白の甘美な恩返し 〜妖花は偏に、お憑かれ少女を護りたい。〜

魚澄 住

文字の大きさ
2 / 50
第1章 死神はとても麗しく

01話

しおりを挟む

 四十九日。
 縁もゆかりもなかったはずの言葉は、蝉の声が染み入るのと併せ、 花籠はなかごみさき に踏み入った。

 この世との世をさまよう期間——母の命日から数えて、先週の月曜が四十九日目。

 そっか……だから、こんなに空っぽなんだ。
 岬は空を仰ぎながら帰路を進む。灼熱、四時を回っても日差しが弱まる気配はない。しかし、岬の額には汗ひとつ滲まなかった。コンクリートから伝う熱気すら、感じることができなかった。

 夏休み明け初日、始業式なのに授業があって、みんな不満を零していたなぁ。それでも、久しぶりにクラスメートと顔を合わせるのは嬉しいのか、式が始まる直前まで随分とにぎやかだった。

 ——— " 今日は学校、どうだった? ”

 母の常套句が、乾ききったこころを巡る。
 ……もう聞かれることはない。解っているはずなのに、どうして答えを用意してしまったのだろう。決して当事者にはなれない・・・・・・・・・学校での出来事をうまく繕う癖は、たった二ヶ月弱ではそう抜けない。
 それでも、培った嘘を手放すことでさえ出来なかった。素直に嘘を受け入れる母の甘さに、毎日癒されていたから。

「あれ……」

 母の微笑みを浮かべながら、岬の視界はグラリと揺れる。ここ最近、めまいと息切れがとくにひどい。
 ……やっぱり、“あの約束”を守っていないから?首にぶら下げたペンダントを弱い力で握りしめる。母がくれた、形見だった。

 ———『少しでも辛くなったら、必ず身体に“摂り込む“こと。リリィはあなたを守る、大切な薬だから』

 リリィ……そうだ。物心ついたときから傍にあった、鈴蘭の花。
 母がたいそう大事に育てていたから、岬もそれにならった。いつか本当に鈴の音を鳴らすではないかと実は試したことがある。白く垂れた、小さくて可憐な花。

 “Lily of the valley”

 リリィは英名からとった愛称だ、と教わったときには、その見かけにピッタリだと思った。でも、Bellが見当たらないことにはこっそり肩を落とした。

『ペットでもないのにどうしてお花に名前をつけるの?』

 尋ねたとき、母が『私たちの家族だもの』と微笑んだのを覚えている。太陽のように朗らかで、強ささえ垣間見える笑みに、岬は幾度も救われた。


 孤独だった岬の、唯一の居場所は母だった。

 とある“特異体質”ゆえに同級生からは避けられ、友人関係を築いた試しもない。葬儀に参列するまで、親族の顔など見たこともなく、故に太陽以外の光を知ることは、これまで一度も無かった。

 だから、私はもう……生きる理由なんてないんだよ。お母さん。

 目の前に佇む築数十年の鉄骨アパート、母との思い出がつまる1DK。

『ここは手放したくないでしょう?通学にも便利だし。……ほら、うちだと遠いから』
『うちは子ども3人で手一杯なのよ。ごめんねぇ』

 盛大な葬儀のなか、はじめて会ったばかりの親族から煙たがられている、と瞬時に悟った。
 理由は明白。未婚のまま赤子を授かった母が、名家の恥と晒されていたことを知っていた。交際相手に『見限られた』、父親は『はしたない男』と揶揄の声があったことも葬儀の場で聞こえてきたけれど、何も揺らがなかった。

 最期に、綺麗に化粧を施された母の顔以外、重要なことはなかったから。

「……」

 朦朧とした意識のなかで階段を上り、家の扉を開く。心なし息が苦しい。カラカラと乾いた喉が、体の管を締め付けていく。

 お母さんの言った通り。リリィは本当に、私の命を繋ぎとめてくれていたんだね。

「でも……もういいや」

 バタン———。
 ローファーを履いたまま、岬は狭い玄関に倒れ込む。ひんやりとした床の温度で、自分の身体は猛暑にさらされていたのだと、きわになって思い知る。
 段々、温度の差も感じなくなって、きっとこのまま私は———お母さんのもとへ旅立つの。
ああ、よかった。また、すぐに会えるよ。四十九日から一週間、完全に彼の世へ逝ってしまった居場所に、きっと、すぐに。


阿呆あほう……勝手に逝くな」

 岬が男の声を聞いたのは、意識が遠のく寸前。艶のある低い声は印象的、それでもぶっきら棒に落とされた言葉の意味は、何一つ届いていなかった。

「悪いが、起きてもらうぞ。岬」

 ぬるい体温が唇に触れる。視界は暗闇に包まれているはずなのに、傍にリリィがある・・のだと確信した。よく摂りこんでいた香りが漂ったからだ。清廉で可憐な香り。岬は一層安堵に包まれ、深い淵へと堕ちていった。

 もっと深く。戻れないくらい深く。戻れなくたって構わない。———そう捧げていたから、


「ようやくお目覚めか」

 上からぬっ、と覗き込む白髪の男が見えたとき(この人は閻魔えんま大王さまかイザナギさま、どちらだろう……)と岬は巡った。

「私……悪いことはしていないので、出来れば天国へ行きたいです」

「……なんだ。俺を摂りこまないうちに、耄碌もうろくしたのか」

 どこか呆れた様子の男は腰を下ろし、視線を沈める。横たわっている自分の身体も一緒に沈んでいることに気が付き、岬はベッドの上にいることをようやく悟った。
 暑さに蒸れたベッドの先、視線をすこし持ち上げると白髪はくはつの男が額を押さえている。

「岬」

 そして、当たり前のように名前を呼ぶ。岬は肩を竦ませ、初めてピタリ視線を合わせた。
 切れ長の吊り目に、鈍色の瞳。白髪は糸を垂らしたように綺麗で、かつ細い。肩を撫でるくらいの長さが、男性にしては似合っていて、印象的。じりじりと距離を詰める眉目秀麗を見据えて、岬は口をキュッと結ぶ。男と分かるのに、“美人”と称えたくなるほどの風体だった。

「一応言っておくが、お前は母親のいる極楽にはいけないぞ」

「え……」

 身体を起こすと、頬に白髪がサラリと触れる。近くで見ると、彼は一層美人だった。

「正しくは、まだ、だな。お前はまだ死んじゃいない」

 にやり、弧を描く口角に視界を奪われる。
 死んでいない……それなら、ここはやっぱり私のベッドの上で、この殿方は一体何者なのか。岬はシーツに身体を滑らせて、怪しい男から距離をとった。

「あの……そうだとすると、あなたはどなたでしょうか……。もしかして、死神?」

 死に際に現れる死神なら、この状況も納得がいく。迎えにきた、と言われれば手を伸ばす。しかし彼が放った言葉は神でも、ましてや大王でもなかった。

「“リリィ”だよ」

「……へ?」

「あの花瓶に生けてあった、鈴蘭だ」

 開いた口が塞がらない。まさか、と思い視線を移す。同時に、彼の細長い指で差された先には窓際に飾られた花瓶があり、生けていたはずの鈴蘭リリィだけが姿を消していた。

「まぁ、この機会に呼び名を改めてもらいたいところだが。……とりあえず、飯食うか?」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました

ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。 ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。 王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。 そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。 「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

さようなら、私を「枯れた花」と呼んだ貴方。~辺境で英雄を救って聖女と呼ばれたので、没落した元婚約者の謝罪は受け付けません~

有賀冬馬
恋愛
「お前のような見栄えの悪い女は、俺の隣にふさわしくない」 婚約者アレクに捨てられ、辺境へ追いやられたセレナ。 けれど、彼女が森で拾ったのは、アレクなど足元にも及ばないほど強くて優しい、呪われた英雄ライアンだった。 セレナの薬草が奇跡を起こし、王都を救う特効薬となったとき、かつて自分を捨てた男との再会が訪れる。 「やり直そう」と縋り付くアレクに、セレナは最愛の人と寄り添いながら静かに微笑む。 ――あなたが捨てたのは、ただの影ではなく、あなたの未来そのものだったのですよ。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

処理中です...