつだけれどお客様に来てもらえるようになり、タロットの予約も時々は入る。いまでは、近くの病院や介護施設で働く看護職、介護職のお客様が、コーヒーのテイクアウトを注文してくださるようにまでなった。
 そうこうするうちに、折角、ササやんがこんなに綺麗で落ち着ける雰囲気にリフォームしてくれたブースなんだし、空いているのはもったいない。少しでも利用料が頂けるならありがたいと、比呂乃は考え、タロット予約の無い時間に利用してくれる方を募集しだした。ケンちゃんにも電話でお願いしていたのを、覚えていて、今日ヒロさんを連れてきてくれたようだ。
 ヒロはラジオを配信したいんだという。
「ラジオですか?」
 比呂乃はそんなことが個人でできるのか?そしてメリットはあるのだろうか?という疑問が沸いた。
「今は、いろんなアプリがあるんですよ。」
 ヒロは続ける。
「ケンちゃんをはじめとする仲間たちと過ごした日々の中で得た経験や気づき、今ここにある喜びを感じながら、ゆっくり自分なりに趣味的に配信をしてみたいと思ったんです。」
「どうしてここを?」
「家でできることなんですけど、同居人に気を遣わせるのも何だし、それ以上に、こういったコーヒーの匂いのする場所が落ち着くんです。」
 ヒロさんは曙橋の近くに知人が住んでいて、介護を兼ねて一緒に住みだすんだという。比呂乃自身も似たような生活をしており、なんだか親しみを感じた。
「ヒロさんがして下さるなら、嬉しいわ。
仲よくしてね。」
 と、右手を差し出した。
 ヒロも手をのばし、その手を握った。
「良かった。良かった。」とケンちゃんが、
二人の手の上に両手を添えて、こうしてご縁が結ばれた。
 ケンちゃんの胸ポケットで、昔、比呂乃から貰った大神宮のお守りの鈴が、優しく鳴っていた。

 第2部終わり
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