もふけもわふーらいふ!

夜狐紺

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第一章 お屋敷編

第五十五話 暗闇鳥居

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「なにかえ?」
 縁側の暗がりの中。立ち止まって振り向いた御珠様の黄金の瞳が輝く。
「――!」
 一瞬、背筋に悪寒が走った。
「? どうしたのか、景……?」
 そして御珠様はきょとんとして、俺の顔を覗き込む。……その表情は、やっぱり普段と同じに見えるけれど……。それなら、今のは、何だったんだ……???
 やっぱり……今夜の御珠様は、何かがおかしい。……奇妙だ。
「……え、えっと……」
 と……とにかく。御珠様は俺を夜中に起こして、どこかに向かうらしいのだ。だけど、前もって行き先を知らされていないから、不安は募るだけで。
 それに、どうして御珠様は、ちよさんを起こしたのだろう……? 疑問は募るばかりで……。
「あの……もしかして、どこか遠くに、出掛けるんですか……?」
 『どこに出掛けるのか』という質問だと、さっきははぐらかされてしまった。なので今度は、もっと答えやすく尋ねてみるけれど……。
「……さて?」
 と、御珠様は首を傾げる。その声が、いつもよりも低くなっている気がする。
「……どうして――」
 『どうして、こんな夜中に起こしたのか』。もう一度だけ、尋ねてみようとするけれど……。
「大丈夫、何も怖いことは無いよ」
 御珠様は先んじて笑って、それを打ち消して。
 それから再び踵を返して、縁側を先に歩き始めた。
 だけど……その言葉は、正直、あまり信じることはできなかった。
 だって、雨に夜に狐火の組み合わせは……どうしても、恐ろしくなってしまう。
 なにより。今の御珠様は、何となく、少し、怖い……。
 ……とにかく。怪談。それに夜と言われて、嫌でも連想してしまうのは……。
 午前一時から三時までの、丑三つ時。それも、怪奇現象が特に起こりやすいとされる――丑三つ、時。
 今、何時なんだろう。夜は更けて、日付はもう変わってしまったんだろうか……?
 そして、そろそろ……。
「――まだその時でない」
 すると。
 御珠様はまるで俺の心を読んでいた様に、告げて。
 ……一瞬、振り向いた。
「……!」
 その金色の瞳が、妖しくぎらりと光り輝いて。
 声が、出ない。ぞわっと、鳥肌が立つ。全身が縛られる様な感覚に包まれる。
 今のは……御珠様、だよな……? でも、いつもと雰囲気が、全然、違う。断言できる。
 それこそ、最初出会った時の様に――いや、それよりも、ずっと、ずっと、恐ろしくて、妖しくて……。
 怖い。はっきりと御珠様のこう思うのなんて、初めてかも、しれない。
 分からない、何もかもが分からない。一体、御珠様に何が有ったんだ? 何か良くないことが起こっているとか……? そこには何か理由があるはずなのに、何も掴めない。
 それとも、俺が何かしてしまったのか……?
 ?????
 けれど、それ以上尋ねることもできなくて、ただ後に続いて歩いていくしかなかった。
 体は動く。足が震えそうになるのをどうにか我慢しながら、歩く。
 縁側を曲がる。 
 すると、狐火の明かりが一段と弱くなって廊下の見通しが、更に暗くなった。
 行燈や光る天井の様な他の照明も今日は無いから、足元さえも見辛くなるほどの暗さだ。
 それに。お屋敷はいつになくひっそりとしていて、雨の音さえ聞こえなくなってきて……。
 明らかにいつもと様子が違った。不吉な予感が加速していく。
 あ、あれ?
 そして、ふと気が付いた。聞え……ない。俺のすぐ後ろを歩いているはずの、ちよさんの足音が。
 はぐれちゃったのかな……?
「あっ……」
 だけど。振り返ったら、ちよさんは確かに後ろに後ろを歩いていて。
 目が合った。エメラルド色の瞳をしたちよさんの目は、闇の中でも輝いていて。
 だけど、表情は影に隠れて一切読み取れなくて。
「どうしました?」
 と、ひっそりとした声で尋ねられる。それで俺は何も考えられなくなって、動揺して――。
「い、いえ、何でもないです」
 すぐに謝って、前を向いた。
 ……。
 ……やっぱり、後ろから、足音は聞こえてこない。そんなこと、あるはずがないのに。
 だけど、そう言えば……思い返してみると昨夜、ちよさんと一緒に雨戸を閉めた時も。
 あの雨戸が揺れる大きな音や雨音以外の音は、縁側に出た後もしばらく、何も聞えてこなかった。
 だからこそちよさんが縁側に居ることに、すぐに気付くことはできなかったのだ。
 普通は、足音や気配で分かるはずなのに……。
「……」
 足音。それに気配。
 気配。
 ……。
 ……つまり、ここ数日続いていたあの気配って、やっぱり……。
 散らばっていた欠片が繋がって、徐々に確信に変わっていく様な感覚。
「……!」 
 で、でも……やっぱり、何かがおかしい、奇妙だ。だって、一番大切な、根幹に関わる部分――「どうして、あんなことをしていたのか」という理由が、さっぱり分からないのだから。
 どうして、何故? そこがはっきりと分からない以上、断定することはできない。
 むしろ、こんな状況なのに考えなきゃいけないことが増えて、更に混乱するだけだった。
 ちよさんは今、何を考えているんだろう……。


 雨の音はもう完全に聞こえなくなった上に、廊下を進むたびに狐火の明かりは徐々に徐々にか細くなっていく。まるで、光と音が暗闇に吸い取られてしまっている様に。
 それに。廊下を歩き始めてから、もう十分、いや、二十分以上は経っているのに。
 まだ、目的地に着かないのか? いや、そもそも、どこに連れて行かれているんだ……。
 だって、いくら広いって言ったって、ここは一軒のお屋敷の中。端から端まで移動するのに、そんなに時間は掛からないはずなのに。
 前を歩く御珠様の姿も、はっきりとは見えなくなってきて、闇に溶けてしまっている様な錯覚。
 ただ時折、艶やかなしっぽがきらめくだけ。何も話さないし、決して振り返ったりしない。
 後ろのちよさんも同じで、足や着物の端っこは見えたりするものの……その姿は全体的に暗がりに隠れて、全く伺うことができなかった。
 狐火の橙が混じった朱色が壁に反射している。
 それはまるで、廊下の両側に設置された……灯篭。
 そして暗い空間を、ただ一人だけで歩くこの感覚は……。
「――!」
 思い出す。俺が、この世界に来た日のことを。
 ひっそりとした、幽霊すらも居ない真っ暗な町の中で、どこまでも続く灯篭を。
 あの時も慣れた道を通っていたはずなのに。いつの間にか、得体の知れない場所に放り込まれていて、逃げられなくて……。
 一瞬、目が眩む。
 ……違う、正確に言うと、灯篭じゃない。今、狐火の明かりは壁だけじゃなくて、天井にまで反射しているから、まるで……。
 鳥居。
 どこまでも続く、千本鳥居――。
「あ、あの……!」
 ただ、返事をしてほしい。誰かと話していないと、おかしくなってしまいそうだ……!
 恐怖に押し負けて、声を出そうとした――。
 その時。
「――とーりゃんせ、通りゃんせ」
 あの歌が聞こえてくる。 
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