39 / 50
第8章 愛の行方は揺るぎなく
38話
しおりを挟む
厘が打ち明けたのは、店を後にして辿った家路のなかだった。
「意識のない間に剥いだわけではない」
額に手を当てながら言う厘は、いつになく余裕がない。
体を見られた原因が、数か月前に憑依していた早妃であると知った岬は、安堵しつつも顔を赤らめた。憑依されていたから、といえど、自分の手で肌を露出していた事実は衝撃で。これまでの厘の配慮は、完全憑依によって砕け散った。
『夢魔ねぇー。あれは厄介だよなぁ、男にとっては。欲を剥き出しにさせる、というか』
その配慮を知らない飛沙斗は、包み隠さず厘を庇う。
「……飛沙斗も知ってるの?」
『いわゆる、サキュバスってやつだろー?いやぁ、よく耐えたねぇ、厘クン』
「……うるさい」
否。庇ったのではなく、むしろ揶揄いといえる。証拠に低い声で睨む厘の視線は、閃光のように鋭かった。よほど気に障ったらしい。岬はしばらく続いた攻防に耳を傾けながら、思い返していた。あの日、早妃が体を離れた直後のこと。
———『おかえり、岬』
意識の奥で聞こえた、厘の震える声。体力を消耗した姿。強く聡明な厘の手に余るほど、アレは厄介な霊魂だったのだ、と岬は今さら悟った。
「厘」
「……なんだ」
岬は、鞄の底に潜ませていた小さな箱を差し出す。中身は、カフェを去る前に、こっそりテイクアウトしたチョコレートだった。
「いつもありがとう。厘」
チョコレートに収まりきらない分は、どうしようか。思いながら目を細めた直後、厘の表情が白いライトに照らされる。瞬間、二人の横をバイクが素早く通り過ぎる。
ブォンッ———!!
「わっ———、」
エンジンの重低音が耳を掠めた拍子、よろけた岬はテールランプを見送りながら、厘の体に飛び込む。
「ご、ごめ……っ?!」
荒波を立てる脈に気づかれないよう、離れようと試みて。しかし、それは叶わなかった。
「お前から礼を貰う権利など、俺にはないんだ」
息が苦しい。籠ったように響く声は、確かに厘のものだと分かるのに、うまく聞き取ることができなかった。彼の胸の中にすっぽりと収まってしまったから、という理由の他に、自分の心音が鼓膜を占領しているからだと岬は理解した。
厘は離れようとする岬の肩を、胸元へ引き寄せる。辛うじて写った視界のなか。差し出したチョコレートの箱は、その大きな掌に握られていた。
「り……厘……?」
コート越しにもしっとり伝わる、厘の温度。生きている温度。徐々に強く締め付けられる体に、心臓はいとも容易く抉られた。
どうして———せっかく、忍ばせたのに。これじゃあ、また溢れてしまう。
「岬」
「……?」
「俺はお前を、必ず護る」
離れた体温。隙間に割り込む空気が冷たい。街灯に照らされた二つの吐息に、岬は目を細めた。
「それなら私は、厘を守るよ」
乾いた唇を割った瞬間、厘の影が覆いかぶさる。まだ、飛沙斗は憑いたばかりなのに———。思いながら、しかし岬は覚悟を決めて目を閉じる。半年の間に、何度も重ねた唇の気配が近づいた。
「……?」
間違いなく、近づいたはずなのに。今日だけはどこか様子が違った。
「厘……、厘……———?」
感じる重み。徐々に沈んでいく肩に、岬は気が付いた。厘の体重だということに、ようやく気が付いた。
「ハァ……ハァ……」
項垂れ、息の荒い厘。岬は声を殺し、息を呑む。思い出す。
ここ最近、おかしかった厘の様子。どうして、もっと迫らなかったのだろう。どうして、体調の変化に気づけなかったのだろう———。
『岬ちゃん。黙っててごめん』
「……え?」
予期していたかのような飛沙斗の、冷静な声。彼を懸命に支えながら、続く言葉と己の無力さに、岬は唇を噛み締めた。
『———厘くんさ……精気が減ってるんだよ。異常に減ってるんだよ』
「意識のない間に剥いだわけではない」
額に手を当てながら言う厘は、いつになく余裕がない。
体を見られた原因が、数か月前に憑依していた早妃であると知った岬は、安堵しつつも顔を赤らめた。憑依されていたから、といえど、自分の手で肌を露出していた事実は衝撃で。これまでの厘の配慮は、完全憑依によって砕け散った。
『夢魔ねぇー。あれは厄介だよなぁ、男にとっては。欲を剥き出しにさせる、というか』
その配慮を知らない飛沙斗は、包み隠さず厘を庇う。
「……飛沙斗も知ってるの?」
『いわゆる、サキュバスってやつだろー?いやぁ、よく耐えたねぇ、厘クン』
「……うるさい」
否。庇ったのではなく、むしろ揶揄いといえる。証拠に低い声で睨む厘の視線は、閃光のように鋭かった。よほど気に障ったらしい。岬はしばらく続いた攻防に耳を傾けながら、思い返していた。あの日、早妃が体を離れた直後のこと。
———『おかえり、岬』
意識の奥で聞こえた、厘の震える声。体力を消耗した姿。強く聡明な厘の手に余るほど、アレは厄介な霊魂だったのだ、と岬は今さら悟った。
「厘」
「……なんだ」
岬は、鞄の底に潜ませていた小さな箱を差し出す。中身は、カフェを去る前に、こっそりテイクアウトしたチョコレートだった。
「いつもありがとう。厘」
チョコレートに収まりきらない分は、どうしようか。思いながら目を細めた直後、厘の表情が白いライトに照らされる。瞬間、二人の横をバイクが素早く通り過ぎる。
ブォンッ———!!
「わっ———、」
エンジンの重低音が耳を掠めた拍子、よろけた岬はテールランプを見送りながら、厘の体に飛び込む。
「ご、ごめ……っ?!」
荒波を立てる脈に気づかれないよう、離れようと試みて。しかし、それは叶わなかった。
「お前から礼を貰う権利など、俺にはないんだ」
息が苦しい。籠ったように響く声は、確かに厘のものだと分かるのに、うまく聞き取ることができなかった。彼の胸の中にすっぽりと収まってしまったから、という理由の他に、自分の心音が鼓膜を占領しているからだと岬は理解した。
厘は離れようとする岬の肩を、胸元へ引き寄せる。辛うじて写った視界のなか。差し出したチョコレートの箱は、その大きな掌に握られていた。
「り……厘……?」
コート越しにもしっとり伝わる、厘の温度。生きている温度。徐々に強く締め付けられる体に、心臓はいとも容易く抉られた。
どうして———せっかく、忍ばせたのに。これじゃあ、また溢れてしまう。
「岬」
「……?」
「俺はお前を、必ず護る」
離れた体温。隙間に割り込む空気が冷たい。街灯に照らされた二つの吐息に、岬は目を細めた。
「それなら私は、厘を守るよ」
乾いた唇を割った瞬間、厘の影が覆いかぶさる。まだ、飛沙斗は憑いたばかりなのに———。思いながら、しかし岬は覚悟を決めて目を閉じる。半年の間に、何度も重ねた唇の気配が近づいた。
「……?」
間違いなく、近づいたはずなのに。今日だけはどこか様子が違った。
「厘……、厘……———?」
感じる重み。徐々に沈んでいく肩に、岬は気が付いた。厘の体重だということに、ようやく気が付いた。
「ハァ……ハァ……」
項垂れ、息の荒い厘。岬は声を殺し、息を呑む。思い出す。
ここ最近、おかしかった厘の様子。どうして、もっと迫らなかったのだろう。どうして、体調の変化に気づけなかったのだろう———。
『岬ちゃん。黙っててごめん』
「……え?」
予期していたかのような飛沙斗の、冷静な声。彼を懸命に支えながら、続く言葉と己の無力さに、岬は唇を噛み締めた。
『———厘くんさ……精気が減ってるんだよ。異常に減ってるんだよ』
0
あなたにおすすめの小説
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました
ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。
ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。
王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。
そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。
「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました
由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。
尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。
けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。
そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。
再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。
一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。
“尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。
静かに離婚しただけなのに、
なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。
さようなら、私を「枯れた花」と呼んだ貴方。~辺境で英雄を救って聖女と呼ばれたので、没落した元婚約者の謝罪は受け付けません~
有賀冬馬
恋愛
「お前のような見栄えの悪い女は、俺の隣にふさわしくない」
婚約者アレクに捨てられ、辺境へ追いやられたセレナ。
けれど、彼女が森で拾ったのは、アレクなど足元にも及ばないほど強くて優しい、呪われた英雄ライアンだった。
セレナの薬草が奇跡を起こし、王都を救う特効薬となったとき、かつて自分を捨てた男との再会が訪れる。
「やり直そう」と縋り付くアレクに、セレナは最愛の人と寄り添いながら静かに微笑む。
――あなたが捨てたのは、ただの影ではなく、あなたの未来そのものだったのですよ。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる