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1章 「魔女」が辺境伯の「聖女」になるまで
41 「聖女」の名がふさわしい
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「貴族の性根は腐っているからな。どんなに汚い手を使うかわからん」
言われた意味がわからず、私は首を傾げた。
すると、アルヴィン様は苦い顔で付け加えた。
「君を殺せば婚約は消滅する──そう考える者が出てくるだろう、ということだ」
「……!」
「この一文は、そうした輩への抑止力になる。国王陛下にもご署名いただくつもりだ」
「そう、なのですね……ご配慮、痛み入ります。ですが前半は変えた方がよろしいのでは?」
「前半? 『ソフィア・ライトウィルが、レグナル国王の前で、婚約解消を宣言した場合に限り』という箇所か?」
「はい。私が陛下にお会いするのは難しいでしょう? 婚約の解消に時間がかかってしまいます。アルヴィン様が宣言することにしませんか?」
しかし、アルヴィン様はキッパリと答えた。
「嫌だ」
「い、『嫌だ』? 駄目だ、ではなく?」
「ああ。もし俺が『ソフィアと結婚しない』と言い、婚約を解消したとしよう。そのあと、君はどうなると思う?」
「私……?」
「『シャーウッド辺境伯に捨てられた令嬢』として、社交界中の笑い者になるぞ。ただでさえ、今は不本意な肩書きで呼ばれているんだろう?」
そう言われた瞬間、心の中で、何かがひび割れるような音が鳴った。
魔女という文字が脳裏に浮かび、毒が染み込むように、ゆっくりと沈んでいく。
「ご存じだったのですね……」
「ああ、くだらんデマが広がったものだ」
吐き捨てるような言い方に、私はハッとした。
アルヴィン様の端正な顔には、強い怒りが浮かんでいる。
「デマだと信じてくださるのですか?」
「君の振る舞いを見て、デマだと思わない方がおかしい」
アルヴィン様は当然のようにそう言って、私を見た。
初めて会った時と同じ、優しい目で。
「君は、俺の民を救ってくれた。村人が呼ぶように、『聖女』の名がふさわしい。そんな君が笑い者になるのは嫌だ」
まっすぐな言葉が、真摯な声が、私の心を浄化していく。
喉の奥から熱いものが迫り上がってきて、視界がぼやける。
(アルヴィン様は、ちゃんと私を見ていてくださったのね)
忠誠心があるとか、有用だとか、そうした表面的なことではなく、私自身を信じてくれている。
もう、それだけで充分だ。
舞踏会で、誰に何を言われても構わない。
私はぎゅっと目を閉じると、深くカーテシーをした。
「もったいないお言葉、光栄の至りでございます」
「おい……君は俺の婚約者になるんだ。そんなことはしなくていい」
「はい、アルヴィン様。それでは書類にサインをいたします」
私はこっそり涙をふいて、差し出されたペンを受け取った。
「アルヴィン様は、先にご署名なさったんですね」
「早く事を進めたいからな。何しろ、舞踏会は3週間後だ」
「ああ、もうそんな時期で……あっ!」
「どうした?」
「ど、どうしましょう! 間に合わないかもしれません!」
「何の話だ?」
「ドレスです! 普通は1ヶ月以上前から予約するのに……」
「ああ、それなら問題ない。追加料金を払って急がせる」
平然と返されて、私は立ち尽くしてしまった。
(そんな……申し訳ないわ)
急いでくれる職人にも、お金を出してくれるアルヴィン様にも。
黙り込んだ私へ、アルヴィン様は気遣わしげに声をかけてきた。
「大丈夫だ、質は保証する」
「え?」
数秒の間考えて、気付いた。
彼は、私がドレスの仕上がりを不安がっていると思ったらしい。
そんな心配はしていない、と言う前に、アルヴィン様は続けた。
「何しろ二百年の歴史を持つ仕立て屋だからな。職人が客を選ぶほどの高級店だ。手を抜くことは絶対にない」
「ずいぶん格式高い老舗ですね……」
「知らないか? アクア・レジーだ」
「アクア・レジー⁉︎ あの店に依頼なさったのですか⁉︎」
王族でさえ日常的には注文しないと聞いたから、気にしたこともなかった。
予算はいくらなのだろう……怖くて尋ねられないけれど。
呆然としていると、アルヴィン様が私の背中をぽんと叩いた。
「契約書へのサインが済んだな。次はノーラとドレスを選んできてくれ。デザイン案は、塔の部屋に運ばせる」
「……はい」
どれほど豪華絢爛なデザインがそろっているのか。
想像するだけで立ちくらみを起こしそうだ。
私は、ひとまず頭を空にして、廊下へ出ることにした。
そして、向こうから走ってきた兵士とぶつかりそうになった。
「あっ! ソ、ソフィア様、申し訳ございません!」
焦った様子の兵士は、瞬時に歯を見せて笑った。
やりすぎて唇の端が引きつっている。
「い、いえ、大丈夫よ。どうしたの?」
「お気になさらず! 失礼いたします!」
兵士は猛然とアルヴィン様の執務室へ向かい、ノックもせずにドアを開けた。
「アルヴィン様、失礼いたします! 地下室の──」
兵士の声はそこで途切れた。執務室のドアが閉まったからだ。
あんなに急いで、地下室で何か起きたのだろうか。
(誰かが地下で療養しているみたいだけど、大丈夫かしら)
そう思った時、ふと疑問が浮かんだ。
先日、アルヴィン様の胸元に血のようなものがにじんでいた。
明らかに異常なのに、アルヴィン様は医師を呼んだりせず、地下室へ行った。
一体、なぜ。
(あっ、そういえば……あの時、黒いもやはアルヴィン様の胸元に現れなかったわね)
ブルーノが重傷を負った時は、黒々とした霧が胸を覆っていたのに。
(あれは血じゃなかったの?)
それでは何だったのか。
治療は必要ないのか。
(……駄目。考えてもわからないわ)
今はとにかく村人の治療と舞踏会だ。
すべて終われば、アルヴィン様に薬を飲んでもらえる。
そうしたら私の力をさらに評価して、地下室のことを教えてくれるかもしれない。
私は気を取り直して、塔の部屋へ向かった。
そして、ルイスが持ってきたデザイン画を見て、目眩を起こしそうになった。
言われた意味がわからず、私は首を傾げた。
すると、アルヴィン様は苦い顔で付け加えた。
「君を殺せば婚約は消滅する──そう考える者が出てくるだろう、ということだ」
「……!」
「この一文は、そうした輩への抑止力になる。国王陛下にもご署名いただくつもりだ」
「そう、なのですね……ご配慮、痛み入ります。ですが前半は変えた方がよろしいのでは?」
「前半? 『ソフィア・ライトウィルが、レグナル国王の前で、婚約解消を宣言した場合に限り』という箇所か?」
「はい。私が陛下にお会いするのは難しいでしょう? 婚約の解消に時間がかかってしまいます。アルヴィン様が宣言することにしませんか?」
しかし、アルヴィン様はキッパリと答えた。
「嫌だ」
「い、『嫌だ』? 駄目だ、ではなく?」
「ああ。もし俺が『ソフィアと結婚しない』と言い、婚約を解消したとしよう。そのあと、君はどうなると思う?」
「私……?」
「『シャーウッド辺境伯に捨てられた令嬢』として、社交界中の笑い者になるぞ。ただでさえ、今は不本意な肩書きで呼ばれているんだろう?」
そう言われた瞬間、心の中で、何かがひび割れるような音が鳴った。
魔女という文字が脳裏に浮かび、毒が染み込むように、ゆっくりと沈んでいく。
「ご存じだったのですね……」
「ああ、くだらんデマが広がったものだ」
吐き捨てるような言い方に、私はハッとした。
アルヴィン様の端正な顔には、強い怒りが浮かんでいる。
「デマだと信じてくださるのですか?」
「君の振る舞いを見て、デマだと思わない方がおかしい」
アルヴィン様は当然のようにそう言って、私を見た。
初めて会った時と同じ、優しい目で。
「君は、俺の民を救ってくれた。村人が呼ぶように、『聖女』の名がふさわしい。そんな君が笑い者になるのは嫌だ」
まっすぐな言葉が、真摯な声が、私の心を浄化していく。
喉の奥から熱いものが迫り上がってきて、視界がぼやける。
(アルヴィン様は、ちゃんと私を見ていてくださったのね)
忠誠心があるとか、有用だとか、そうした表面的なことではなく、私自身を信じてくれている。
もう、それだけで充分だ。
舞踏会で、誰に何を言われても構わない。
私はぎゅっと目を閉じると、深くカーテシーをした。
「もったいないお言葉、光栄の至りでございます」
「おい……君は俺の婚約者になるんだ。そんなことはしなくていい」
「はい、アルヴィン様。それでは書類にサインをいたします」
私はこっそり涙をふいて、差し出されたペンを受け取った。
「アルヴィン様は、先にご署名なさったんですね」
「早く事を進めたいからな。何しろ、舞踏会は3週間後だ」
「ああ、もうそんな時期で……あっ!」
「どうした?」
「ど、どうしましょう! 間に合わないかもしれません!」
「何の話だ?」
「ドレスです! 普通は1ヶ月以上前から予約するのに……」
「ああ、それなら問題ない。追加料金を払って急がせる」
平然と返されて、私は立ち尽くしてしまった。
(そんな……申し訳ないわ)
急いでくれる職人にも、お金を出してくれるアルヴィン様にも。
黙り込んだ私へ、アルヴィン様は気遣わしげに声をかけてきた。
「大丈夫だ、質は保証する」
「え?」
数秒の間考えて、気付いた。
彼は、私がドレスの仕上がりを不安がっていると思ったらしい。
そんな心配はしていない、と言う前に、アルヴィン様は続けた。
「何しろ二百年の歴史を持つ仕立て屋だからな。職人が客を選ぶほどの高級店だ。手を抜くことは絶対にない」
「ずいぶん格式高い老舗ですね……」
「知らないか? アクア・レジーだ」
「アクア・レジー⁉︎ あの店に依頼なさったのですか⁉︎」
王族でさえ日常的には注文しないと聞いたから、気にしたこともなかった。
予算はいくらなのだろう……怖くて尋ねられないけれど。
呆然としていると、アルヴィン様が私の背中をぽんと叩いた。
「契約書へのサインが済んだな。次はノーラとドレスを選んできてくれ。デザイン案は、塔の部屋に運ばせる」
「……はい」
どれほど豪華絢爛なデザインがそろっているのか。
想像するだけで立ちくらみを起こしそうだ。
私は、ひとまず頭を空にして、廊下へ出ることにした。
そして、向こうから走ってきた兵士とぶつかりそうになった。
「あっ! ソ、ソフィア様、申し訳ございません!」
焦った様子の兵士は、瞬時に歯を見せて笑った。
やりすぎて唇の端が引きつっている。
「い、いえ、大丈夫よ。どうしたの?」
「お気になさらず! 失礼いたします!」
兵士は猛然とアルヴィン様の執務室へ向かい、ノックもせずにドアを開けた。
「アルヴィン様、失礼いたします! 地下室の──」
兵士の声はそこで途切れた。執務室のドアが閉まったからだ。
あんなに急いで、地下室で何か起きたのだろうか。
(誰かが地下で療養しているみたいだけど、大丈夫かしら)
そう思った時、ふと疑問が浮かんだ。
先日、アルヴィン様の胸元に血のようなものがにじんでいた。
明らかに異常なのに、アルヴィン様は医師を呼んだりせず、地下室へ行った。
一体、なぜ。
(あっ、そういえば……あの時、黒いもやはアルヴィン様の胸元に現れなかったわね)
ブルーノが重傷を負った時は、黒々とした霧が胸を覆っていたのに。
(あれは血じゃなかったの?)
それでは何だったのか。
治療は必要ないのか。
(……駄目。考えてもわからないわ)
今はとにかく村人の治療と舞踏会だ。
すべて終われば、アルヴィン様に薬を飲んでもらえる。
そうしたら私の力をさらに評価して、地下室のことを教えてくれるかもしれない。
私は気を取り直して、塔の部屋へ向かった。
そして、ルイスが持ってきたデザイン画を見て、目眩を起こしそうになった。
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