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第四章
22 桐山蓮華
しおりを挟む撮影は順調に進んでいるようだった。
保は邪魔にならないように隅っこの方で、じっと撮影を見守った。視線の先では、複数台のカメラや照明に囲まれた藍人と壮年男性の俳優が、緊迫したやり取りを繰り広げている。
藍人がナイフを振るった瞬間、パッと真っ赤な血飛沫が飛び散るのが見えて、保は目を細めた。散った血糊が藍人の頬を凄惨(せいさん)に彩っている。血に汚れながら天井を仰ぐ藍人の横顔は、おぞましくもひどく静謐(せいひつ)で、美しく見えた。
沖永監督が「カット!」と叫んだ瞬間、張り詰めていた糸が緩むみたいに、ふっと現場の空気が和らいだ。途端、スタッフがばたばたと忙しなく動き出す。
目を閉じていた藍人が、ゆっくりと目蓋を開く。現実に戻ってくるように、感情の失せた瞳が緩やかに瞬いた後、藍人が保の方へと視線を向けてくる。途端に、冷酷な殺人鬼の顔が柔らかくほどけていった。
「保さん、どうだった?」
飼い主に駆け寄る大型犬みたいに近付いてきて、藍人が訊ねてくる。
「すごく、すごく、すごかったです」
語彙力ゼロな感想をそのまま口に出す。
元々上手い演技をする俳優だとは思っていたが、真剣に演技に向き合った藍人はある種のオーラを纏っているように見えた。憑依型と言ってもいいほど、羽野という役柄に完璧に入り込んで、一体化している。その姿を見ると、初めて出会った日に死ぬ気で俳優を引退するのを止めてよかったと心の底から思えた。
保の感想を聞くと、藍人はおかしそうに肩を揺らして笑った。
「すごく、しか言ってないじゃん」
子供っぽい口調で言ってから、藍人がぐいっと顔を寄せてくる。その急接近に、保はとっさに仰け反りそうになった。保の狼狽を気にする様子もなく、藍人が自身の顔を指さして言う。
「初の血糊だけど、思ったよりベタッとしてるよ。触ってみる?」
「わ、分かったから、そんな近付かないでくださいっ」
血糊のついた頬をぐいぐいと寄せられて、焦った声で言い返す。
そのまま、保は恐る恐る手を伸ばして、柔らかな曲線を描いた藍人の頬に触れた。少しとろみのある感触がして、指先に赤い色が広がっていく。
「なんか、ちょっとトロッとしてて天津飯のあんっぽいですね」
「天津飯って」
料理にたとえたのが面白かったのか、藍人が目を細めるようにして笑う。頬に血糊をべったりとつけているというのに、その笑顔は無邪気で可愛らしい。
「血糊がついてても、僕はキラキラしてる?」
悪戯っぽい口調で、藍人が訊ねてくる。その質問に、思わず口元が緩んだ。
「藍人さんは、どんなときだってキラキラしてますよ」
無意識に漏れた言葉に、何だかバカップルみたいな会話だと思って赤面しそうになる。思いがけず保の素直な返答を聞いて、藍人がパチリと大きく目を瞬かせる。だが、すぐさまその表情がとろけるように緩んだ。
「僕も、保さんだけが輝いて見える」
小声で囁かれた甘い言葉に、カッと頬が熱くなる。藍人がそっと保の頬に手を伸ばしてくる。瞬間、甘いサンダルウッドの香りが鼻先を掠めた。
だが、藍人の手が触れる前に、スタッフの大きな声が聞こえてきた。
「清水さーん! メイク落としますから、こちらへどうぞ-!」
メイクであろう女性が、別室から顔を覗かせてぶんぶんと腕を振っている。どうやら教会内の一室を、メイク兼衣装室として利用させて貰っているようだ。その姿を見て、藍人がピタリと手を止めて、残念そうに眉尻を下げる。
「保さん、もう少しだけ待っててくれる? 今日はこれで撮影終わりだから、一緒にご飯に行こうよ」
「それは、大丈夫ですけど」
「せっかくだから天津飯でも食べに行く?」
ニヤッと笑いながら藍人が訊ねてくる。その言葉に、保は大きくため息を漏らした。
「人のたとえで遊ぶのはやめましょう」
先生みたいな口調で答えると、藍人は楽しそうに頬を緩めた。その満たされたような表情に、眼球を焼かれるような感覚を覚える。無闇矢鱈と振りまかれる笑顔の大安売りに、そろそろノックアウトされそうだ。
手の甲で目を擦っていると、藍人は忙しなくスマホをいじっていた猿渡に声をかけた。
「猿渡さんは会社に報告が終わったら、そのまま帰って貰っていいから」
「分かりました。お疲れ様です」
素早く答えて、猿渡がぺこりと頭を下げる。お疲れ様、と声を返すと、そのまま藍人は足早に遠ざかっていった。
藍人の姿が別室へと消えていくと、すぐさま猿渡が保に声をかけてきた。
「すいません、それでは私は会社に電話してきますから、もう少々こちらでお待ちいただけますか?」
信徒用の長椅子を掌で示しながら、猿渡が言う。
「はい、大丈夫です」
長椅子に腰掛けて答えると、猿渡は会釈をしてスマホを耳に当てながら教会の外へと出て行った。
教会内では、スタッフたちが忙しなく機材の片付けを行っている。その中で、一人だけ何もせずに座っているのが何だか申し訳なかった。いっそ雑用でも手伝おうかと思って立ち上がりかけたとき、不意に背後から可愛らしい女性の声が聞こえてきた。
「芦名保さん?」
フルネームで呼ばれて、驚いて振り返る。すると、斜め後ろにすらりとした女性が立っているのが見えた。
女性は、艶やかな黒髪を背中まで伸ばしており、どこか儚げな印象を受ける美しい顔立ちをしていた。少し太めな眉と垂れ目がちな瞳が純朴さを感じさせながらも、可憐にも見せている。その姿は、よくテレビで見たことがあった。
「桐山(きりやま)蓮華(れんげ)さん?」
唖然とした声で名前を呼ぶ。
桐山蓮華は、一年前にブレイクして今人気の清純派女優だった。そして、藍人の『運命の相手』ではないかとネットで噂されている女優でもある。この映画にも、確か準ヒロイン役として出演陣に名前が並んでいたが、すでに今日の撮影は終わっているし、桐山の出演シーンもなかったのに、なぜここにいるのか。
だが、今はそんなことを考えている場合でもない。保は慌てて立ち上がると、桐山に向かって礼をした。
「お疲れ様です。T局スタッフの芦名と申します。今日は見学でお邪魔しています」
とりあえず礼儀正しくしなくては、と思って挨拶をする。だが、保の挨拶に対して、桐山は露骨に顔を顰めた。まるで視界の端に小虫でも見つけたような不愉快そうな表情だ。
「そうですか。ちょっとお話があるんで、一緒に来てくれますか」
お願いというよりも強制するような口調で言われて、保は困惑した。そのつっけんどんな態度からしても、桐山が保に良い感情を抱いていないことがありありと分かる。だが、桐山と言葉を交わすのはこれが初めてなのに、なぜこんなにも敵視されているのか。
「すいません、ここで待つように言われているので、お話であればこの場でしていただいてもいいですか?」
下手(したて)な口調でそう頼む。だが、桐山はますます顔を歪めた。可愛らしい顔立ちが、今はひどく傲慢に歪んでいる。それを見て、保は密かに鳥肌を立てた。
テレビでは清純派として有名な桐山だが、今の表情を見ると、実は悪女役の方がハマり役なんじゃないだろうか、とすら思う。
保を睨み付けたまま、桐山が吐き捨てるように呟く。
「あなた、オメガでしょう」
その言葉が耳に入った瞬間、ぞわりと背筋が粟立った。全身の血がスゥッと音を立てて引いていくのが分かる。保は目を見開いて、桐山を凝視した。
桐山は横柄な仕草で顎をしゃくると、有無を言わせぬ口調で言い放った。
「いいから、さっさと来て」
そう言い切るなり、返事も聞かずに歩き出す。保はとっさに藍人が消えた別室の方へと視線を向けた。だが、藍人が別室から出てくる気配はない。
歩いていく桐山を無視するわけにもいかず、保はその後ろをのろのろと追いかけた。
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