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番外編「ニャンヤンのお祭り」
9.犬
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店主がベルを鳴らすと、待機中の女たちが料理を取りに来る。
給仕や客の話相手をするだけでは大した稼ぎにはならない。自分のからだを囮に二階へ誘い、金を落とさせるのが彼女たちの仕事だった。
厨房にジェイルがいるのを見て、彼女たちはクスクスと笑った。見目好く飾り立てた姿はまるで大輪の花々のようだが、下着を見せてからかってきたりするのでタチが悪い。
「ま、おまえが来て俺は得したよ」
ジェイルの苛立ちを見てとったかのように、店主は蒸し物の載った皿を寄越した。食え、ということらしい。
「……通行制限か」
「ああ。ベルマインの野郎はいったい何を考えてやがるのか……」
ラウム領の領主・ベルマインは、ナタリア女王の即位宣言を受け、領地間の通行制限を開始した。歓楽街の酒場には職にあぶれた男たちがたむろしている。
「もともと、おまえみてえな流しのサクラは定期的に来てたんだ。よそ者ならイカサマがバレたところであと腐れないしな。……それが、移動の条件が厳しくなっちまって」
「客はその話ばかりだ。これからさらに厳しくなるらしいが」
女王の名前が裏書された旅券を持っていなければ、ジェイルとルカも危ういところだっただろう。
「そうだ。厳しくなる前に行くもんだと思ってたが、気が変わったのか?」
「……連れの都合だ」
にゃんにゃん!と猫の鳴き真似をするルカを思い出して、ジェイルは小さく笑った。
「猫の祭りの準備を手伝うと言っていた」
「ハハッ、なんだそりゃ。猫好きなのか? 修道士でもあるまいし」
店主はジェイルが修道士と旅をしているとは夢にも思わないらしい。「それなら祭りの日に店まで連れてくりゃいい」とサラッと言った。
「店の女たちにも仮装させるんだ。縁起がいいし、客が盛り上がるからな。二階は祭りの間中ひっきりなしの稼働だ、へへっ……」
そんなところにルカが来たらどうなるか、ジェイルはうまく想像できなかった。敬虔な修道士として『なんて罰当たりなことを!』と怒るのか、逆に『どんな形であれ、お祭りに参加するのはいいことです』と寛容を示すのか。いや、驚いてひっくりかえってしまうかもしれない。
思い浮かべて一人笑いするジェイルを、店主は意外そうに見た。
「あー……連れってのは、ひょっとして嫁か?」
「……まさか」
ジェイルは、あえて肩をすくめてみせた。
「雇い主だ。あまりに世間知らずなものだから、保護者が心配して俺をつけた」
「オイオイ、いいカモの匂いがするぞ! なあ、おまえさえ良きゃ、そいつを店に呼んでよォ――」
「お断りだ」
ハメちまおうぜ、と店主が口走る前に、ジェイルは吐き捨てた。
「その事態を防ぐために俺があちこちついて回っているんだ。主人に不都合があればいつでも噛みつく、犬のようにな」
彼の放つただならぬ殺気に、店主は開いた口をゆっくりと閉じた。
「ごちそうさま」
ジェイルは皿の脇に場所代を置いて、酒場を出た。
店主はギクッと後ずさったが、ジェイルは気にしなかった。彼は、誰にも好かれたくなかった。愛想よく振る舞うのは、そうする必要がある時だけだ。
関わったところでどうせ死ぬ。戦場に慣れたジェイルは思う。
ルカ以外は、そうだ。だから彼は、清らかなルカを守ることだけを考えていれば良かった。それは彼の薄汚い手にできる、唯一の善いことだった。
考えなければならないことは、他にいくらでもある。
出入りを制限されたセイボリーの町に、争いの気配があることにジェイルは気づいていた。
件のラウム領領主・ベルマインの差し向けた雄黄の騎士団である。
彼らはセイボリーの町に滞在し、歓楽街で悪党の摘発を行っている。祭りの前に悪の芽を刈り取るのが目的らしいが、酔客の話によれば、明らかにその数が多い。
『例年二人組で、観光みてえにえっちらおっちら見て回ってるのによ、今年は女騎士様がゾロゾロと引き連れなすって……戦争でも始めるみてえだよなア』
そのうえ、町の人間はこの動きに萎縮するどころか、反発を示しているのだと言う。
『セイボリーはよ、王様につまはじかれた職人が盛り立ててきたんだ。なんで今さらベルマインの野郎にデカい顔をされなきゃならねえ!』
『そうだそうだ! その意気だ、張れ張れっ!』
飛んできたヤジに従って賭け金を吊り上げた男を、ジェイルはあえて勝たせてやった。羽振りのよくなった男は、『うおっしゃあああ!』店中に酒を振る舞い、さらに喋りだした。
給仕や客の話相手をするだけでは大した稼ぎにはならない。自分のからだを囮に二階へ誘い、金を落とさせるのが彼女たちの仕事だった。
厨房にジェイルがいるのを見て、彼女たちはクスクスと笑った。見目好く飾り立てた姿はまるで大輪の花々のようだが、下着を見せてからかってきたりするのでタチが悪い。
「ま、おまえが来て俺は得したよ」
ジェイルの苛立ちを見てとったかのように、店主は蒸し物の載った皿を寄越した。食え、ということらしい。
「……通行制限か」
「ああ。ベルマインの野郎はいったい何を考えてやがるのか……」
ラウム領の領主・ベルマインは、ナタリア女王の即位宣言を受け、領地間の通行制限を開始した。歓楽街の酒場には職にあぶれた男たちがたむろしている。
「もともと、おまえみてえな流しのサクラは定期的に来てたんだ。よそ者ならイカサマがバレたところであと腐れないしな。……それが、移動の条件が厳しくなっちまって」
「客はその話ばかりだ。これからさらに厳しくなるらしいが」
女王の名前が裏書された旅券を持っていなければ、ジェイルとルカも危ういところだっただろう。
「そうだ。厳しくなる前に行くもんだと思ってたが、気が変わったのか?」
「……連れの都合だ」
にゃんにゃん!と猫の鳴き真似をするルカを思い出して、ジェイルは小さく笑った。
「猫の祭りの準備を手伝うと言っていた」
「ハハッ、なんだそりゃ。猫好きなのか? 修道士でもあるまいし」
店主はジェイルが修道士と旅をしているとは夢にも思わないらしい。「それなら祭りの日に店まで連れてくりゃいい」とサラッと言った。
「店の女たちにも仮装させるんだ。縁起がいいし、客が盛り上がるからな。二階は祭りの間中ひっきりなしの稼働だ、へへっ……」
そんなところにルカが来たらどうなるか、ジェイルはうまく想像できなかった。敬虔な修道士として『なんて罰当たりなことを!』と怒るのか、逆に『どんな形であれ、お祭りに参加するのはいいことです』と寛容を示すのか。いや、驚いてひっくりかえってしまうかもしれない。
思い浮かべて一人笑いするジェイルを、店主は意外そうに見た。
「あー……連れってのは、ひょっとして嫁か?」
「……まさか」
ジェイルは、あえて肩をすくめてみせた。
「雇い主だ。あまりに世間知らずなものだから、保護者が心配して俺をつけた」
「オイオイ、いいカモの匂いがするぞ! なあ、おまえさえ良きゃ、そいつを店に呼んでよォ――」
「お断りだ」
ハメちまおうぜ、と店主が口走る前に、ジェイルは吐き捨てた。
「その事態を防ぐために俺があちこちついて回っているんだ。主人に不都合があればいつでも噛みつく、犬のようにな」
彼の放つただならぬ殺気に、店主は開いた口をゆっくりと閉じた。
「ごちそうさま」
ジェイルは皿の脇に場所代を置いて、酒場を出た。
店主はギクッと後ずさったが、ジェイルは気にしなかった。彼は、誰にも好かれたくなかった。愛想よく振る舞うのは、そうする必要がある時だけだ。
関わったところでどうせ死ぬ。戦場に慣れたジェイルは思う。
ルカ以外は、そうだ。だから彼は、清らかなルカを守ることだけを考えていれば良かった。それは彼の薄汚い手にできる、唯一の善いことだった。
考えなければならないことは、他にいくらでもある。
出入りを制限されたセイボリーの町に、争いの気配があることにジェイルは気づいていた。
件のラウム領領主・ベルマインの差し向けた雄黄の騎士団である。
彼らはセイボリーの町に滞在し、歓楽街で悪党の摘発を行っている。祭りの前に悪の芽を刈り取るのが目的らしいが、酔客の話によれば、明らかにその数が多い。
『例年二人組で、観光みてえにえっちらおっちら見て回ってるのによ、今年は女騎士様がゾロゾロと引き連れなすって……戦争でも始めるみてえだよなア』
そのうえ、町の人間はこの動きに萎縮するどころか、反発を示しているのだと言う。
『セイボリーはよ、王様につまはじかれた職人が盛り立ててきたんだ。なんで今さらベルマインの野郎にデカい顔をされなきゃならねえ!』
『そうだそうだ! その意気だ、張れ張れっ!』
飛んできたヤジに従って賭け金を吊り上げた男を、ジェイルはあえて勝たせてやった。羽振りのよくなった男は、『うおっしゃあああ!』店中に酒を振る舞い、さらに喋りだした。
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