もふけもわふーらいふ!

夜狐紺

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第一章 お屋敷編

第三十七話 思い出の味 上

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「おぬし、うなぎは食べたことが有るか?」
 九尾の御珠みたま様の、そんな突拍子も無い質問に困惑する。 
 うなぎ、うなぎ……?
「うなぎって……あの水の中に住んでいる、長くて、ぬるぬるしているうなぎですか?」
 御珠様の言っているうなぎが、この世界のうなぎと俺の知っているうなぎが同じかどうか、とにかく確かめてみる。
「うむうむ。蒲焼や肝吸い、白焼きも美味じゃのう」
 御珠様の返事からして、俺の想像する一般的なうなぎで間違いないみたいだ。 
 でも、俺は御珠様に、部屋を片付けて下さいと伝えに来ただけなのに。どうして、いきなり、うなぎの話を? 話を逸らそうとしているにしても、あまりにも話題が飛び過ぎている気が……。
「まあ、ちょっとそこに座るが好い」
 御珠様はそう言うなり、その場にふわっと腰を下ろした。
「……はい」
 御珠様の説得に若干疲れてきた俺も、言われるがままに座った。開いた障子をはさんで、御珠様と向かい合う。何故に今、うなぎの話題を……と、内心ではそればかり考えながら。
「わらわは鰻が大好物なのだが、景も同じか?」
「は、はい。と言っても、あんまり食べたことは有りませんが……」
 鰻は美味しい分、値段も高いので、ここ数年は食べてない。まさに御馳走と言う扱いだ。
「やはりおぬしの世界でも同じなのじゃな。あれは、ちっとばかし高い故……そう簡単に食べられるものではないのう」
 御珠様が悩ましそうにため息をつく。……世知辛い話、高級品はどの世界でも高級品らしい。
「しかし景よ。朗報じゃ」
 けれど御珠様はすぐに表情を明るくして、いきなりこう出した。
「今年は鰻の値段が下がるかもしれんぞ。もう少し、気軽に食べられるかもしれん」
「えっ、そんなことが、分かるんですか?」
「まあ、単なる予想だがな」
 そう言ってのける御珠様の表情は自信に溢れていて、疑う余地すらを持たせない。
 素人の俺には想像がつかないけれど、街の『流れ』を司っている御珠様なら不可能な話じゃないんだろう……、多分。
「あの、それは……」
 どうして分かるんですか? と、尋ねようとすると、御珠様は先回りして答えてくれる。
「お伺いを立てた結果、分かったのじゃよ。――もうすぐ、数日に渡る長い雨が降る」
 御珠様の言い方から考えるに、天気の専門家に教えて貰ったのか、それとも儀式の結果、天啓を受けたのか、どちらかだろう。
 それにしても……、雨?
 柔らかな朝の日差しや、日中の雲一つ無い空、陰りのない月を思い出す。
 外はあんなに晴れているのに、そんなにすぐに雨になるなんて、意外だ。
「おぬし、雨が降った後の増水した海や川の状態は、どうなっていると思う?」
 御珠様のそんな質問に、台風が過ぎ去った後の川の映像を思い浮かべる。答えはぱっと思い浮かんだ。
「濁っていますね」
「そう、その通り。大雨によって土の中の養分や、川底に隠れていたほんの小さな生き物がひっくり返されて、水中に出てきているのじゃな。そして」
 御珠様が一旦間を置いて、袂から、シンプルな水色の模様の入った扇を取り出した。
「雨で濁った海や川には――うなぎが、沢山寄って来る」
「なるほど……餌を求めて集まるんですね」
 そんなこと、今まで考えたこと無かった。流石御珠様、色んなことを知っているんだな……。
「だから一流の釣り人は、大雨の後を狙う」
 御珠様が、くっと釣竿を持ち上げる素振りをする。話が乗ってきたらしく、声も高くなっている。
「御珠様も、よく釣りをするんですか?」
「いやいや、わらわはそういうのはさっぱりじゃ。ただ、友達に一人、釣りの達人がいて……餌を針につけて川に垂らしているだけに見えるのに、あっという間に魚を引っかけておったよ」
 気が付けば御珠様の話に引き込まれてしまっているのが自分でも分かる。
 それに、御珠様の過去や友達の話は純粋に気になる。これまで何となくミステリアスだったからこそ、余計に。
「その子の住んでいた小屋は山の中の、川の上流の近くでのう。夏になると良く遊びに行って、隣でいっぱい釣るのを眺めていたよ。夜になれば、釣った魚で宴会だな。鰻も食べ放題だったのだぞ?」
 『その子』っていう素直な言い方が御珠様らしくなくて、ちょっと新鮮。
 いや、それとも。俺は今まで御珠様のことを勝手に、九尾だから千年ぐらい生きているのばっかり思っていた。だけど、はつらつと話す御珠様の、少女の面影を残す楽しそうな表情を見て、ふと思う。
 御珠様の外見は二十代中頃に見えるけれど、本当の年齢もそのぐらい若いのかもしれない。
 ……でもまあ、年のことは、本人に確認しない方が良いよな……。うっかり地雷を踏んだら、千年祟られるのは確実だろうし……。
「一度なんかは、こーんなに大きな魚を釣り上げていたのだぞ! こーんなに!」
「す、凄いですね……」
 興奮した御珠様が両手を広げて、魚の大きさを示す。それって、鮪ぐらい巨大なんじゃないか……?
 果たしてどんな釣りのテクニックを? そもそもそんな魚が棲んでるなんて、どんな激流なんだろう……? 想像は絶えず、膨らんでいく。
「結局その子は、もっと険しい場所で修業をすると言って、他の山脈へと旅立ってしまったが……今でも思い出すよ。あの鰻の味を」
 懐かしそうに御珠様が目を細める。幼かった頃の御珠様はどんな感じだったんだろう。
 性格的には灯詠ひよみの様に騒がしい子供だった気もするけれど、案外都季ときの様な、もの静かで鋭いタイプの子供だったのかもしれない。密かに考えると、面白かった。
「そのまま川から釣ってきた物だから、油が程よく乗っていてのう。焼くとその油がこぼれて、ぱちぱちと音を立てて、小屋中にいい香りがたちこめる。焼きたてを口の中に入れると、途端にほろほろと溶けていって……」
「……お腹が空いてきますね」
 頭の中にうな丼のイメージが沸いて、一食分抜いたぐらいの空腹感に、突然襲われる。
 まだ腹は減っていなかったはずなのに……。
「今でもわらわは、ちょっとした余裕ができると、色んな町の色んな店や屋台を巡って、あの鰻の味を探しておる。それでも……、あれほど旨い鰻は他に無い。やはり、格別だったな」
 少し寂しそうに、御珠様が目を伏せる。
 御珠様でも、手に入れられない物も有るんだな……。当たり前のことのはずなのに、そんな事実にしんみりしてしまう自分がいる。
 まさに、幻の味、幻の鰻。友達の家に遊びに行って、釣りを見せて貰って、一緒にご飯を食べて、布団を並べて寝て……そんな沢山の昔の記憶が、その鰻の味に詰まっているのかもしれない。
 切ない様な、それでいて暖かい様な、不思議な気分だった。 
「……だけどな、景よ」
 けれど、御珠様は顔を上げて、今度は浮き浮きと話し出した。
「一軒、ただ一軒だけ、わらわにあの懐かしい鰻の味を思い出させてくれた店が有った! しかも、この街の中に……!」
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