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私が見た最後の映像

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 私が見た最後の映像は目前に迫る巨大な建造物だった――。


「佐藤さん、ちょっとミーティング室に来てくれるかなぁ」

 固太りでイボイノシシのような顔をした課長が、汗で濡れたワイシャツから透けたランニングシャツを見せつけながら近づいてきた。

せっかちな高い声で呼ばれた私は、印刷寸前の納品書データを保存して席を立った。

 私は佐藤ゆかり二十七才。

高校まで、誰かが遊ぼうと言えば、県内唯一の大型ショッピングモールしか選択肢が無い田舎で暮らしてきた。

美味しいお米のおかげで、私はもち肌色白、黒髪ストレートな和風美人に育った。と思う。

色の白いは七難隠すってね。


田舎暮らしは不便なこともあるけれど、のどかな風景が大好きで、外で働くことになってもいつかは自然のあるところで暮らしたいなぁと考えていた。

そんな私が緑の少ない都会の片隅で、物流会社のストレスフルな営業事務をやっている。

一緒に住んでいる茶トラ猫の『きり』だけがわたしの家族。しかし内臓の病気が発覚し、五才になる今ではほとんど歩けない。

それでも家に帰れば家族がいるということは幸せで、きりが心の拠り所となっている。

とはいえストレスは溜まる。食卓には晩酌用に一升瓶が置かれている家庭に育ったせいで、酒飲みの血筋だ。当然、酒量も増え続けていた。

田舎にいると分からなくなってしまうが、私はお酒に弱いほうだと思っていた。ところがどうやら違うようだった。

「ゆかりちゃん、お酒は何にする?」

「私、あまり呑めないので日本酒ジョッキで」

新入社員の頃はそんな可愛い失敗もしたなぁ。

大学中退の十九歳で入社した私はその風貌からお菊人形の事務員と呼ばれ、一躍有名人となっていたようだ。

おとなしげな雰囲気に似合わず社交的でお酒好きな私は人生初のモテ期を迎え、舞い上がっていた。

男性陣は誰もが私をチヤホヤし、豪華ランチや仕事帰りのディナー、合コンへのお誘いは引く手あまた。

しかし付き合いが少し深くなると田舎臭さが露呈してしまうのか、なかなか深い関係にはならなかった。

二十五才を過ぎて焦りを感じていた頃、飲み直そうと私の部屋に上がり込んだ同僚男性を、チャンスと思いながら迎え入れた。

これはなにか起きるヨカン!

秘蔵の大吟醸といぶりがっこを出したとたん、彼の目が泳ぎ始めなにやらそわそわし始めた。

「おばあちゃんのたくあんを思い出したのでこれから実家にいかなきゃならないのですはい」

などと意味のわからん言い訳をつぶやきながら逃げ帰ってしまった。

翌日から私の社内株価は下り坂になった気がする。

おしゃべりな男だ。


 同期は既に寿退社。何度もご祝儀を払ってきたのだからいつかは取り戻したいと、無理して会社にしがみつき、気がつけば二十七才。

それでも自分の仕事にはプライドを持っており、会社からの信頼を得ていた。

はずだった。


「あのさぁ、佐藤さん来週から異動ってことになったから、引き継ぎよろしく」

課長は意地悪そうな顔で言い放つ。

「ええっ!」

言われた先は、今の住居から自転車、電車、バスを乗り継いだ人材の墓場と呼ばれる片田舎の事業所だった。

「あのぉ、そんな遠くだと、病気の猫が居てですね、帰りが遅くなるとちょっと……」

「引っ越しすればいいじゃん。あっちで一人辞めたいって人がいてさ。
誰でもいいから寄越してよって話があがってたみたいでさぁ」

誰でもいいって候補に私が挙がるってどういうことなのだ、クソ課長おまえが行けやとイライラしながら聞き返す。

「どうして私なんですか?」

「あみだくじだよ。神さまに決めてもらったんだ。ははは。
はい、これ辞令。もう決定事項だからね」

笑い事じゃない。

しかし会社の命令に逆らうことなどできやしない。

私が断ったりしたら、可愛い後輩達が異動させられてしまうかもしれない。

結局、来週からかなり遠い事業所で働く事になってしまった。


 帰る途中、駅ビルの本屋さんで転職雑誌と、転職に使えそうな資格書を立ち読みした。
建物から出ると置いてあった自転車が将棋倒しになっているではないか。

「あー腹が立つなぁもぉぉぉ」

額に汗の玉を浮かべ、十台ほどの倒れた他人の自転車をすべて起こして気がついた。

「私の自転車が無いし!!!」

交番に盗難届を出したが、おまわりさんは事務的に手続きを進め、最後まで同情してくれる様子は無かった。

「あー益々遠くまで通う気が失せたわ」

帰り道、スーパーで晩ご飯を探したが案の定、半額弁当は売り切れ。

「帰ってきりたんに慰めて貰おう。そんで今夜は呑む! 甘い物と、しょっぱいものはと」

クリームパンとさきイカ、苦痛を取り除いてくれる度数の高い缶チューハイと、一番安い日本酒を一升瓶で買った。

夜道をとぼとぼと歩いていると神社の鳥居に気がついた。

(なんかツイてないからこんなときは鳥居をくぐるに限るね。ついでに課長が不幸になるようにお願いしよう)

思ったより広い境内の奥に、真っ暗な本殿が不気味にたたずんでいる。

「電気ぐらい点ければいいのに。あ、お賽銭が五百円玉しかない!

 さっき募金箱に細かいの入れちゃったよ。

 まぁいいか。厄払いってことで奮発しよう」

私は課長の不幸と自身の幸運、また田舎でのんびり暮らしたいという夢の実現をお祈りした。

「多少はスッキリした感じかも。やっぱり困ったときの神頼み。

 田舎の神社より大きいし、願い事が叶いそう」

とかなんとか言いながらも私は神なんか信じちゃいない。

両親が同時に亡くなったのは十八の時だった。

山道を走行中、崖下に落ちたが、その原因は居眠りということになった。

病院に駆けつけたとき、母はまだ息があったが、神様への祈りもむなしく逝ってしまった。

彼らは一切のお金を残していなかった。

葬式だけは互助会に入っていたおかげであげることができたが、初めて自分から勉強したいと思って頑張った大学も苦学生の私には学費が払えず辞めるしか無かった。

大学では民俗学にどっぷりはまっていたが、よく考えたら就職には結びつかなかったろうし、両親が生きていても苦労はしていただろう。

心機一転、十八年過ごした借家を引き払い、都会へ引っ越した。

なんとか入れた三流企業で一瞬のモテ期に騙され、会社に居続けてしまった。

不況の今では新人と変わらない給料、取引先のセクハラパワハラに我慢し続けて最後はポイッとリストラ候補!イェイ。

これまでの人生、もう少し好機があってもよかったんじゃない?

神社という場所は、その成り立ちや民族考証から、土地に纏わる伝承に神をあてはめたものが多く、災害など人の力で起こしえない事象を神の力としていた可能性が高い。

その土地になにかの力があったから神社になっているのではないか。

火山には当然のように火を司る神が神社の祭神となっているように。

しかし、それはバカにできない話だと思う。

土地のパワーだか、気というものが強い場所があって、そこは人の願いを増幅してくれるのではないかと。

そう思っていた。

神社の中に神様がいて、人の心があって、話せば分かるなんてことは無く、幸運を祈ればそれを増幅してくれるだけのブーストエリアみたいなもの。

人の呪いだろうと増幅してしまう超自然的な力の源なのだろう。

縁切り寺とかその部類だし。

だからパワースポットは信じていて、何度かそういう土地を巡ったこともある。

人生の好転に期待を込めてね。

「まぁ、帰って呑んで、いい会社探そ」

気分を入れ替えた私が神社を出ようとしたとき、田舎の山で杉の伐採をしてる時に似た音を聞いた。

太い木材のメキメキメキギャギョギュゥゥゥゥッという断末魔。

「え? なに、なんの音?」

私は足を留め、嫌な予感に空を見上げた。

真っ黒に見える太い鳥居が目の前に倒れかかっている事を超速で理解した瞬間、私の意識はプツリと途切れてしまった。


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