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第一章 お屋敷編
第五十六話 妖狐の細道
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「――とーりゃんせ、通りゃんせ」
暗闇の中、俺の前を歩く御珠様が歌うのは。
「こーこはどーこの細道じゃ」
それは、あの時と同じ歌。この世界へと俺を誘った、あの歌……。
「み、御珠様……?」
「天神様の細道じゃ」
返事はない。
ただ、歌が返ってくるだけ。
「ちっと通して下しゃんせ」
淀みなく、美しく響いていて、だけどどこか艶めかしくて。
染み渡るほど魅了的で、
畏ろしくて、
妖しい、
あの歌が。
「御用のないもの通しゃせぬ」
い、嫌だ。止めてくれ、その歌を止めてくれ……!
声を出そうとする、耳を塞ごうとする。なのに、そうしたいのに、できない。歩く足を止めることすら、できない……!
「この子の七つのお祝いに」
そして、狐火が弱まっていく。視界が本当に、闇に包まれていく。
足元も、壁も、天井も無い真っ暗闇の空間に、投げ出された感覚。ただ、ほんの幽かな狐火の明かりが壁と天井に作り出す、幻の鳥居だけが不気味に連なっている。
どこまでも、どこまでもどこまでもどこまでもどこまでも。
しっかりと、足は床に着いているはずなのに。そんな自信すらも消えてしまって……。
ただの真っ暗闇。
ここは、どこなんだ? 本当に、屋敷の中なのか? それとも……あの、ひっそりとした空っぽの建物と灯篭だけが続く、何も無い暗い場所……?
……逃げたい。すぐにでも逃げ出したい……!
「お札を納めにまいります」
だけど、今度はそれができそうに無かった。前には御珠様、後ろにはちよさんがいるから。
ちよさんは……いる、はずだ。姿は見えないし、気配も感じないけれど……多分。
二人は、今、何を考えているんだろう? 俺は一体、どこに向かっているんだ?
これは、まさか、俺がこっちに来たあの日の再現なのか……?
……今更になって、思い出す。そうだ。慣れてはきたけれど、ここは、俺の住んでいた場所とは違う世界なんだ。だから、何が起こるか分からない。どうなってしまうか分からないって、ちゃんと知っていたはずなのに……!
「行きは――」
御珠様が静かに息を吸う。すると、狐火が完全に消えて、幻の鳥居も全て見えなくなって――。
ぴたり。
御珠様が突然、立ち止まる。
そして、ゆっくりと、振り返った。
「――!」
暗闇の中に輝く金色の瞳。真っ白い牙。
冷たく嗤うその表情は――。
妖狐。
人を騙し、誑かす妖狐……?
ま……まさか、そんな。だって御珠様は、ちょっと適当だけど実は良い人で、お喋りが好きで、皆のことを気遣ってくれていて……誰かに、簡単に危害を加えたりする様な、人じゃない。
でも、でも、そんな気持ちが段々と、恐怖に押し潰されていく。
嘘だ、嘘だ、嘘だ……!
「――」
そんな俺を見て、御珠様は満足そうに頷いて。再び前を向いて暗闇の中を歩き出す。
後ろ姿が完全に見えなくなる。そして、後ろを歩くちよさんの姿もだ。
「いーきは――」
だけど、声だけは聞えてくる。心に直接訴えかける様な、御珠様の声。
「よいよい」
そして、何かに押される様に、俺の足は、完全な暗闇の中を動いてしまう。
い、嫌だ、行きたくないのに……!
足は止まらないで、ただ、まっすぐ……。
「帰りは――」
帰りは。帰りは……。
「こわい」
御珠様が再び、立ち止まる気配がする。慌てて俺も足を止める。
……つ、着いた? どこに? 分からないけど、とにかく着いてしまったんだ。
それが分かっていても、もう手遅れで。
息が詰まる。手足が震える。目眩がする。
俺はどうなるんだ? 御珠様は俺をどうするつもりなんだ? 一体何が起こるんだ?
覚悟なんか決まってるはずがなかった。それなのに、御珠様は何かしようとしている。
何を? 怖い、嫌だ、逃げたい……!
「――怖いながらも……」
そして御珠様が、ゆっくりと、歌い上げる。
目を閉じて耳を塞ぐのも、間に合わずに――。
あっ……。
……。…………。………………。
……………………。
…………………………………………。
――きいい……。
……。
そして。
「えっ……」
視界に飛び込んできたのは――光の玉。
扉の向こう。沢山の小さな光の玉が、淡く優しく輝いている。それはゆっくりと、ふわりふわりと空中を昇っていて、闇夜を幻想的に照らしていて……。
「……」
声は、出なかった。胸が高鳴る。
恐る恐る、歩き出す。敷居をまたいで、一歩踏み出した。
しっかりと、芝生を踏んだ感覚。何も履いていなくても気にならないぐらい、優しく心地よい感触だった。夢、じゃ、ない。
ここは……お屋敷の、裏庭だ。
縦横十メートルぐらい、学校の教室よりも一回りほど大きい正方形の空間の真ん中には、屋根の付いた井戸が有った。間違いない。
「……」
そんな間にも数え切れないほどの光の玉は、空に昇っていく。
……そっと、その一つに手を伸ばしてみる。すると、光の玉は引き寄せられる様に、手に近づいて来て……。すっぽりと、俺の両手に収まった。
ほのかな暖かさを感じて、指の隙間からは光がかすかに漏れる。
離してあげると、光の玉は再び空へと昇っていく。光には、触れられないはずなのに……少しだけ、ふわっとした弾力が有った様な、不思議な気持ちになる。
裏庭に有る水神様の井戸も、桶に満杯にして汲むと光が出てくるけれど……その光は、それよりも大きくて、はっきりとした形を保っている様だった。
あれ、そう言えば……。手をかざしてみても、水滴が落ちて来ない?
雨が降っていない。もしかして、止んだのかな? 見上げれば夜空にも雨雲は漂ってなくて、晴れている様に見えるし……。
と思っているとふと、奇妙なことに気が付いた。
「これは……?」
こつん、と足元に当たる物。これは……傘?
庭の芝生の上に、様々な大きさの、蛇の目傘の様な和風の傘が置かれている。
その数は大体五十個ほど。
しかも何故か、普通に差す時とはさかさまの置き方で、張られた傘布――和紙の部分が地面に、柄の部分が天に向く様に配置されていた。
更に奇妙なことに、そのさかさまに置かれた傘布の中には、まるで器の様に水が並々と張られていて……。光の玉は、その水面から生まれて空へと昇っている。
どうして、こんなことを……?
その場にしゃがんで、傘の中をもっとよく覗いてみる。
そして、その水面に漂っているのは……。
「竹……?」
そう、竹筒。よく見ると、どの傘の水面にも、蓋をされた竹筒が浮かべられているのだ。
いよいよもって、混乱する。見える風景が綺麗なのには変わりはないけれど……さかさまの傘に、小さな光の玉に、竹筒……? 何が何やら、さっぱり分からないぞ……???
さわっ。
隣から、芝生を踏む足音。ちよさんがしゃがんで、傘に張られた水面を見つめている。
ぱちぱちと瞬きをするその横顔は、好奇心に満ち溢れていて……。ああ、ちよさんも、どこに向かっているのか、ここで何が起きているか、知らなかったんだ、と、その横顔から悟る。
光の玉を映すそのエメラルド色の瞳は、力強くきらめいている。
「こわいながらも――」
そして俺達に背を向けていた御珠様が、振り返って。
「とおりゃんせ、とおりゃんせ、じゃな」
悪戯っぽく、だけど同時に爽やかに笑った。
「御珠様……」
ちよさんの声に、御珠様は目を細める。
「ふふ、おぬしたち……」
そして、ちよさんと俺の頭を優しく撫でて……。
「驚かせて、すまなかったのう」
ぎゅっと、一気に俺達のことをまとめて、抱きしめた。
「あっ……」
……暖かい。御珠様の体はとてもやわらかくて、ぽかぽかとしていて……。
まどろんでしまう様な、そんな不思議な気持ちになる。
「……」
ちよさんは気持ち良さそうに、目を閉じていて……。御珠様とくっつく頬の毛が、いつもよりも更にふわふわとしていた。
「単なる肝試しのつもりで、全ての傘に雨が溜まればすぐに切り上げるつもりだったのに……中々、時間が掛かってしまって」
御珠様がそっと俺達から手を離して、照れた様に右耳のさきっぽを人差し指で触る。
「ちょっと、怖過ぎたのかもしれんのう」
そして再び不敵に、そして朗らかに笑った。
それはまさしく、いつも通りの御珠様で、自然な表情で。
あれは、ちよさんと俺を怖がらせるために演技をしていただけだったのか……。
と、同時に気が付いた。ああ、また御珠様に一杯食わされたんだ。
というか、やっぱり俺達はお屋敷をぐるぐる回っていただけで。御珠様の演技も今言った様に、全部の傘に水が溜まり切るタイミングまでの、単なる繋ぎの余興のつもりだったのだ。
御珠様には、敵わないな……。
そう改めて実感して、それで何だか、ちょっと可笑しくなってくる。
やっぱり、御珠様は……妖狐、だな。
さっき感じていた恐怖とは全く正反対の、すっきりとして、和やかな気持ちで、そう思う。
悪戯が大好きで、だけど他の人のことをとても思いやっていて、優しくて。
皆のことが大好きで、皆から好かれている……お狐様だ。
ちよさんも胸をなで下ろして、緊張が解けた表情をしていて。ちよさんも怖かったんだな……まあでも、当然だよなと、今更になって気付く。
「あっ……」
ふと、ちよさんの耳がぴくりと動いて。その目線が、俺達が庭に出た扉とは別の、井戸をはさんで丁度俺達の正面の位置に有る障子に向く。
「来た様じゃな」
御珠様も弾む声で言う。そしてその障子が開いて。
その向こうに居たのは……。
「! こ、これは、何なのです……!?」
ごしごしと目をこすって、びっくりした声を上げるのは、十徹さんに抱き上げられた灯詠。
「! 摩訶、不思議……!!」
それから、きょとんとして目を見張っているのは、蓬さんに抱き上げられた都季だ。
「もっと、近くで見たいのです! 十徹!」
「蓬……お願い」
すがる様な目線で見つめられた十徹さんと蓬さんは、互いに顔を見合わせて、頷いた。
「行っておいで」
と蓬さんが言うと、
「「それっ!」」
と、子狐達が同時に飛び降りて、たたたたた……と、沢山の傘へと駆け寄っていく。
「いい眺めだねえ」
「綺麗だ」
それから十徹さんと蓬さんも、庭に降りて来た。お屋敷に暮らす七人全員が、裏庭に揃う。
そして自然と、井戸のそば、御珠様の近くに集った。
「皆、夜遅くによく来てくれたのう」
御珠様が嬉しそうにほころんで。どこかうやうやしくて、改まった口調で話し始めた。
「この雨から分かる様に、昨日からついに梅雨が始まった。豊かな夏に向けて、乾いていた大地は潤い、草木もきっと緑に映えるのう。そのため、今から――」
だけどすぐに御珠様は、いつもの軽い調子に戻って。
「――ささやかながら、梅雨入りを歓迎するぞ! つまりお祝い、お祝いじゃな!」
明るい声で上機嫌にそう言うと、袂から一枚のお札を取り出して。
はらり……と、傘の裏に張られた水面の上にゆっくりと落とした。
すると――。
暗闇の中、俺の前を歩く御珠様が歌うのは。
「こーこはどーこの細道じゃ」
それは、あの時と同じ歌。この世界へと俺を誘った、あの歌……。
「み、御珠様……?」
「天神様の細道じゃ」
返事はない。
ただ、歌が返ってくるだけ。
「ちっと通して下しゃんせ」
淀みなく、美しく響いていて、だけどどこか艶めかしくて。
染み渡るほど魅了的で、
畏ろしくて、
妖しい、
あの歌が。
「御用のないもの通しゃせぬ」
い、嫌だ。止めてくれ、その歌を止めてくれ……!
声を出そうとする、耳を塞ごうとする。なのに、そうしたいのに、できない。歩く足を止めることすら、できない……!
「この子の七つのお祝いに」
そして、狐火が弱まっていく。視界が本当に、闇に包まれていく。
足元も、壁も、天井も無い真っ暗闇の空間に、投げ出された感覚。ただ、ほんの幽かな狐火の明かりが壁と天井に作り出す、幻の鳥居だけが不気味に連なっている。
どこまでも、どこまでもどこまでもどこまでもどこまでも。
しっかりと、足は床に着いているはずなのに。そんな自信すらも消えてしまって……。
ただの真っ暗闇。
ここは、どこなんだ? 本当に、屋敷の中なのか? それとも……あの、ひっそりとした空っぽの建物と灯篭だけが続く、何も無い暗い場所……?
……逃げたい。すぐにでも逃げ出したい……!
「お札を納めにまいります」
だけど、今度はそれができそうに無かった。前には御珠様、後ろにはちよさんがいるから。
ちよさんは……いる、はずだ。姿は見えないし、気配も感じないけれど……多分。
二人は、今、何を考えているんだろう? 俺は一体、どこに向かっているんだ?
これは、まさか、俺がこっちに来たあの日の再現なのか……?
……今更になって、思い出す。そうだ。慣れてはきたけれど、ここは、俺の住んでいた場所とは違う世界なんだ。だから、何が起こるか分からない。どうなってしまうか分からないって、ちゃんと知っていたはずなのに……!
「行きは――」
御珠様が静かに息を吸う。すると、狐火が完全に消えて、幻の鳥居も全て見えなくなって――。
ぴたり。
御珠様が突然、立ち止まる。
そして、ゆっくりと、振り返った。
「――!」
暗闇の中に輝く金色の瞳。真っ白い牙。
冷たく嗤うその表情は――。
妖狐。
人を騙し、誑かす妖狐……?
ま……まさか、そんな。だって御珠様は、ちょっと適当だけど実は良い人で、お喋りが好きで、皆のことを気遣ってくれていて……誰かに、簡単に危害を加えたりする様な、人じゃない。
でも、でも、そんな気持ちが段々と、恐怖に押し潰されていく。
嘘だ、嘘だ、嘘だ……!
「――」
そんな俺を見て、御珠様は満足そうに頷いて。再び前を向いて暗闇の中を歩き出す。
後ろ姿が完全に見えなくなる。そして、後ろを歩くちよさんの姿もだ。
「いーきは――」
だけど、声だけは聞えてくる。心に直接訴えかける様な、御珠様の声。
「よいよい」
そして、何かに押される様に、俺の足は、完全な暗闇の中を動いてしまう。
い、嫌だ、行きたくないのに……!
足は止まらないで、ただ、まっすぐ……。
「帰りは――」
帰りは。帰りは……。
「こわい」
御珠様が再び、立ち止まる気配がする。慌てて俺も足を止める。
……つ、着いた? どこに? 分からないけど、とにかく着いてしまったんだ。
それが分かっていても、もう手遅れで。
息が詰まる。手足が震える。目眩がする。
俺はどうなるんだ? 御珠様は俺をどうするつもりなんだ? 一体何が起こるんだ?
覚悟なんか決まってるはずがなかった。それなのに、御珠様は何かしようとしている。
何を? 怖い、嫌だ、逃げたい……!
「――怖いながらも……」
そして御珠様が、ゆっくりと、歌い上げる。
目を閉じて耳を塞ぐのも、間に合わずに――。
あっ……。
……。…………。………………。
……………………。
…………………………………………。
――きいい……。
……。
そして。
「えっ……」
視界に飛び込んできたのは――光の玉。
扉の向こう。沢山の小さな光の玉が、淡く優しく輝いている。それはゆっくりと、ふわりふわりと空中を昇っていて、闇夜を幻想的に照らしていて……。
「……」
声は、出なかった。胸が高鳴る。
恐る恐る、歩き出す。敷居をまたいで、一歩踏み出した。
しっかりと、芝生を踏んだ感覚。何も履いていなくても気にならないぐらい、優しく心地よい感触だった。夢、じゃ、ない。
ここは……お屋敷の、裏庭だ。
縦横十メートルぐらい、学校の教室よりも一回りほど大きい正方形の空間の真ん中には、屋根の付いた井戸が有った。間違いない。
「……」
そんな間にも数え切れないほどの光の玉は、空に昇っていく。
……そっと、その一つに手を伸ばしてみる。すると、光の玉は引き寄せられる様に、手に近づいて来て……。すっぽりと、俺の両手に収まった。
ほのかな暖かさを感じて、指の隙間からは光がかすかに漏れる。
離してあげると、光の玉は再び空へと昇っていく。光には、触れられないはずなのに……少しだけ、ふわっとした弾力が有った様な、不思議な気持ちになる。
裏庭に有る水神様の井戸も、桶に満杯にして汲むと光が出てくるけれど……その光は、それよりも大きくて、はっきりとした形を保っている様だった。
あれ、そう言えば……。手をかざしてみても、水滴が落ちて来ない?
雨が降っていない。もしかして、止んだのかな? 見上げれば夜空にも雨雲は漂ってなくて、晴れている様に見えるし……。
と思っているとふと、奇妙なことに気が付いた。
「これは……?」
こつん、と足元に当たる物。これは……傘?
庭の芝生の上に、様々な大きさの、蛇の目傘の様な和風の傘が置かれている。
その数は大体五十個ほど。
しかも何故か、普通に差す時とはさかさまの置き方で、張られた傘布――和紙の部分が地面に、柄の部分が天に向く様に配置されていた。
更に奇妙なことに、そのさかさまに置かれた傘布の中には、まるで器の様に水が並々と張られていて……。光の玉は、その水面から生まれて空へと昇っている。
どうして、こんなことを……?
その場にしゃがんで、傘の中をもっとよく覗いてみる。
そして、その水面に漂っているのは……。
「竹……?」
そう、竹筒。よく見ると、どの傘の水面にも、蓋をされた竹筒が浮かべられているのだ。
いよいよもって、混乱する。見える風景が綺麗なのには変わりはないけれど……さかさまの傘に、小さな光の玉に、竹筒……? 何が何やら、さっぱり分からないぞ……???
さわっ。
隣から、芝生を踏む足音。ちよさんがしゃがんで、傘に張られた水面を見つめている。
ぱちぱちと瞬きをするその横顔は、好奇心に満ち溢れていて……。ああ、ちよさんも、どこに向かっているのか、ここで何が起きているか、知らなかったんだ、と、その横顔から悟る。
光の玉を映すそのエメラルド色の瞳は、力強くきらめいている。
「こわいながらも――」
そして俺達に背を向けていた御珠様が、振り返って。
「とおりゃんせ、とおりゃんせ、じゃな」
悪戯っぽく、だけど同時に爽やかに笑った。
「御珠様……」
ちよさんの声に、御珠様は目を細める。
「ふふ、おぬしたち……」
そして、ちよさんと俺の頭を優しく撫でて……。
「驚かせて、すまなかったのう」
ぎゅっと、一気に俺達のことをまとめて、抱きしめた。
「あっ……」
……暖かい。御珠様の体はとてもやわらかくて、ぽかぽかとしていて……。
まどろんでしまう様な、そんな不思議な気持ちになる。
「……」
ちよさんは気持ち良さそうに、目を閉じていて……。御珠様とくっつく頬の毛が、いつもよりも更にふわふわとしていた。
「単なる肝試しのつもりで、全ての傘に雨が溜まればすぐに切り上げるつもりだったのに……中々、時間が掛かってしまって」
御珠様がそっと俺達から手を離して、照れた様に右耳のさきっぽを人差し指で触る。
「ちょっと、怖過ぎたのかもしれんのう」
そして再び不敵に、そして朗らかに笑った。
それはまさしく、いつも通りの御珠様で、自然な表情で。
あれは、ちよさんと俺を怖がらせるために演技をしていただけだったのか……。
と、同時に気が付いた。ああ、また御珠様に一杯食わされたんだ。
というか、やっぱり俺達はお屋敷をぐるぐる回っていただけで。御珠様の演技も今言った様に、全部の傘に水が溜まり切るタイミングまでの、単なる繋ぎの余興のつもりだったのだ。
御珠様には、敵わないな……。
そう改めて実感して、それで何だか、ちょっと可笑しくなってくる。
やっぱり、御珠様は……妖狐、だな。
さっき感じていた恐怖とは全く正反対の、すっきりとして、和やかな気持ちで、そう思う。
悪戯が大好きで、だけど他の人のことをとても思いやっていて、優しくて。
皆のことが大好きで、皆から好かれている……お狐様だ。
ちよさんも胸をなで下ろして、緊張が解けた表情をしていて。ちよさんも怖かったんだな……まあでも、当然だよなと、今更になって気付く。
「あっ……」
ふと、ちよさんの耳がぴくりと動いて。その目線が、俺達が庭に出た扉とは別の、井戸をはさんで丁度俺達の正面の位置に有る障子に向く。
「来た様じゃな」
御珠様も弾む声で言う。そしてその障子が開いて。
その向こうに居たのは……。
「! こ、これは、何なのです……!?」
ごしごしと目をこすって、びっくりした声を上げるのは、十徹さんに抱き上げられた灯詠。
「! 摩訶、不思議……!!」
それから、きょとんとして目を見張っているのは、蓬さんに抱き上げられた都季だ。
「もっと、近くで見たいのです! 十徹!」
「蓬……お願い」
すがる様な目線で見つめられた十徹さんと蓬さんは、互いに顔を見合わせて、頷いた。
「行っておいで」
と蓬さんが言うと、
「「それっ!」」
と、子狐達が同時に飛び降りて、たたたたた……と、沢山の傘へと駆け寄っていく。
「いい眺めだねえ」
「綺麗だ」
それから十徹さんと蓬さんも、庭に降りて来た。お屋敷に暮らす七人全員が、裏庭に揃う。
そして自然と、井戸のそば、御珠様の近くに集った。
「皆、夜遅くによく来てくれたのう」
御珠様が嬉しそうにほころんで。どこかうやうやしくて、改まった口調で話し始めた。
「この雨から分かる様に、昨日からついに梅雨が始まった。豊かな夏に向けて、乾いていた大地は潤い、草木もきっと緑に映えるのう。そのため、今から――」
だけどすぐに御珠様は、いつもの軽い調子に戻って。
「――ささやかながら、梅雨入りを歓迎するぞ! つまりお祝い、お祝いじゃな!」
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