白の甘美な恩返し 〜妖花は偏に、お憑かれ少女を護りたい。〜

魚澄 住

文字の大きさ
21 / 50
第5章 理性の破綻は著しく

20話

しおりを挟む

 いつになく気分の悪い寝覚めだった。

「いってらっしゃい、厘」

「……」

 翌朝。両手足にかせをつけた岬の身体が、物憂げにこちらを見上げる。地べたで器用に足を折る。その窮屈な様に、胸は強く締め付けられた。

「精々大人しくしていろ」

 ……動揺するな。こいつは早妃であって、岬ではない。厘は懸命に言い聞かせながらアパートを出る。本来ならずっと見張っていたいところだが、仕方ない。せめて家から出ないよう、ああして手錠と足枷を施し食い止めるしか方法は無かった。
 監禁さながら。アレを宇美が見ていたとしたら、と考えるだけで悍ましい。しかしそれよりも、手枷足かせに縛られた岬の姿に、全身が粉々になりそうなほど脈を打った心臓が、なにより一番悍ましい。

「———あそこまでやるって、お前ムッツリってやつだろ」

 ボコン———。ため息を吐き出す最中、横から響いた嘲笑に、厘は拳を振り下ろした。

「……っ!痛ぇだろうがこの野郎!」

「ああ。すまない」

 淡々と心にもない謝罪を放ると、庵は解せない様子で「お前……実は俺より暴力的だろ」と後頭部を擦った。

「だろうな。お前は逆に猫を被っていないか? 殊更、岬の前では」

「っ、んなこと……あるわけねぇだろうが、」

 徐々に細くなっていく声が図星を物語っている。癪に障る。……だが、と厘は不満を飲み込み、咳を払った。

「まぁいい。今日は頼んだぞ、庵」

「言われなくてもわかってる……んなことより急なんだよお前、色々と」

 文句を垂れながらも、庵は銀杏の葉を取り出し、柄の部分を指に挟む。黄金色の扇をそっと唇に添える。

 ヒュウッ———。
 庵の身なりに似合わず、隙間から細く響き渡る。葉笛のように、一直線に音は往く。厘が鈴を鳴らすのと同じく、それは妖術の発動合図だった。


 ———遡ること、数時間前。

「……はぁ?憑依だと?」

 下弦の月が見下ろすアパートの上。厘は不本意ながら、庵に打ち明けた。岬の特異な体質と置かれている状況について、それはそれは丁寧に説いた。

「夢魔が憑いている。しばらくお前は離れて寝ろ。雄の強い者は奴の天敵だ」

「……別に平気だろ。今まで通り、屋根の上なら」

「駄目だ」

 お前が我を失い、岬を襲いだしたらどうするつもりだ。たとえ中身が早妃であっても、俺は容赦なくお前を葬るぞ。そう加えると、庵はようやく観念した。脅しではない、と嗅覚が働いたのだろう。

「……それで、どうすんだよ。いつ出てくるかわかんねぇんだろ」

「ああ。問題はそこだ」

 厘は腕を組みながら、瓦の上で広げられる器用な胡坐を見据えた。

「お前、何か妙案はあるか?」

「は?」

 仮にも葬ると放った相手に、一体何を頼るというのか。庵の表情はそう語っていた。

「一つは明日からの学校。通常なら欠席でも問題ないが、どうやらテスト期間らしい。あいつは特待生……つまり、テストを放れば困窮に拍車をかけるわけだ」

「……あのナリで勉強できんのか、あいつ」

「母親譲りだろう。記憶力がとくに優れている」

「気持ち悪ぃほど詳しいな、お前」

 ボコン———。厘は眉を持ち上げ、悪態をついた頭上に拳を食らわせた。

「で、本題は二つ目だ」

「華麗にスルーすんじゃねぇ!」

「手が滑っただけだ。喚くな」

「っ、……いつか痛い目見せてやる……」

 なんだ、やり返してこないのか、と一瞬目を見張り、先を続けた。

「もう一つは、その中身にいる夢魔をどう追い出すか、だ」

「あぁ?知らねぇよそんなもん」

「考えろ。岬の命に関わる」

 後半を強調すると、庵は頭を抱えて唸りだす。「命だぁ?」と何度も重ねながら、ため息も混じる。その様子は真剣と呼んでも相違なく、岬の名を出したのは正解だったらしい。

「……前者の方は、俺がなんとかできる。お前が協力すれば、だけどな」

 やはり、正解だった。

「なんだ」

「俺の妖術で、周りにお前を岬だと思わせる。……面倒くせぇが、できなくはない」

 そういえば、庵はその妖術で学園に居座れているのか。すっかりなじんだ制服姿を横目に、庵が転入した経緯を思い返した。

「俺のできる範囲は、姿と声色を刷り込むだけだ。つまり、岬に見えるかどうか……言動は全て、お前の裁量次第だからな」

「わかっている。問題ない」

 問題は、後者———夜風に当たりながらしばらく沈黙が続く。それを破ったのはまたしても庵だった。

「お前、鈴蘭だよな」

「……それがどうかしたか」

「なら、使え・・———」

 次に、庵の放った言葉が的を得ていたことは事実。厘は納得し、同時に眉間を摘まむ。妙案ならぬその “方法” とは、出来る限り、厘が回避したいと考えていた案だった。


 ——————……

「おい。もうかかってるからな、術」

「ああ。分かっている」

 案ずるな。岬の歩き方、食べ方、筆跡、何についても模倣は容易い。心の内で自負する厘を横目に、庵はほくそ笑んだ。

「感謝しろよ、俺様に」

「そうだな。だが、これは贖罪しょくざいに過ぎん。お前が岬にした所業へのな」

「……つーか、なんで縛ったんだよ。岬の身体、傷つけたくねぇんだろお前」

 都合が悪いときはすぐに話と視線を逸らす。不本意ながら、自分を見ているようで腹が立った。

「他の男に晒されるよりマシだ」

「ああ……まぁ、確かにな」

 珍しく素直な肯定にも同じく、腹が立った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

【完結】『左遷女官は風花の離宮で自分らしく咲く』 〜田舎育ちのおっとり女官は、氷の貴公子の心を溶かす〜

天音蝶子(あまねちょうこ)
キャラ文芸
宮中の桜が散るころ、梓乃は“帝に媚びた”という濡れ衣を着せられ、都を追われた。 行き先は、誰も訪れぬ〈風花の離宮〉。 けれど梓乃は、静かな時間の中で花を愛で、香を焚き、己の心を見つめなおしていく。 そんなある日、離宮の監察(監視)を命じられた、冷徹な青年・宗雅が現れる。 氷のように無表情な彼に、梓乃はいつも通りの微笑みを向けた。 「茶をお持ちいたしましょう」 それは、春の陽だまりのように柔らかい誘いだった——。 冷たい孤独を抱く男と、誰よりも穏やかに生きる女。 遠ざけられた地で、ふたりの心は少しずつ寄り添いはじめる。 そして、帝をめぐる陰謀の影がふたたび都から伸びてきたとき、 梓乃は自分の選んだ“幸せの形”を見つけることになる——。 香と花が彩る、しっとりとした雅な恋愛譚。 濡れ衣で左遷された女官の、静かで強い再生の物語。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜

二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。 そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。 その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。 どうも美華には不思議な力があるようで…?

処理中です...