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第31話 予感

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 お昼過ぎまで、起きられなかった。泣き明かして眠いのと、後ろの鈍痛とで。
 何とか起き出して、冷凍食品をチンして食べながら、テレビをつけた。

「あ」

 ダイアモンド鉱山の事故のことが、大きく報じられてる。
 露天採掘の地下坑道付近から水が溢れ出した浸水被害で、少なくとも十六名が死亡、心肺停止が十三名、百名以上が安否不明。救助が確認されたのが三十四名。
 確かに、大事故だ。僕はその事故の悲惨さに眉根を寄せる。

 慶二が責任者ってことは小鳥遊が出資してるんだから、損害賠償とか、大変なんだろうな……。
 そんなことを考えながら、フリーズドライのお味噌汁をすする。

『それでは、現地から中継です』

 画面上には、『緊急会見』『LIVE』の文字。
 まさか……。

 黒いスーツを着た人物が三人、マイクの前に現れた途端、バシャバシャと音を立てて、フラッシュがたかれた。
 米粒みたいな字で『※フラッシュの点滅にご注意ください』なんて書いてあったけど、そんなものはお構いなしに、僕は六十インチのテレビに齧り付いた。

『お忙しい中お集まり頂き、恐縮です。えー。まずは、本来ならこの席に、小鳥遊財閥総帥・小鳥遊孝太郎が参るべきところですが、総帥は心臓が悪い為、大事を取ってわたくしジュエリー部門責任者・小鳥遊慶二が対応させて頂く事を、お詫び申し上げます』

 真ん中で慶二が頭を下げると、またフラッシュがバシャバシャたかれた。
 まだ本筋にも入っていないのに、他人の不幸は蜜の味、って人も居るんだろうな。
 画面の中の慶二は普段よりもっとキリッとして、丁寧に謝罪し、記者の質問にも冷静に的確に答えてる。

 今朝とは、別人みたい……。
 思わずそう掠めたけど、何ヶ月もこの調子で謝罪・原因究明・賠償なんかのトップに立つんだから……仕方ないかな。
 僕はテレビの中で記者に集中砲火を浴びてる慶二が、可哀想になった。
 僕も可哀想だけど。

    *    *    *

 数日、がに股みたいな歩き方になってたけど、ようやく治った。
 良かった。三沙くんに見られなくて。
 頭の回転が良さそうだったから、すぐに悟られかねない。

 今日は女装じゃなく、ダメージジーンズに白いリブ編みセーター、カーキのダッフルコート、バーバリーのマフラーをしている。
 前髪は、迷ったけどワックスで横に流した。慶二とのランチデートの後半は、ずっとそうしてたし、一度話したことのある男性だということもあった。
 
 新宿南口のお花屋さんの前で、大勢の中に紛れてしまうと、ホッとした。
 姉ちゃんとはいつもここで待ち合わせしてたから、そんな気分になって、自信が持てる。
 やがて、ブルーグレーのスラックスに黒いチェスターコート、灰色のマフラーをした三沙くんがキョロキョロとやってきた。

「あ、三沙くん、こっち!」

「あゆちゃん? 父さんから聞いたけど、やっぱり男だったんだ。でも、どっちも綺麗」

 身構えたけど、可愛いとは言われなくて安堵する。
 三沙くんからしたら、年上の男性に可愛いは、失礼だと思ったのかもしれない。あるいは、前髪の後ろに隠れてる内に、僕自身が変わったか。

「お世辞は良いよ。僕は平凡」

「あ、マフラー」

「あ……」

 マフラーを摘ままれて見てみると、僕はベージュの、三沙くんはグレーの、同じバーバリーのマフラーだった。

「ペアルックだ。カップルに見えるかな。今日だけ恋人になってよ、あゆちゃん」

 慶二の苦々しい言葉が蘇る。

『年上に目がなくて、綺麗なら男女構わず口説いて回る。気を付けろよ、歩』

 でも今の三沙くんの口調は、下心があるようには聞こえなかった。

「慶二兄がロシアに行っちゃって、新婚なのに寂しいだろ、あゆちゃん。だから今日だけ、俺がエスコートするよ」

 その眩しい笑顔は、裏表なんてないように思われた。

    *    *    *

 新宿バードランドは、JR新宿駅南口から十分の所に、国内最大級の屋内型遊園地としてあった。
 地上八階建ての各フロアには、楽しいことがぎゅうぎゅうに詰まってる。
 子供の頃以来だったけど、外観も内装も綺麗なまま、さほど変わってないように見えた。

「変わってないな」

 懐かしく呟くと、三沙くんが自分の事のようにはにかむ。

「なるべく雰囲気を壊さないよう、二年前にリニューアルしたんだ。そう言って貰えると嬉しいよ」

「三沙くんも関わったの?」

「父さんに、全面リニューアルじゃなくて、このままの雰囲気を残した方が良い、って主張したのは俺なんだ」

「へえ。何だか子供の頃に戻ったみたいで、凄く居心地が良い」

 三沙くんはよく笑う。まだ仕事をしたことのない学生特有の性格か、無邪気にも思える笑みだった。

「へへ。あゆちゃん、好きだったアトラクションとかある?」

「ゴーストツアーズ!」

 僕が、案内係のお姉さんに憧れて、何回も通った場所。
 アトラクション自体は、スクリーンの映像に合わせて四十席ほどの座席が揺れる、遊園地にはよくあるものだったけど、ここのは前室でイントロダクションがあった。
 初めは明るく売り物件の屋敷の説明をしていたお姉さんが、幽霊の声が聞こえてきて、震え上がって僕たちの無事を祈る所までがワンセット。

「ああ、ゴーストツアーズも、マイナーチェンジして新しくなったんだ。乗る?」

「うん!」

 祝日だから、待ち時間は三十分。三沙くんはズルしたりせずに、一般の人と同じように並んで待った。
 明るい三沙くんの笑顔は、寂しい僕の心を温めてくれた。

 僕たちの番になる。
 前室で整列していると、白衣で白髪の男性と、ツアーガイド風のお姉さんが現れた。実際は若い男性で、もじゃもじゃの白髪はウィッグなのが分かる。
 
 へえ! 二人になったんだ。

『皆さん、こんにちは!』

 白衣の男性が元気よく語りかけるけど、こんにちは、と返事はパラパラとしか返らない。

『おや、元気がない。お腹が減っているのかな? 八階のレストランをお勧めしますぞ』

 おどけたゴリゴリの宣伝に、子供たちの笑い声が上がる。

『じゃあ、レストランでビッグチーズバーガーを食べた気分になって……こんにちは!』

「こんにちはー!」

 みんなと一緒になって、僕も声を上げた。

『私は、この屋敷の管理と研究を任されている、博士じゃ』

『博士、私たちの物件に興味を持ってくださった方が、こーんなにいーっぱい!』

 お姉さんが胸の前で指を組んだ後、両手を広げ、オーバーアクションに笑顔で喜びを爆発させる。
 そう! この、お姉さんの演技が好きだった。

『ふむ、お買い得物件ですぞ。ちょっと同居人が居る事を、ご了承頂ければ……』

『博士博士! シーッ!』

 お姉さんが慌てて手を振って、唇の前に人差し指を立てる。

『隠すから、後で問題になるんじゃ。ほぉら……』

 風の唸りのような、獣の咆哮のような、地を這う声が聞こえてくる。

『同居人も、君たちを歓迎してくれているようじゃ。隅々まで内見して、そして、気に入ったら、是非契約書にサインしてくれたまえ』

 お姉さんが、僕らに身振り手振りで乗ってる最中の注意事項を伝えたあと、唸りがだんだんと大きくなって、身を震わせて耳を塞ぐ。

『ひゃあああ。皆さーん、くれぐれも、くれぐれも、安全バーから手を離さないでくださいね! この間のツアーでは、お帰りが三人、足りませんでした。あっちの世界に行ってしまったら、帰ってこられるか分かりません。どうかご無事でー!』

 僕は子供たちと一緒に目を輝かせて、その演技に見入った。
 そして乗った十年ぶりのゴーストツアーズは、予想以上にパワーアップしていた。
 屋敷の中を徘徊し、時に画面に迫ってくるゴーストの映像が、鮮明にリアルになってたし、時折風や水が客席に噴射されて、ヒヤリとした。
 キッチンで骸骨が骨付き肉をつまみ食いし、肋(あばら)の間からボロボロ零している場面では、肉の良い匂いが漂った。

『おかえりなさーい! えっと、一人、二人、三人……一人足りなーい!!』

 そうお姉さんの悲鳴が上がってから、暗かった場内は明転した。
 オチは同じなのに、何回乗っても楽しい。
 僕は頬を紅潮させながら、シートベルトを外して出口へと向かった。

「楽しかった? あゆちゃん」

「す…………っごく!」

 溜めて言う僕に、三沙くんが笑う。

「はは。良かった。俺は、シューティングが好きなんだよね」

「あ、ホールドアップ&ダック?」

「それそれ!」

「僕も好き。下手だけど。昔、すぐに撃たれちゃって陣地に戻って見てたら、お兄さんに話しかけられて、ずっと話してたんだ。でもブラックライトだから、顔はよく見えなくて。終わって灯りが点いたら金髪の外国の人で、思わず『ハ、ハロー!』って言っちゃった」

「ずっと日本語で話してたのに?」

「そう。子供なりに、必死に考えたんだ」

 三沙くんは、歳が近い事もあって、話しやすかった。
 ひとしきり話し、笑い、アトラクションを回った後、時刻は夕焼け、そろそろ帰ろうかという話になる。
 晩ご飯に誘われたけど、慶二に釘を刺されてたから、丁重にお断りして出口に向かった。

 出口横には、昔はなかった大スクリーンが設置されてた。
 バードランドのキャラクターたちが手を振って、口々に「楽しかった?」「また来てね!」と声をかけてくる。これは、子供はまた来たくなるなあ。いや、大人もかも。

 そう思って眺めてたら、不意に画面が真っ黒になり、ドラムのビートが印象的な音楽が流れ始めた。
 真っ黒から、カメラが引いて行くと、それは華奢な人物の後頭部だったことが分かる。
 カラフルなキャラクターたちから一転、モノクロ映像だった。

 パッパッと、サブリミナル効果みたいに、その人物の一部を切り取った映像が連続する。
 指、耳、素足、短いTシャツから覗くおへそ。最後に映ったのは、そこだけ真っ赤な唇。最初に見た後ろ姿は少年のようだったから、凄く違和感のある、強烈に印象に残る映像だった。

 最後に再び暗転して、淡々と『新人俳優募集』と大きな白抜き文字が出た。後は小さく、オーディションの日程や成人男性である事などの条件が出たけど、全部は読み切れない。
 この映像を作った人は、イメージと『新人俳優募集』の二点だけを伝えたかったのだろう。

「……興味ある?」

 思わず見入っていたら、横から声をかけられた。

「あ、えっと……」

 自信のない僕は、言い淀む。

「正直、俺も父さんも、あゆちゃんにこのオーディション、受けて欲しいんだよね。オーディションはシチュエーションだけで台詞は決まってないから、アドリブ力のあるあゆちゃんに、向いてると思うんだ」

「で、でも……メイクしてたし、慶二さんが何て言うか……」

「ああ。慶二兄の女嫌い?」

 三沙くんは朗らかに笑った。

「あれは、アレルギーみたいなもんだよ。女の格好やメイクを見ると、ベッドで拒否反応を起こすんだ。教えなければ、大丈夫だよ」

「でも……慶二さんも観るでしょ?」

「撮っちゃえば、こっちのもんだよ。慶二兄はしばらくロシアから帰れないだろうし、ベッドシーンがあるって言えば、多分観ないよ。ああ見えて、根は独占欲の塊だから」

「独占欲?」

「うん。昔、これは俺の! って決めた玩具(おもちゃ)は、絶対渡してくれなかった……ああ、ごめん、あゆちゃんと玩具は、思い入れが全然違うけどね」

 失言を丁寧に謝ってくれる。三沙くんやっぱり、悪い人じゃないかも。

「考えてくれる?」

「……うん。考えてみる」

 僕は新しいことが始まる予感に、胸を高鳴らせながら、小さく頷いた。
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