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第16話 愛人

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「あ……愛人!?」

 僕は思わず大声を出した。
 シンと名乗った、まだティーンエイジャーに見える少年は、そんな僕の驚いた顔を、くすくすと嘲笑う。
 見かけが幼いという訳ではないのだけど、その愉しそうに光る瞳や、カードキーの端を得意げに軽く噛む仕草が、子供特有の残酷さを孕んでいるように見えた。
 存分に見せ付けた後、カードキーが胸ポケットに戻される。

「慶二が選んだ相手だっていうから、どんな美少年かと思ったけど……何てことない、おじさんじゃないか」

 ガンッ。おじさんなんて、初めて言われた。
 唖然として一瞬ショックから立ち戻れずにいると、明らかに嘲って訊かれた。

「アンタ、幾つ?」

 でも、僕は嘘は苦手だ。ますます馬鹿にされるだろうことは分かってたけど、答えなかったり嘘を吐くのは嫌だった。

「二十二だよ。君は?」

「ふん、『君』だなんて、正妻の余裕?」

「そんなつもりじゃ……」

 言っておいて、僕の答えも聞かずに、シンは少し声を高くする。

「慶二は、タイプにうるさいんだ。ボクは十八! 慶二って、十六歳から二十歳までの『美』のつく少年しか、相手にしないんだよ。受け付けないんだ。つまり、勃たないってこと。アンタ、慶二ともう寝たの?」

 やっぱり嘘が苦手で、告白してしまう。

「ま、まだ……」

 シンがこの上もなく愉しそうに笑い声を立てた。

「あはは! やっぱりね。慶二にとって、アンタはスケープゴートなんだよ。三十歳までに結婚しないと、女の相手をさせられるからね」

 そんな……いや、慶二を信じなきゃ。
 伏し目がちだけど、一生懸命に、言葉をしぼる。

「慶二は……慶二は、僕を『好きになった』って言ってくれた」

「アンタ、そんなのご丁寧に信じてるの? そんな口先だけの言葉、誰にだって言えるよ」

 創さんの言葉が、蘇った。僕はそれを試してみることにした。

「慶二は、決まった相手は作らないって聞いたよ。どうせ君も、お小遣いを貰って一回寝ただけなんだろう?」

「へぇ……それは知ってるんだ。そんな男と結婚するなんて、やっぱりアンタもお金目当て?」

 語尾は疑問系だったけど、シンが人の話を聞かないのは分かったから、黙って好きに喋らせてやる。

「確かに慶二は、基本的に一回しか寝ない。だけどボクは違う。身体の相性が最高なんだ。何回も寝たし、スペアキーも貰ったし、これもプレゼントしてくれた」

 喉元に光る、鮮やかなグリーンの宝石のループタイを摘まんでみせる。

「ボクは五月生まれなんだ。だから、誕生石のエメラルド。どういう意味か分かるだろう?」

 くつくつと、喉と色素の薄い瞳の奥で嗤う。

「アンタは、二月生まれ? アンタのつけてるネックレスのアメジストと、同じ意味だよ。仕事中もつけていられるように、って、ループタイにしてくれたんだ」

「う……」

「どうしたの? もうお終い? 『好きになった』って、信じてるんじゃなかったの?」

 僕は正直な疑問を、正面からぶつけた。

「じゃあ、何で君と結婚しなかったんだ。僕と契約結婚なんかしないで、君と結婚すれば良かったんじゃないか」

「慶二の、優しさだよ。小鳥遊の妻には、家柄やしきたりなんかがついて回る。とにかく、面倒なんだよ。だから、ボクのことは結婚しないで愛人として、大切にしてくれるって」

 左手の甲がすっと目線の高さに上げられると、僕が選んだデザインと全く同じプラチナのリングが、薬指に光ってた。
 ハッとして、僕も左手を押さえる。

「ボクにも、慶二がくれたんだ。『One Love』ってね。慶二の指輪をよく見てご覧よ。イニシャルが『K & S』になってるから。それが証拠。……もっとも、そんなものを確かめるまで居座るなんて、厚かましいにも程があるけどね」

 そこまで話すと、シンは急に語気を荒らげた。

「分かったら、さっさと出て行ったら? 服を着る時間はあげるよ。でも髪を乾かす時間はあげない。どうせ誰でも良いから適当に選んで契約結婚したけど、正妻面(づら)されて迷惑だから、追い払ってきてくれって言われたんだ。出張なんて嘘! 慶二は今、ボクのマンションに居るよ」

 慶二を信じなきゃと、それだけを心の中で唱えていたけれど、『One Love』の辺りから、涙がじわりと滲み始めた。
 それは、慶二が話さなきゃ、誰にも分からないことだった。あの大人な慶二が、こんな子供に惚気話(のろけばなし)をするとも思えない。

「さあ! 早く!」

 僕は頬を伝う熱い涙を悟られないように、床に溜まる牛乳の海を越えて、部屋に飛び込んだ。チリ、と足の裏に痛みが走ったけど、そんなものは気にならないほど、感情が揺れていた。
 嗚咽しながら、ウォークインクローゼットに入って、適当に服を着る。
 白いスニーカー、白いスラックス、蒼いハイネックセーター。その上に、慶二が初めて買ってくれたカーキのダッフルコートを羽織る。
 
 リビングに戻ると、シンは自動ドアを開けて待っていた。

「さようなら。図々しいおじさん」

 ショッピングデートの時、僕が「帽子は被らない」と言ったから、帽子はひとつもなかった。
 ひとつくらい、買って貰えば良かった。
 涙でぐしゃぐしゃの顔を、シンの目に晒す事になるなんて。
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