伯爵令嬢と正邪の天秤

秋田こまち

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 煤けた砂利の道を極力目立たぬ様に歩く。この街の雰囲気にも何とか順応したセシリアの挙動も先程よりは幾分か落ち着いている。

「確かにシシィは貧民街で暮らしていたそうですけど何か当てはあるんですか?」
「これは話して無かったか。ーー5年前のあの事件の前、シリウスは何度か貧民街に足を運んでいた。」
「何でそんな大事なこと教えてくれなかったんですか!」
 スカーレットは悪びれもせず忘れていた、とセシリアに告げた。

「理由を尋ねたら『子供時代に世話になった人に星将軍の件を報告する』と言われたから特に不審に思わなかったんだ。私たちには貧民街の出身だと申告していたからな。ーーだが、お前からシリウスの話を聞いた後ならば話は別だ。」
 
 確かに、その通りだ。シシィは子供時代をバイロイトで過ごしていたのだから、貧民街へ訪れる理由としては不可解だ。

(何か、スカーレット様にさえ誤魔化さざるを得ない理由があった?)

「だから、シシィが此処に足を運んだ本当の理由を探すってことですね?」
 そう問いかけるとスカーレットは軽く頷く。


「、、でもなんで最初に教えてくれなかったんですか?」
「お前が挙動不審で慣れていないのが丸わかりだったからだ。調べ物する奴が目立ってどうする。」
「それはすみません、、。」






「それで、何か当てはあるんですか?」
「いや、無い。」
「えっ!?」
 ーー無いの?
 当然の事であるようにこの街へ訪れたのだから、何か考えがあると思っていた。

「此処に何かがある、と言う事以外は不明だ。その辺の奴らにシリウスを見た事があるか否かを尋ねる他ないだろう。それかーーシリウスの行きそうな場所をしらみ潰しに当たるかだ。」
 どの道地道に作業するしか無いのだろう。幸い、現在の彼女は聖職者達の蛮行により出征する必要は無い。
「シシィの行きそうな場所に心当たりはあるんですか?」
「幾つかなーーセシリアの方も何か無いか?どこか行ってみたい所でも良いぞ。」
「行ってみたい所?、、2人が初めて会った場所なんてどうですか?」
 スカーレットが物凄く嫌そうな顔を浮かべる。よりにもよってどうしてそこなんだとでも言いたげな顔だ。
「だって、気になるじゃないですか。」
「恋愛小説の読み過ぎだ。」

 シシィが貧民街出身だと聞いていたからてっきり此処で出会ったのだとばかり思っていたが、もしかして違ったのだろうか。
「すみませんこの街で出会ったものだとばかり。」
「この街だが。」
 セシリアの顔に興味の色が現れたのを見た彼女が、黒髪の頭を軽く小突いた。

「選択肢の1つだったからな。仕方ない、向かうぞ。」
「それって何処にあるんですか?」
「ナミュールという古書店だ。」





 
 とある道沿いにある赤い屋根の小屋を曲がると、薄暗い入り組んだ路地裏へと辿り着いた。
 灰色の布切れのような服を軒下に干している家もあれば、壁の凹んだ部分をそのまま家として利用している者もいる。
 中には、通りすがりの自分達を物珍し気にじろじろと見つめる者もいたが大体の人間は他人に興味が無いのだろう、セシリア達を一瞥するとそのまま視線を戻す。貧民街の大通りとは異なる雰囲気だ。

 自分はともかく、スカーレットに一瞥をくれるだけの人間などほぼ皆無なので新鮮な気分だ。もっとも、そんなことを考えている場合では無いのだけれども。



 路地裏の奥の奥にある古ぼけた店へと辿り着く。木製の建物で屋根は茶色に塗られている。此処へ辿り着く途中の路地裏の家々と比べると比較的しっかりとした作りだ。

「ここ、ですか?」
「そうだ。ーー10年以上も経つというのに此処は全く変わらないな。」
 スカーレットが懐かしそうにその碧眼を細める。

 所々メッキの禿げかけた取手を掴み、ナミュールという古書店の扉を開ける。
 室内からは少し埃っぽい匂いが漂ってきた。本棚には所狭しと本が詰められ、それどころかそこら中に収まりきらなかった本が積み上げられている。

 不思議な雰囲気の店に、セシリアは恐る恐る足を踏み入れた。


「いらっしゃい。」
 ふと、店の奥からしわがれた声が聞こえてきた。そちらを振り返ると、白い髪の毛に豊かな髭の老人が杖をつきながら歩いてくる。
 この店の店主だろうか。

「こんな若いお客さんが来るとは珍しい。今日は、何かお探しかな?」
「えっ、と、、。」
 王都を揺るがす大問題事件の手掛かりを探しにきました、なんて馬鹿正直には言えない。なんと答えを返したものかとうんうん唸っていると、目の前の店主らしき人物は朗らかに笑った。

「急に驚かせてしまいましたな。すまないね、何せ誰か来ること自体が久しぶりだったのじゃ。」
「そ、そうなんですか。あれ、ここってお店ですよね?」
「そうじゃが、この街には本など買いに来るやつは殆どおらんよ。みなその日を生きるので精一杯じゃから。儂の趣味のようなものじゃよ。」
 確かに、こんな奥にある店など普通は気が付かないだろう。

「所で、あちらのお兄さんはお嬢さんの連れかな?」
 そう言ってスカーレットの方を指し示す。彼女は積み上げられている本を手に取りながら、店の中を見て回っていた。
「そう、です。、、どちらかと言うと、お姉さんですが。」
「それは失礼!いやはや、若い男女のお客さんなど久しぶりだと思ってな。」
 さっきから男に間違えられてばかりだなあのお姫様、とセシリアは微妙な気分になる。
 
 店内だしもう大丈夫だろうとセシリアが外套を脱ぐと、黒い髪と琥珀色の瞳が顕になる。すっきりした、と伸びをするセシリアを見た老人が驚きの声をあげる。
 不思議に思ったセシリアが店主の方を向くと彼はすまんの、とにこやかに笑った。

「昔よく遊びに来てくれた少年に似ておるなぁと思ってな。」
「それってどんな子でしたか?」
 急に身を乗り出したセシリアに驚いたのか、店主は少し目を丸くしながらもしっかりとした口調で答える。
「元気で優しい子じゃったな。少し抜けているところもあったが良い子じゃったよ。君と何となく雰囲気も見た目も似ておる。特にその金だか橙かの瞳の色が。」

 もしかしたら気がついている者も居るのかもしれないが、王宮でシシィと似ているなどと言われたことは無い。そもそも性別が違うのだから無理も無い。
 琥珀色の瞳だって間近で見なければ黄金色にも橙色にも見えるため、シシィとセシリアの瞳が琥珀色だなどと思う人間は殆どいないのだ。黒髪だってありふれた色だ。初見で怪しんだスカーレットが寧ろ珍しいのだ。
 
「頻繁に此処へ来る者など彼くらいじゃったから良く覚えておるよ。」
 そう言って再び朗らかに笑った。シシィ以外の人が訪れることは殆ど無かったそうだから、余計に似ている様に感じるのだろう。

「まあ、何年か前に最後に遊びに来たっきりじゃがな。」
 少し残念そうに店主は言う。
 しかし、セシリアはそれどころでは無い。

(シシィが5年前にナミュールに来てたってこと?)

 ちょうど、スカーレットが言っていた頃だろう。もしかしたから、一発目で大正解を引き当てたのかもしれない。
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