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第9章 浮わつく望みは憂わしく

41話

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 ハラハラと舞い散る桃色の花弁。岬は「満開だね」と翳すように手を伸ばす。試みて五回目。やっとのことで収めた欠片を、心底嬉しそうに見つめている。

「見頃だからな」

 厘は羽織のなかで腕を組み、彼女の背を見守っていた。正直、気が気ではなかった。すべての想いを伝えるのが今日である、と決意を蒸し返せば、体を巡る糸が強く張った。それに——

「桜なんか見て、何が楽しいんだよ」

 何故か庵も同行している。隣で文句を垂れながら、訝しげに眉を寄せている。岬が誘ったことには違いないだろうが、少しも空気を読めないのか、こいつは。厘は辟易した。せっかく人気ひとけのない、穴場のロケーションを用意したというのに。

「なんだよ」

「いいや。なんでもない」

 厘は視線を背けるついでに見上げる。太い根を大地に下ろした桜の木と、舞い散る花弁。そして思い伏せる。まるでお前は岬のようだ、と。
 控えめな花弁の色も、咲いてはすぐに散っていく脆さも、岬そのものだ。掴めそうで掴めない、この距離感も。

「おい岬。腹が減った」

 庵ははらりと降る桜を退け、のらりくらりとそう放つ。
 一見、花より団子とも取れる台詞には、おそらく裏がある。十中八九、敵対心があるのだろう。佇む季節も色も似通っているのに、“日本の花” としてスポットライトを浴びるのは、いつでもこの桜であるからだ。従って、今回の不躾は特例、お咎めなしとした。

「今用意するよ。私もお腹空いてきちゃった」

「敷物、持ってきたか」

「うん」

 レジャーシートを広げると、風に煽られて花が舞う。軽く、四方に散らばった。

「本当に誰もいないね……いつ見つけたの?この場所」

 岬は何段も重なる弁当箱を、上から順にせっせと並べる。厘はその様子を目で追いながら、沈黙した。
 穴場なのは確かだが、見晴らしのいい丘の上に一本桜は良く映える。シーズン真っ盛りに誰一人として現れないなど、到底有り得ない。しかし、誰一人として現れない。
 念には念を。厘は、妖術で一本桜の気配を消していた。

「お前が学校に居る間、たまたま見つけたんだ」

 ただ、岬に知られるのは気恥ずかしい。この空間を誰にも邪魔されたくなかった、と打ち明けるのは、想いを伝えてからの方が賢明だ。厘は岬お手製のサンドイッチを頬張りながら、目を背けた。

「うまいな」

「本当?よかったぁ……」

 彼女は頬を緩めて「綺麗だね」と続けた。見上げた先には、三人を覆う桜の影。

「岬」

「え……?」

 そして、細く長い髪に絡まる花弁。取ってやろうと伸ばした手は、庵の体に阻まれた。

「おい、ついてんぞ」

「あ、本当だ。ありがとう」

 どうやら、庵の初動に先を越されたらしい。行き場のなくした手を下ろし、厘は再び頬張った。

「お前、意外と抜け目が無いな」

「……あぁ?どういう意味だコラ」

「自覚なしか。余計にタチが悪い」

「自覚?なんのだよ、はっきり言え!」

 うるさい。やかましい。邪魔者第一号。果たしてこいつが岬に抱く感情は、恋心なのか、否か。……ああ、知りたくもない。

「酒でも飲んで大人しくしていろ」

「なっ……あるなら先に言え」

 懐から純米吟醸を取り出すと、庵は寄せていた眉間を伸ばし、大人しく注ぎだした。やはり花より団子か。

「へぇ……梅、って字が入ってるんだね、このお酒。お花見にピッタリ」

 岬は二升瓶を覗き込み、興味深そうに言った。

「そういえばそうだな」

「本当に知らなかったのかよ。皮肉なもんだな」

 一瞬で酒を流し込んだ庵を、厘は密かに睨み見る。が、反論はできなかった。無自覚とはいえ、自分でもそう感じていたからだ。

「皮肉……?どうして?」

「日本の代表花———梅はその座を取って代わられたからな。この壮大な桜に」

 かつて、詩人がうたっていた “花” といえば、香り高い梅ひとつ。しかし、時代を巡るごとにその “花” は桜の意へと変化した。そうでなければ、梅の妖花あいつは、ああまで捻くれてはいないだろう。国花とうたわれる胡嘉子と仲が悪いのも、頷ける。
 厘は懐かしい顔を浮かべながら、苦笑した。

「でも梅は、日本の春をいち早く知らせてくれるんだよね。あの香りが、私もお母さんも大好きだった」

 対して岬は朗らかに微笑む。

「そうか」

 以前から感じていた通り、花籠親子は視覚よりも嗅覚から季節を取り込むらしい。その要因が少しでも “リリィ” にあったのなら、俺はどんなに幸せだろう。厘は心の内で加えながら、目を細めた。

「岬。酒注いでくれ」

「うん」

 傍ら、庵は清々しいほど意に介さず、猪口を差し出す。厘は呆れながらも、同じように流し込む。
 梅を拵えた酒は、想像以上に深い味わいだった。岬に注いでやれる数年後に、また用意してやろうと思えるほどに。

「やっぱり俺ぁ、花を見るよりこっちのが性に合う」

「お前、酔うなよ。面倒だから」

「うるせぇ。……大体、花見なんて何の意味があんだか……俺にはさっぱりわかんねぇよ」

 庵は文句を垂れながらも、岬と桜へ交互に目を配る。どうやら、儚い春の代名詞に彼女を投影していたのは、この呑兵衛も同じらしい。少しはまともな感性が備わっているようだ、と厘は息をついた。

「でも、ただの風習じゃないと思うんだ。お花見って」

 そのまま、岬の言葉に耳を傾ける。彼女は米麹の甘酒を含みながら、庵をまっすぐに見据えた。

「大切な人と、この瞬間にしかない景色を同じ角度で共有したい……とか、ね。私は、それが “意味” なんだと思うな」

 気恥ずかしそうに放った直後、彼女は沸々と頬を染める。

「え、えっと……違うの。私がそう思うだけで、全然っ、自惚れてるわけじゃないよ……」

 そして、顔を横に振りながら俯いた。こちらの様子をチラチラと窺う視線は、厘に意を汲ませた。肩を揺らしながら、懸命に笑みを堪えた。

 ———『桜が咲いたら、花見に行こうか』

 そう誘ったのは誰か、辿るまでもない。
 岬の自惚れではない。誘った動機も、想いを伝える場所として選んだのも、つまりは “意味” の通りだからだ。

「なあ、岬」

 呼んでも未だ、俯く頬に手を伸ばす。瞬間、敷物を巻き上げるほどの風が、乾いた陽気を纏いながら訪れる。勢いよく桜を靡かせ、同時に視界をかすませた。
 しかし、横に舞っていた花びらは、すぐにハラハラと落ちていく。厘は伸ばした手をそのままに、瞬きをした。

 ———ほんの、一瞬だった。


「なんだこれ、酒じゃねぇなぁ」

 次に瞼を開いたとき、岬は岬ではなくなっていた。
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