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第5章 理性の破綻は著しく

21話

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 岬に扮装ふんそうした一日。四教科のテストに関してはもちろん、特段問題は生じなかった。全く支障は無かった。全く、だ。

「……お前、もう岬のフリすんのやめとけよ」

「なんだ。ついてきたのか」

 帰り道。後ろを振り返ると、庵が苦虫をつぶしたような顔でこちらを見据えていた。「お前にはもて余す役割だった」「素人にも見抜かれる所業だ」などとぬかしていたが、聞く耳を持たなかった。

「明日には元に戻れるんだろうな?」

 岬に扮する日々が続くことを、庵はよほど案じているらしい。厘は寄せたくなった眉を堪え、「まぁ、おそらく」と息を吐いた。

「煮え切らねぇな……。とりあえず俺はもうごめんだ。お前に術をかけるのはな」

 クシャッ、と金髪を乱しながら放つ庵を横目に、思い返した。周りから敬遠されている岬の立ち位置。そして、妙に居心地の悪い教室の様子がこびりついたまま離れない。
 乱暴な庵はともかくとして、温厚でお人好しな岬が孤立する理由に、心当たりはなかった。易々と苛立ちを覚えた。

「庵」

「……なんだよ」

「学校で、岬はいつも一人なのか」

 今も、生けられていたときも。岬は毎夕、「ただいま」と朗らかな笑みを浮かべ帰宅する。そして、宇美も同じように目を細め、常套句をなぞる。

 ———『おかえり、岬。学校はどうだった?』

 岬の答えは毎度具体的で、聴いているだけの間も情景が手に取るように浮かんだ。順序立ても、まるで準備を拵えたかのように、彼女は歯切れよく話した。
 しかし、思えば確かに。周りの出来事についてはよく話していたが、自身を取り巻く手の話はほとんど無かったように思う。

「俺はクラスが違うからな。いつもかどうかは知らねぇけど……まぁ、一人だな。大体」

「だろうな。岬自身ではなく、周りが避けている。それは今日で痛感した」

 いや “させられた” と言った方が正しいか。あいつの居場所は、少なくともあの窮屈な箱の中には無かったと言える。……ああ、そうか。だから “母親との極楽” を望んでいたわけか。


「お前、またなんかキレてんだろ」

「……キレてなどいない」

 庵からの指摘に視線を背ける。存外、顔に思惑が出やすいのか、と口元を覆った。

「アッソ。まぁどうでもいいけど、……この後は・・・・絶対、上手くやれよな」

 言われるまでもない———返答は固唾に飲み込まれる。アパートの下、庵は朝と同じように銀杏の葉を口に当て、音を響かせる。

 午後二時、術の解除。

「庵、お前は念のため離れておけよ」

「ふん、偉そうに。分かってるっつーの」

「そうか。じゃあ、また明日」

 まさか、庵にこんなセリフを吐くことになるとは。存外、腰が引けているのか……情けない。

 厘は結んだ唇から笑みを零し、早妃の待つ1DKへ向かった。
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