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第1章 魔の森編

006. 修行の日々(5)

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 はぁはぁと、ゼンは激しく荒い息をつき、手を握らずに、だが伸ばさずに、手の指は中途な位置で止めて、柔らかく構えている。

 殴る正拳、手刀で攻撃する、どちらにでも瞬時に対応出来る様にしているのだ。それに、手刀でもピンと伸ばさずに打ち込む方が、威力が強く、打ち込む手。自体への衝撃も緩和するのだとラザンから教わっていた。

 無手の組手を始めてから、軽く小一時間は経過していた。

 すでにゼンの全身各所は、痣だらけで酷い状態だった。

 ラザンの攻撃が速過ぎて、まともな防御が出来ないからだ。

 それでもラザンは、恐ろしく手加減をしている。身体強化は当然使っていない。力も入れていない。軽く流している。それでも圧倒的な地力の差がある。

 仕方のない事だが、適当男なラザンは、加減など下手で苦手。そもそも、人に剣術を教えた事等少しもないので、手加減して攻撃するのすら、闘技会で多少やった位が関の山。人に物を教える者として、絶対的に経験不足なのだ。

 そのラザンの攻撃は、防御がそもそも無駄なので、ゼンは回避、避ける事に専念していたが、それで避けられる訳でもなく、攻撃もしろ、と言われ、その岩の様に頑強な身体に、見よう見まねの蹴りや、拳を繰り出すのだが、ダメージにすらなっていない。

 殴る手、蹴る脚の方がよっぽど痛い。頑強な鉱石の岩に、思いっきり手加減無しの一撃を叩き込む様な物だ。攻撃をしたくなくなる。大木でも攻撃する方がまだ楽だった。

 ゼンは、ハッキリとそれを口にする。

「ん~~~?ま、しゃーねぇわな。じゃあ、俺の動きを見て、ともかく覚える事だ。俺も出来るだけ、力を抜くからよ」

 と、本人はかなり加減したつもりの、遅い蹴りや、手刀でゼンに対して攻撃するのだが、とにかく見えない。速過ぎて、勘でゼンは飛びのいたり、腕で防御(ガード)したりするのだが、受けた場合、ハッキリ言って一撃で吹き飛ぶ。

 面白い様に吹き飛び、周囲に生えている藪や木にぶち当たってやっと止まる。

 ゼンは、攻撃された瞬間、自分でもその威力に逆らわずに、同じ向きに飛び退るのだが、まるで足りていないので、結局は吹き飛ぶ。それでも、その攻撃の威力の何割かは軽減している筈だが、ダメージがきついので、もうよく分からないでいた。

 打たれ過ぎて身体のあちこち、痛まない場所など一つもないのだが、ラザンはすぐに立て、と催促して来る。

 ゼンは黙って立ち上がり、荒い呼吸を吐きながら、朦朧とした意識の中で、それでもラザンの攻撃を、見て、覚えて、躱そうとする。

 むしろ、意識が朦朧としてからの方が、本能的な、死から逃れる為の、緊急回避的な動きとなり、多少なりともラザンの攻撃から逃れていた。

 ほう、と感心してから攻撃の速度を上げるのが、意味不明に負けず嫌いで考え無しな、ラザンらしい行動なのだが、その蹴りを流石に避け切れず、ゼンは両腕で防御した、その腕をへし折られながら、また林の中へと吹き飛んで行った……。

「あ、やっちまった……」

 片手で顔を押さえ、しかめっ面をするが、それでやった事がなしになる訳でもなく、吹き飛んだ先に捜しに行けば、林の木々の枝がクッションとなり、そこにからまって、腕の骨が直角に折れて気絶しているゼンが、壊れた人形の様に、無残な醜態を晒していた。

 首が折れたりして、致命傷になってはいなかったのが、不幸中の幸いだった。


 ※


 ゼンが気が付くと、全身に濡れた感触がある。気絶した間に、ポ-ション回復薬をかけられたらしい。ジンジンとまだ熱い感覚がする。ポ-ション回復薬の効果でまだ治っている途中なのかもしれない。

 折れた、と受けた時の感覚で分かっていた腕も元に戻っている。ただ、まだ少し痛みでビリビリ震える感覚があった。

「気が付いたなら、残りも飲んでおけ」

 テントの近くに座っていたラザンは、目敏くゼンの意識が戻ったのに気が付き、ゼンに声をかける。

 出会った時の組手でも、似た様な感じになったな、とラザンはノンビリ考える。

 ゼンは、自分の脇に半分以上減ったポ-ション回復薬の瓶を見て、それを手に取り、残りをゆっくり飲み干した。

 まだ動かすと、手も全身も鋭く痛んだが、それを無視して身体を動かす。

「……すみません。ちゃんと防御出来なくて……」

 自分の無様さに落胆して頭を下げるゼンを、ラザンは奇妙な目で見る。

「謝る必要はねぇーよ。俺が力を込め過ぎたからな。こちらの手違いだ。俺の方が悪かったよ。

 だがしかし、そのすぐ卑屈になる癖は、直した方がいいぞ」

「はぁ……」

 ゼンは、自分がスラム育ちで、最底辺の身分である事への自覚を強くもち過ぎていた。

 その事自体は事実だが、だからと言って、何でも下手に出ていればいいものでもない。人間とは、相手が弱い者だと知るとむしろつけ上がり、傲慢な態度に出る者も多いのだ。

 それにラザンは、根っからの戦士だ。身分や生まれの出の卑しさ等、戦って勝ち取り、のし上がるものとしか思っていない。

 それで尊大な態度を取れ、という意味ではないが、ゼンの遠慮ばかりする姿勢を余りいいものとは思っていなかった。どうも、性格上の問題故か、矯正するのが中々難しそうなのだが。

「……まあ、ともかく。日が低くなって来た。少し早いが、今日の鍛錬はこれまでとする」

「え?その……、俺は、まだ出来ますけど?」

 ゼンの遠慮がちではあるが、強情に食い下がる態度に、ラザンは大きく溜息をつく。

「まだ回復し切ってなねぇーだろーが。お前が少しでも早く強くなりたい、と思う気持ちは分からんでもないが、休息を取れる時に取る。その見極めだって大事なんだぜ。

 別に焦らんでも、修行はいくらでも厳しくしてやる。その内、夜の魔物の増強度なんかも体感させてやるが、今はまだ早い。

 メシの支度(したく)と、自主練でもしててくれや」

 すでにラザンは、酒の入った徳利(とっくり)と呼ばれる壺を出し、くつろぎ体勢(モード)に入っている。ゼンが何を言おうと無駄だろう。

「はい、師匠……」

 ゼンは頭を下げ、自分のテントの方へ行こうとしたが、思い直してまたラザンの近くへと来る。

「師匠、その……相談、があるんですが……」

「?なんだなんだ、深刻そうな顔をして。俺に出来る事なんざ、大してねぇーぞ」

 ラザンは暗い顔をするゼンを茶化す様に、ヘラヘラと笑ってみせる。

「あの……、精神鍛錬ってありますよね。それで、自分の悪い記憶とかを、封じ込める事って、出来ないんでしょうか?」

「なんだ、お前、フェルズでなんぞ悪事でも働いたのか?しかし、その記憶を失くしても、お前がやった事が消えてなくなったりはせんぞ?」

「あ、そうじゃないんです。その、自分の暗い衝動、悪い事をしそうになる、そういうのを、封印出来たら、って思って……」

「ふむ?ますます分からんな。自分が悪事をしてしまいそうになる、その原因になる記憶を封じたいって事か?」

「……そんな感じです」

 ゼンは小さく頷く。

「ふん。だがな、ゼン。それが辛い記憶、苦しい記憶なら、それを抱えて、乗り越える事の方が、精神を強くする事になるんだが、それじゃ駄目なのか?」

「……ちょっと違います。具体的に話せない、話したくない事なんですが、辛い、悲しい記憶じゃないんです。むしろ逆、みたいな……」

 ゼンの悲痛な顔付を見て、流石にそれを無下に出来る程、ラザンは極悪人ではなかった。

「う~~~ん。まあ確かに、自己暗示で自分の記憶の一部を封じ込めたりする事は、出来なくもないが、それは、本当に失くしてもいい“もの”、“大事な記憶”じゃないのか?」

「……いいんです。無くなった方が……」

 ゼンはまるで、泣きだす一歩手前の様に悲壮で悲痛だった。

 この、スラム育ちとは言え、そうとは思えない程に素直で、彼と泣いて別れを惜しむ者がいる様な純朴な少年に、一体何故、封じてしまいたい程の思い出、記憶があるのか、流石のラザンでも見通せはしない。

「……まあいい。丁度明日から、“気”の鍛錬も始めようと思っていた所だ。ある程度、身体強化を使える様になってもらわんと、まともな組手も出来んようだったからな」

「あ、はい。それじゃあ!」

 ゼンの表情が、一転して明るいものとなる。

「ああ。“気”が使える様になれば、その自己暗示法も、出来る様になる。やり方も、ちゃんと教えてやるから、早まって勝手な事するなよ。素人の生兵法は大怪我の元、って言ってな」

「生、びょーほぅー?」

「俺の国のことわざだ。深く気にするな。要するに、やり方を覚えるまで、下手なやり方をするなって事だよ」

「分かりました!」

 封印法が覚えられる、解決出来ると分かってか、先程とは打って変わって、軽い足取りでテントへと戻るゼン。

「……人には人の、事情がある、ってか」

 それをすがめた目で眺めながら、酒を口にするラザンだった。


 ※


 魔の森にこもり、修行にいそしむ二人。

 ところで、今この二人は、お互いに隠し事があり、微妙に悩み合った状態だった。

 ゼンは、先程の封じる記憶の事だけでなく、自分が抱える“事情”について。

 その事は、ゴウセルがラザンに話したのではないか、と思っていたのだが、あの短い時間では、詳しい話は出来なかったであろう。

 しかし、ゴウセルはラザンに、ゼンの事に対する、長い手紙を渡していた。それに必ず、ゼンの“事情”は書かれていた筈なのだが、どうもラザンは、それを適当に流し読んだだけで、ゼンが気にする“事情”の意味も内容も把握してない様に思われた。

 今までの旅の途中での言動からも、それは伺えた。

 ならば、ゼンは自分の口からそれをラザンに伝えるか、手紙にその事が書かれている事を伝え、もう一度読み直す事をお願いするだけでも良かったのだが、ゼンはそこでためらってしまう。

 もし“あの事”を知り、ラザンが自分を、『流水』の修行をするに値しない者だと判断され、フェルズに戻れ、と言い渡されてしまったら、どうしようか、と。

 ラザンの破天荒で予想のつかない、ハチャメチャな性格を知る内に、そんな可能性が少なくない。充分あり得る事だと、ゼンは理解してしまっていた。

 だから恐れ、躊躇ってしまうのだ。

 隠していても、いずれ絶対に気付かれてしまう事だと言うのに……。



 一方のラザンの隠し事は、ゼンの修行に対する心構え、『流水』を習得しようとするに対して、避けては通れぬ修行法について、だ。

 ゼンは、今でも充分厳しい修行をしている。

 だが少年が成長し、強くなればなる程に、修行は過酷さを増し、常識では考えられない様な領域へと達する。

 『流水』とは、それ程に特殊な剣術なのだ。

 最終的に、精神的な“死”、肉体的な“死”に近い試練を乗り越えなければ、『流水』を完全に習得する事は叶わないだろう。

 生きて仲間の元に、フェルズに帰還する事を夢見る少年に、“死ぬ”覚悟を強制する。

 それは、無頓着で無神経なラザンでも、かなり躊躇し、言い辛い話なのだ。

 すでに、ゼンと知り合ってから、一カ月以上、二カ月近く経っている。

 その間に、素直でひた向きな弟子に、少なからず情が湧いてしまっている。

 ラザン自身、それは思ってもいなかった程に強く。

 何もかも失くし、流れ流れてついた地で、全てがどうでもいい、と投げ槍に惰性で生きていた。

 その時その場所で、自分で途絶えると思われた『流水』を、継いでくれるかもしれない人材に出会えた。それは奇跡に近い。

 自国でも、百人を超え、千人近く、優秀な子供を集められても、その内の2~3人がやっと、生きて『流水』を習得するに至るが、それでも完全に、ではない。

 大体が、不完全な『流水』の真似事になる。

 それでも彼等は、次代へと技を繋げる為に、師範代となり少しでも『流水』の技術を残そうと、悪戦苦闘してきた歴史がある。

 ラザン自身、自分が『流水』の源流となる技術の何処まで覚えられたか、分かっていない。すでにそれを判断する上の者が存在しない今、分かり様がないのだ。

 それでも、修行中の事故により瀕死になった経験と、一門全て、自分の妹すら殺され、恋人と思っていた女性に裏切られたラザンは、精神的な“死”をもその時に経験し、『流水』の剣士、呼べる存在まで昇華した。

 それは、その時その時代、周囲を取り巻く事象の成り行きによって、偶然なされた事に過ぎない。

 そもそも精神的な“死”とは、そんな具体的に、何かを失って成される様な試練ではなかったのだが、ラザンの場合はそういう成り行きで、『流水』習得の試練、壁を超えたのだ。

 ゼンに課す修行で、どこまでその試練を出来得るか、ゼンがそれに耐え得るのか、ラザンにも予想がつかない。

 自分は、“いつのまにか”そうなっていたのだ。

 まさか、それを再現する訳にもいかない。

 フェルズに戻って、ゼンの親しい者を目の前で斬り殺す?

 そんな事をしても、単に恨みを買い、復讐に燃える狂戦士を生み出すだけになる可能性の方が高い。

 精神的な“死”の試練とは、実際はそんな安易な物ではなかった。

 だからこそ、ラザンをその壁を超えられずに行きづまったのだから。

 ゼンの場合、どうするべきなのか、ない頭を悩ますラザンなのであった。








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オマケ劇場

ミ「Zzzzz……」
リ「……先輩先輩、起きて下さい。始まりましたよ」
ミ「は!待ちくたびれて、眠ってしまったですの」
(口元のヨダレふきふき)
リ「まあ、気持ちは分かりますけどね」
ミ「でも、内容はちゃんと把握してますですの!ご主人様、お可哀想に!おいたわしや、ですの」
リ「まだ剣術を習い始めたばかりですし、仕方ない事ですけど、厳しい修行の場面はきついですね」
ミ「そうですの!アタシ達が中にいる時もずっと修行で、手出し厳禁無用、と言い渡されてましたから、凄くきつかったですの!」
リ「そこまでいってないのに、このありさまですから、本当に辛いですね……」
ミ「まったくですの!」

セ「なんだかんだ、主様の事だと仲いいですね、あの二人」
ゾ「ま、好きな男で主だからな。その苦境をいがみ合ってちゃ見れねーだろうさ」
ボ「うんうん。他人事じゃないからね」
ガ「同意……」
ル「おー!主さま、るーと同じ、まだ雛だからくろーしてるんだお?」
セ「そうだね。誰でも、雛、子供の時があるからね」
ゾ「それが、たった二年半で、俺を負かす剣士になるんだから、凄いの一言に尽きるな」
ボ「……ゼン様、偉い」
ガ「……同意。偉業也」
ル「るーも、主さまに負けず、ガンバル、おー!」
三者「「「はいはい」」」

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