【書籍化決定】カメラ越しのシリウス イケメン俳優と俺が運命なんてありえない!

野原 耳子

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第三章

17 選んだ道

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 保の驚いた表情を見て、藍人がハッとしたように息を呑む。だが、藍人はすぐに取り繕うように笑みを浮かべた。そのまま、話を逸らすように口早に言う。


「保さんのご家族は、すごく素敵だね」
「そうですか? どこにでもいる、ありふれた家族だと思いますけど……」


 酔っ払って床に転がっていた一同の姿を思い出すと、『ええ、素敵な家族です』とは答えられなかった。『むしろ、どうしようもない一家で申し訳ございません』と頭を下げたくなるくらいだ。

 保が眉根を寄せていると、藍人は少しだけ泣き笑うような表情を浮かべた。


「あれを『ありふれてる』って思えることが幸せなんだよ」


 それを聞いて、ふと自分がとんでもなくひどいことを言ったような気がして、足が止まった。突然立ち止まった保を、藍人が不思議そうに振り返ってくる。


「すいません……俺、たぶん無神経なこと言いましたよね」


 うかがうような声音で訊ねると、藍人は眉尻を下げたまま首を左右に振った。


「そんなことはないよ。ただ僕は、ああいう光景を『ありふれてる』って思える保さんが好きなんだ」


 極自然に零された『好き』という一言に、顔が熱くなるのを感じた。何気ないフリで頬を掌で擦りながら、辺りが真っ暗で良かったと頭の隅で考える。顔が赤くなっても、藍人に気付かれないから。

 保が黙っていると、藍人はぼんやりとした仕草で空を見上げた。藍色の空には、半分に欠けた月と無数の星が浮かんでいる。満天の星空を見つめて、藍人はぽつりと呟いた。


「保さんが普通だと思っているものが全部、僕には星みたいにキラキラと輝いて見える」


 藍人が、はぁ、と淡い吐息を漏らす。まるで永遠に手の届かない何かに焦がれているような、そんな憧憬(どうけい)のこもった息だ。

 そう思った瞬間、保は繋いだ手にギュッと力を込めていた。掌を強く握られた藍人が、驚いたように保を見てくる。


「俺には、貴方の方がずっと星みたいに見えますけど」


 無意識にそんな言葉が零れていた。なんて恥ずかしいことを言ったんだ、と後悔する間もなく、藍人がパッと表情を輝かせる。


「本当に? 保さんから見ても、僕はそう見えるの?」


 子供っぽい口調で言いながら、藍人が嬉しそうに破顔する。


「やっぱり、僕らは運命だ」


 迷いなくそう告げる声に、その無邪気な笑顔に、どうしようもない幸福感とともに堪らない罪悪感を覚えた。自分なんかが藍人の運命であっていいのだろうか、という卑屈な感情が胸の奥から湧き上がってくる。

 するりと藍人の手が離れていく。そのまま小走りで十メートルほど遠ざかると、藍人は振り向いて保に大きく手を振った。


「保さん、撮ってよ」
「カメラなんか持ってきてないですよ」
「スマホでいいから」


 ねだる声に、仕方なくポケットからスマホを取り出す。そのままカメラを向けると、藍人はこちらへとピースサインを向けてきた。記念写真でも撮るみたいなポーズに小さく噴き出しながら、シャッターを切る。


「有名人なんだから、もっとモデルみたいなポーズ取ってくださいよ」
「保さんの前で、格好付けたポーズ取るのは恥ずかしいよ」
「格好付けて吐くのは我慢したのに?」
「そういうことは蒸し返さないで欲しいなぁ」


 軽口を叩き合いながら、次々と藍人の写真を撮っていく。暗闇の中、ほんのわずかな月明かりに照らされた藍人は幻想的に美しかった。スマホの画面越しでも、チカチカと眩しく輝いて見える。

 途中から霧中になって写真を撮っていると、藍人がふと呟いた。


「保さんは、どうしてカメラマンになったの?」


 唐突な問い掛けに、スマホを覗いていた顔を緩く上げる。すると、藍人がこちらをじっと見つめていた。


「何となく、ですかね」


 緩く首を傾げながら適当なことを答えると、藍人は苦笑いを浮かべて保の足下を指さした。


「何となくでカメラマンになった人が、地面に膝までつかないでしょう」


 言われて気付いたが、いつの間にか保は地面に片膝をついていた。藍人を一番いい角度から撮ろうとして、無意識に膝を落としていたらしい。

 慌てて立ち上がって土まみれになったズボンを叩いていると、藍人の靴が視界に入った。顔をあげると、すぐ近くに藍人の姿が見える。


「どうしてカメラマンになる道を選んだの?」


 同じことを訊ねられて、唇が勝手に動く。


「幼稚園の運動会」


 思い出の端切れみたいな一言に、藍人が緩く首を傾げる。


「幼稚園の運動会?」


 反芻された言葉に小さくうなずきを返して、保はぽつぽつと話し始めた。


「幼稚園の運動会のときに、父がカメラで撮影してくれたんです。玉入れとか綱引きとか、あとダンスを踊ってる姿とかも撮ってくれて」


 思い出をたぐるように口に出していくと、その光景を想像したように藍人が目を細めて微笑んだ。


「だけど、徒競走のときに俺は盛大に転んでしまって、鼻血を垂らしながらゴールしたんです。先生が撮影したそのときの映像が後日幼稚園で流されたんですけど、俺が転けた瞬間にみんながおかしそうに笑って……まぁ、子供心にすごく恥ずかしかったんです」


 恥ずかしい昔話をぽつぽつと語っているのも照れ臭くて、後頭部を雑に掻く。むしろ笑ってくれればいいのに、藍人は真剣な表情で保を見るばかりだ。


「もうあんな映像二度と観たくないって思ったのに、その夜に父が撮った運動会の映像が家でも流されて……でも、それは全然違った。父がアップで撮った俺は、鼻血を流しながらでも必死にゴールを目指して走ってて、すごく一生懸命で、格好良く見えたんです」


 はは、と保が小さく照れ笑いを漏らすと、藍人は柔らかな声で、うん、と小さく相づちを返してくれた。


「それで、撮る人によってこんなにも映り方が違うんだって思ったんです。映し手によって、どんな風にでもその人を映し出すことができる。本人すら見えていない一面を切り取ることができるんだって考えたら、すごく面白そうだなって思えて――だから、カメラマンになる道を選んだんです」


 思いを吐き出しているうちに段々と恥ずかしくなってきて、最後は少し投げやりな口調で言い放った。

 頬の熱さを紛らわせるように、片手でパタパタと顔を扇ぐ。わずかな沈黙の後、藍人の声が聞こえてきた。


「だから、保さんが撮る人はみんな輝いて見えるんだね。保さんが、その人の魅力を映し出そうって真剣に考えているから」
「それができてるかどうかは分からないですけど」
「できてるよ。だから、みんな保さんに撮ってもらいたがる」


 それは貴方がバズったからですよ。と保が言い返しても、きっと藍人は笑って否定するのだろう。

 保が何とも言えない表情を浮かべていると、藍人はにやっと笑って保のスマホを奪い取ってきた。勝手にスマホをいじる姿を見て、咽喉から焦った声が溢れる。


「ちょっ、とっ」
「ほら、さっきの写真だって、こんなに上手く撮れてる」


 そう言いながら、藍人が先ほど撮った写真を画面に映し出す。そこには星空をじっと見上げる藍人が写っていた。斜め下から見上げる角度で、藍人のなめらかな横顔と満点の星空が切り取られている。

 その写真を見た瞬間に、唇が勝手に動いていた。


「綺麗だ」


 保の呟きを聞いて、藍人が満足そうに微笑む。そうして自身も画面を眺めると、小さな声で呟いた。


「保さんに撮ってもらった僕は、とても綺麗なものみたいに見えて、安心する」


 どうしてだか、その言葉は寂しげに聞こえた。目を瞬かせて見やると、藍人は少し困ったように眉尻を下げた。


「藍人さんは……綺麗でしょう」
「そうかな? 保さんからそう見えてるなら、いいけど」


 とんでもなく綺麗な顔をしているくせに、どうしようもなく自信なさげな口調で言う。そのチグハグな姿に、保はひどく困惑した。どう言葉をかければいいのか分からず、開いたままの唇が動かなくなる。

 この人は、いつもそうだ。何もかも持っているくせに、時々取り残された子供みたいな顔をする。いつだってニコニコと微笑んで自信に満ちたフリをしているのは、本当は誰よりも臆病だからなのではないか。

 そう思うのと同時に、唇が動いていた。


「藍人さんは、どうしてそんなに運命にこだわるんですか?」


 唐突な保の質問に、藍人が驚いたように目を丸くする。だが、すぐさま誤魔化すみたいに曖昧に微笑んだ。


「だって、運命ってロマンチックで素敵じゃないか」


 そう言って、朗らかに笑う。以前までの保だったら、それを藍人の本音だと思っていたかもしれない。だけど、今は違うと分かる。


「なんで、俺に嘘言うんですか」
「嘘なんか――」
「眉頭がいつもより内側に寄ってるし、左目を少しだけ細めてる。藍人さんが適当なことを言って、話を流すときの癖です。もう何十回も藍人さんを撮(うつ)してきたんですよ。嘘をつくときの表情ぐらい分かってます」


 淡々とした口調でそう告げると、藍人はギュッと眉根を寄せた。戸惑いと、わずかな嫌悪が滲んだ表情だ。その嫌悪は、保に対するものというよりも自分自身へ向けたもののように思えた。

 長い沈黙が流れる。涼しい夜の風が吹いて、サラサラと田んぼの青い稲穂が揺れる音が、やけに大きく聞こえた。
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