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第一章 お屋敷編
第二十二話 月の陰る夜
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石鹸で全身を洗ってから再び浴槽に浸かった俺は、風呂場を後にする。
お湯は少なかったけれど、気分はとてもさっぱりとしていた。
脱衣所には、衣服を入れるための籠がいくつも用意されていて、その内の一つに入れてあった寝巻用の着物に着替える。部屋のタンスの中に入れてあったものだ。
『ぬいだふくはここにいれること!』
そんな注意書きの下に、言葉の通りに衣服が積み重なった大きな籠が有ることに気が付いた。
大方、都季と灯詠がいつも脱ぎ散らかしているんだろうな……。
風呂に入る前に着ていた着物を畳んで、籠の上に乗せる。
着物の山の中に、女性が胸に巻くサラシが一緒に積まれているのが一瞬見えたけど、気にしない、気にしない……。
タオルで髪を拭いて風呂場を後にしようすると、入り口付近に変わった物を見つける。
何だろう、これ。
かまぼこの板ほどの大きさの五枚の木の板が、それぞれ紐に通されて横一列に並んで壁に掛けられている。そしてその裏には、この屋敷の人達の名前が、『ちよ』『御珠』『都季・灯詠』『蓬』『十徹』という風に記されていて。一見表札に見えるけれど……風呂場に、何故?
気になったけれど、湯冷めするのも嫌だったので、俺は脱衣場から出て部屋へと向かった。
月は今日も夜空に高く上っている。だけど、昨日の満月に比べると、ちょっと欠けているかもしれない。
風呂に入っていた時にはただ寒かった夜風も、こうして浴びてみると涼しくて気持ちが良いな……。
ぼんやりと風を感じながら、縁側を歩いて自分の部屋に戻る。
その途中で。
ちよさんが、縁側の柱に左手をそっと添えて、月を眺めていることに初めて気が付いた。
柱の陰に隠れて、今まで見えなかったのか……。
エメラルド色の瞳に映る、月灯り。わずかに風にそよぐ、灰色と白の毛。
ちよさんは、今、何を考えているんだろう。表情からだと、読み取れない。
……だけど少しだけ、物憂げにも見える。
「あっ……」
ちよさんも気が付いたようで、こっちにちらっと顔を向けた。だけど、少し逸らしたその目線は、やっぱり、怯えていて。胸が詰まって、息が苦しくて、緊張してしまう。
「お疲れ様です」
つい話しかけてしまう、馬鹿な自分がいた。
こんなことをしても、ちよさんをただ怖がらせるだけだ。分かっているはずなのに……。
「はい。……あ、浅野さんの方こそ、お屋敷に来たばかりで、大変ですね……」
本当は怖いはずなのに答えてくれるちよさんに、申し訳ない気持ちで一杯になる。
「い、いえ、全然、ご心配なさらずに」
「そ、そうですか……」
「……」
「……」
「……それでは、おやすみなさい」
ちよさんは障子を開けて、俺の部屋の隣の部屋へと入っていった。ちよさんの、ふさふさとしているはずの長いしっぽは、毛が寝て、うなだれていて……。
その障子の上には、『葉月の間』と書かれている。多分、ちよさんの部屋なのだろう。
……ちよさんに嫌な思いをさせるような、余計なことしかしていない。そんな気がしてならない。
いつの間にか月は雲に隠されて、見えなくなってしまっていた。
自分の部屋に戻って、畳の上に寝転んだ。色々考えても、答えは出ない。そう簡単に出るような話じゃない。
この世界に来て、まだ二日目か。
それにしては濃密なことが色々有り過ぎて、考えるのにも、少し疲れたな……。
何か、何か別のことに意識を逸らそう。寝る前の今は、ゆったり気楽にする方が大切だ。
楽しいこと、楽しいこと。頭の中で探していくと真っ先に思い浮かぶのは、御珠様の……大きい胸とか、なだらかなお尻とか。
……違うって。俺は慌てて妄想を打ち消した。どうしてすぐに、エロい方面へ行こうとする。
もっと、もっと健全な方面で楽しいことは……。
「………」
だけど、やっぱり思い出してくるのは、御珠様と二人っきりになった後の出来事。
……正直、とっても気持ち良かった。御珠様の、キス。あんなの反則だった。
どうしてあの後、踏ん切りがつかなかったんだ……。何だかんだ言って、今になっても後悔している自分がいる。断ったのが正常な判断だったかどうか、時間を置いてみてもさっぱり分からん。
いや、そもそも俺、御珠様が狐ということを、今、すっかり忘れてなかったか?
むしろそっちの方が驚きだった。
きっと俺は知らず知らずの内に、御珠様の虜にされてしまっているんだろうな……。
考えている内に、次第に意識が薄らいでいくのを感じる。
そろそろ、寝よう。
俺は机を部屋の端っこに寄せてふすまを開け、敷布団と掛け布団を敷いた。
枕は、障子の方に頭が向くように置く。
敷き終わるとすぐに、布団の上に勢いよく顔をうずめた。優しい感触が心地良い。
ごろん、と寝返りをうって仰向けになる。すぐにでも眠ってしまいそうだ。
仄かに月明かりが差している。雲は消えたみたいだけど、どことなくその光は、陰っていた。
布団の中で今度は御珠様じゃなくて……ちよさんのことを思い出している。
俺と話している時の、気まずそうなちよさんの表情を。昨日も今日も何回も、ちよさんを怖がらせてしまったことを。
思い返すだけで胸がギュッと締め付けられて、自己嫌悪に苛まれる。
……駄目だ。こういうのには慣れているはずだったのに、辛いのには変わりはなかった。
悩んでも答えはやっぱり出ない。
目を閉じて体を布団に委ねれば、徐々に意識は薄らいでいく……。
お湯は少なかったけれど、気分はとてもさっぱりとしていた。
脱衣所には、衣服を入れるための籠がいくつも用意されていて、その内の一つに入れてあった寝巻用の着物に着替える。部屋のタンスの中に入れてあったものだ。
『ぬいだふくはここにいれること!』
そんな注意書きの下に、言葉の通りに衣服が積み重なった大きな籠が有ることに気が付いた。
大方、都季と灯詠がいつも脱ぎ散らかしているんだろうな……。
風呂に入る前に着ていた着物を畳んで、籠の上に乗せる。
着物の山の中に、女性が胸に巻くサラシが一緒に積まれているのが一瞬見えたけど、気にしない、気にしない……。
タオルで髪を拭いて風呂場を後にしようすると、入り口付近に変わった物を見つける。
何だろう、これ。
かまぼこの板ほどの大きさの五枚の木の板が、それぞれ紐に通されて横一列に並んで壁に掛けられている。そしてその裏には、この屋敷の人達の名前が、『ちよ』『御珠』『都季・灯詠』『蓬』『十徹』という風に記されていて。一見表札に見えるけれど……風呂場に、何故?
気になったけれど、湯冷めするのも嫌だったので、俺は脱衣場から出て部屋へと向かった。
月は今日も夜空に高く上っている。だけど、昨日の満月に比べると、ちょっと欠けているかもしれない。
風呂に入っていた時にはただ寒かった夜風も、こうして浴びてみると涼しくて気持ちが良いな……。
ぼんやりと風を感じながら、縁側を歩いて自分の部屋に戻る。
その途中で。
ちよさんが、縁側の柱に左手をそっと添えて、月を眺めていることに初めて気が付いた。
柱の陰に隠れて、今まで見えなかったのか……。
エメラルド色の瞳に映る、月灯り。わずかに風にそよぐ、灰色と白の毛。
ちよさんは、今、何を考えているんだろう。表情からだと、読み取れない。
……だけど少しだけ、物憂げにも見える。
「あっ……」
ちよさんも気が付いたようで、こっちにちらっと顔を向けた。だけど、少し逸らしたその目線は、やっぱり、怯えていて。胸が詰まって、息が苦しくて、緊張してしまう。
「お疲れ様です」
つい話しかけてしまう、馬鹿な自分がいた。
こんなことをしても、ちよさんをただ怖がらせるだけだ。分かっているはずなのに……。
「はい。……あ、浅野さんの方こそ、お屋敷に来たばかりで、大変ですね……」
本当は怖いはずなのに答えてくれるちよさんに、申し訳ない気持ちで一杯になる。
「い、いえ、全然、ご心配なさらずに」
「そ、そうですか……」
「……」
「……」
「……それでは、おやすみなさい」
ちよさんは障子を開けて、俺の部屋の隣の部屋へと入っていった。ちよさんの、ふさふさとしているはずの長いしっぽは、毛が寝て、うなだれていて……。
その障子の上には、『葉月の間』と書かれている。多分、ちよさんの部屋なのだろう。
……ちよさんに嫌な思いをさせるような、余計なことしかしていない。そんな気がしてならない。
いつの間にか月は雲に隠されて、見えなくなってしまっていた。
自分の部屋に戻って、畳の上に寝転んだ。色々考えても、答えは出ない。そう簡単に出るような話じゃない。
この世界に来て、まだ二日目か。
それにしては濃密なことが色々有り過ぎて、考えるのにも、少し疲れたな……。
何か、何か別のことに意識を逸らそう。寝る前の今は、ゆったり気楽にする方が大切だ。
楽しいこと、楽しいこと。頭の中で探していくと真っ先に思い浮かぶのは、御珠様の……大きい胸とか、なだらかなお尻とか。
……違うって。俺は慌てて妄想を打ち消した。どうしてすぐに、エロい方面へ行こうとする。
もっと、もっと健全な方面で楽しいことは……。
「………」
だけど、やっぱり思い出してくるのは、御珠様と二人っきりになった後の出来事。
……正直、とっても気持ち良かった。御珠様の、キス。あんなの反則だった。
どうしてあの後、踏ん切りがつかなかったんだ……。何だかんだ言って、今になっても後悔している自分がいる。断ったのが正常な判断だったかどうか、時間を置いてみてもさっぱり分からん。
いや、そもそも俺、御珠様が狐ということを、今、すっかり忘れてなかったか?
むしろそっちの方が驚きだった。
きっと俺は知らず知らずの内に、御珠様の虜にされてしまっているんだろうな……。
考えている内に、次第に意識が薄らいでいくのを感じる。
そろそろ、寝よう。
俺は机を部屋の端っこに寄せてふすまを開け、敷布団と掛け布団を敷いた。
枕は、障子の方に頭が向くように置く。
敷き終わるとすぐに、布団の上に勢いよく顔をうずめた。優しい感触が心地良い。
ごろん、と寝返りをうって仰向けになる。すぐにでも眠ってしまいそうだ。
仄かに月明かりが差している。雲は消えたみたいだけど、どことなくその光は、陰っていた。
布団の中で今度は御珠様じゃなくて……ちよさんのことを思い出している。
俺と話している時の、気まずそうなちよさんの表情を。昨日も今日も何回も、ちよさんを怖がらせてしまったことを。
思い返すだけで胸がギュッと締め付けられて、自己嫌悪に苛まれる。
……駄目だ。こういうのには慣れているはずだったのに、辛いのには変わりはなかった。
悩んでも答えはやっぱり出ない。
目を閉じて体を布団に委ねれば、徐々に意識は薄らいでいく……。
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