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第26話 歌(三)

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 それから一週間、僕は毎日、笹川さんと厠でお勤めをした。日に二回の時もあった。
 軟膏と潤滑油のお陰で傷は治りつつあるけれど、夫婦になったら夫としかお勤めしないものだと先代が言っていたから、心は暗く淀んでいた。

 もうそろそろ、政臣さんが来てくれるに違いない。
 僕は玉砂利で、政臣さんの訪れを占った。
 
「えっ」

 思わず声が漏れる。今日の夕餉前、と出た。
 でも、もう夕餉は済んでいる。
 一割の外れが出たのかと思ったけれど、何だか胸騒ぎがした。
 真偽を問おうと笹川さんを探したけれど、いつも控えている場所に居なく、見知った他人行儀な顔が並ぶばかりだった。
 
 政臣さん。貴方を想うと、身体の奥が疼きます。
 僕は指で自分を慰めようと、お勤めの間に向かった。前室に入って、いつも用意されている潤滑油の瓶(びん)を探すけれど、見当たらない。
 その時、お勤めの間から、声が漏れ聞こえてきた。

「あっ・あん……」

 それは紛れもなく、お勤めの時の声で。僕と同じ声だった。
 息を殺して、襖を細く細く開ける。

「っ!!」

 僕は想像もしなかった……いや、心の何処かでちらりと思った、信じられない光景に絶句する。

「充樹。どうした? いつもより狭いな」

「すみません……解していないので」

「そうか。じゃあ、たっぷり慣らしてやる」

 金糸銀糸の広い布団に、一糸纏わぬ人物が二人。 
 枕元の潤滑油を手に取って、政臣さんが『充樹』の後ろの孔に指を挿れるのが見えた。

「ん・ああ……」

 『充樹』は快感よりも苦しそうに、吐息を漏らす。
 政臣さんのお口が、『充樹』の分身を銜え込んだ。

 政臣さん……! 僕は今すぐにでもお勤めの間に押し入りたいのを必死に堪えた。
 こちらを向いて隅に控えていた笹川さんと、目が合う。鷲鼻の下の薄い唇が嗤った。

 駄目だ。今踏み込んだら、僕が『珠樹』で、『充樹』だって嘘を吐いていた事が知られてしまう。
 僕はそっと襖を閉めて、部屋に戻った。
 目眩がするほど身体は疼くけど、張型も潤滑油もない。何よりも、今見た光景が衝撃的で、自分を慰めている場合ではなかった。

 充樹は、病気が治ったんだろうか。笹川さんの表情から、裏で糸を引いているのは笹川さんだろう。
 色んな思いが、心の中で渦巻いて交錯する。

「充樹様。如何されました?」

「え」

「泣いて、いらっしゃいます」

 家人の一人が手拭いを差し出す。
 そんな事にも気付けないほど、心の中は、様々な思いで焼き切れる寸前だった。

「ありがとう、ございます」

 僕は受け取って、涙を拭う。でも、後から後から溢れてきて止まらない。

「充樹様、何かお辛い事でも?」

 家人は心配そうに、僕の顔を覗き込む。
 僕は、また嘘を吐いた。どんどん自分が醜くなっていくような気がしたけど、一度吐いた嘘は上塗りするしかない。

「歌を……思い付いたんです。あまりにも悲しい歌だったので、恥ずかしくも、自分で感動してしまいました」

「歌?」

 ああ。充樹は、短歌なんか詠まないのかな。

「最近、短歌を始めたんです」

「そうですか。短歌でお心が動くとは、風流なものですね」

 そう言って、家人はまた部屋の隅に戻っていった。
 
 僕は家人に言った通り、歌を詠む。
 硯をする音が、今日は鉛みたいに重く感じられる。
 帳面に筆で、心乱れるまま詠んだ。

 手拭(たのご)ひに
 誓ひし針の
 愛(めぐ)しごと
 己(おの)が代はりに
 あはれてしがな

 『手拭いに、切ないほど愛しい想いを、針で縫って約束しました。私の代わりに、愛して欲しいものです』

 君選(すぐ)る
 充樹と珠樹
 一人(いちにん)を

 『貴方は選ぶでしょう。充樹と珠樹の、どちらか一人を……』

 ぽたり。途中で、墨が滲んだ。
 政臣さん。貴方は、どちらを選ぶだろう。
 選ぶなんて選択肢もなく、僕たちはまた、何事もなかったように入れ替わるのかもしれない。
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