白の甘美な恩返し 〜妖花は偏に、お憑かれ少女を護りたい。〜

魚澄 住

文字の大きさ
27 / 50
第6章 聖夜の夜は湿っぽく

26話

しおりを挟む

『あーあー、なんだ?結局リア充しかいねぇじゃねーか』 

 内側から久しく声が響いた時、岬は緊張の糸を弛ませた。同時に胸を撫で下ろした。対照に、厘は隣で「……頗る悪いタイミングだ」と眉を顰めた。

『クリスマス前ってのは本当に、チャラチャラとしてやがる』

「五月蝿い。少し黙ったらどうだ」

 ドスの効いた声が響く。聞き慣れたモノとは違う、しかし波長は確実に厘の声。向けられている相手は撞いている霊魂だ、と分かっているのに、微かに肩が震えた。厘を本気で怒らせないようにしなければ、と先程までとは違う意味でドキドキした。

『あぁ?なんだお前……俺が視えんのか?』

 しかし、中の声も負けず劣らず。少し掠れた野太い声で、口調はどちらかというと銀杏の庵に近い。

「視えるとも。それすら分からないとは……さては愚図か、お前」

 腕を組みながら、嘲笑わらう厘。無意識に感情を吐露してしまった、あのときに向けられていた表情とは、打って変わっていた。

『はぁ?何言ってんだ。つーかおい、オマエ!女!』

「……えっ、あ、はいっ」

 呼ばれた反動で、凭れた背筋がピンと伸びる。乗り物酔いが遠い昔に感じられるほど、体はよく火照っていた。

『お前は何者だ』

「何、と言われても……私は、」

『あぁん!? もっとデケェ声で喋りやがれ!』

 キィーンッ———。脳内へ電流が走るような衝撃に、岬はたまらず額を押さえる。内側の神経が鋭い刃に掻かれ、俯いた。

「岬」

 痛い、痛い。
 そう目を瞑る寸前、額に宿る厘のぬくもり。傍から見れば、熱を診ているかのような仕草だが、実際は違う。厘は岬の頭上に睨みを利かせ、「黙れ」と霊魂を鎮めようとしていた。

「大丈夫だよ、厘。私は大丈夫」

 温かい。自分の手を厘のそれに重ねた後、「あのね。貴方は、私に憑依しているんです」と岬は歯切れよく放った。周りの喧騒にかき消されないよう、はっきりと告げた。

『……憑依だと?』

 やはり、解っていなかったのだろう。想定外の状況に驚いたのか、先ほどよりもいくらか鋭さの抜けた声。どうやら、厘の形相もよく効いているようだった。

「もし不本意だったら、ごめんなさい」

「……」

 厘は、何かを逡巡する様子でこちらを見据える。彼の言わんとしていることに、岬にも思い当たる節があった。
 これまで憑依した霊魂には、必ず“憑く”という意志があって、“憑いてしまった”パターンはこれが初めて。早妃の悪霊憑依に続いて、特例と言えるケースに違いなかったからだ。しかし、幸いにも今日は———

「岬。日没まであとどのくらいだ」

「今が二時だから……あと、三時間くらいかな」

 岬が答えると、厘は「そうか」とほくそ笑む。彼も同じ考えが過っているのだろう、と確信する。

 ———今日は、満月だった。
 意志に関わらず、霊魂が離れざるを得ない夜が残り数時間で訪れる。満月を恋しく思うのは久しぶりだった。

『何だ、気持ちわりぃ』

「ああ、なんでもない。今日が今日で良かったと安堵しているだけだ」

『はぁ……?ワケわかんねぇ』

「だろうなぁ。男女の空気さえまともに読めない、その稚拙な頭では」

『……なんだァ?何か言ったか。はっきり物を言え』

「いいや、なんでもない」

 相手に聞こえないよう呟いたのは、岬の中で暴走するのを防ぐため。その配慮は彼らしいけれど、文句を垂れない、という選択肢を選ばないところも彼らしい。岬は密かに苦笑した。

「さあ岬、次はどこへ行く。体調はもう良いのか?」

「うん、平気だよ。どうしようか」

『おい待て、俺がいるのにイチャつくんじゃねぇぞ』

「妙に突っかかるな。お前、さてはモテないだろう」

『うっ、るせぇ……俺が生きてたらお前なんてなァ……』


 日没までの数時間。
 あれほど乗り物にはしゃいでいた厘は嗜好を変えたらしく、散歩がてら園内をひたすら巡っている。途中で見かけたチュロスや、季節外れのソフトクリームを頬張って、しかし時折真剣な瞳で岬の頭を撫でた。
 中の声に眉を寄せると、彼は優しく「平気か」と顔を覗き込む。その度、岬は笑ってみせた。時折、不安になって空を仰いだ。憑いている霊魂が苦手だということ以外にも、自分の身体に変化が起こっていることに、気づき始めたからかもしれない。 

 ……まだ蒸し暑かったあの頃に、極楽浄土を望んでいた私はもういない。厘と共に、生きていたい。

 岬は明確に、そして久しく自分の体調を案じる。心から、満月を待ちわびた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

【完結】『左遷女官は風花の離宮で自分らしく咲く』 〜田舎育ちのおっとり女官は、氷の貴公子の心を溶かす〜

天音蝶子(あまねちょうこ)
キャラ文芸
宮中の桜が散るころ、梓乃は“帝に媚びた”という濡れ衣を着せられ、都を追われた。 行き先は、誰も訪れぬ〈風花の離宮〉。 けれど梓乃は、静かな時間の中で花を愛で、香を焚き、己の心を見つめなおしていく。 そんなある日、離宮の監察(監視)を命じられた、冷徹な青年・宗雅が現れる。 氷のように無表情な彼に、梓乃はいつも通りの微笑みを向けた。 「茶をお持ちいたしましょう」 それは、春の陽だまりのように柔らかい誘いだった——。 冷たい孤独を抱く男と、誰よりも穏やかに生きる女。 遠ざけられた地で、ふたりの心は少しずつ寄り添いはじめる。 そして、帝をめぐる陰謀の影がふたたび都から伸びてきたとき、 梓乃は自分の選んだ“幸せの形”を見つけることになる——。 香と花が彩る、しっとりとした雅な恋愛譚。 濡れ衣で左遷された女官の、静かで強い再生の物語。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜

二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。 そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。 その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。 どうも美華には不思議な力があるようで…?

処理中です...