もふけもわふーらいふ!

夜狐紺

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第一章 お屋敷編

第五十九話 雨夜の儀 三

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「「あっ……」」
 湯気の出るコップを持って、俺と同じ縁側に座っていたのは……ちよさんだった。
 どうやらちよさんも、注いだ飲み物が思ったよりも熱くて、冷ますために一旦ここに座ったんだろう。
 もしかしたらちよさんは猫舌なのかもしれないな……。
 ……それにしても。
 いつの間にか、ちよさんが右隣に座っていたなんて、全く気付かなかった。
 俺達の間には人が二人座れるぐらいの間隔しかないなら、すぐ分かってもおかしくないはずなのに。
「「…………」」
 ……ちよさんが、隣に。
 だけど……気まずさは、以前よりも遥かに小さくなっていた。まだちょっと、緊張はしているけれど……それでも、前と比べると気分はずっと晴れやかだ。
 でも、それは俺だけが思っていることで。当のちよさんは、どうなんだろう……? 
 ちらっと隣の様子を伺ってみる。その横顔は、特に怯えてたり、怖がっている訳ではなさそうで……。
 ……良かった。と、ひとまず安心する。
「――光の玉……綺麗ですね」
 静かに話し掛ける。芝生の上に沢山、逆さまに並べられた傘。そこに張られた雨水から立ち上る光の玉は、決して尽きることなく裏庭を、そして夜空を幻想的に照らしている。
 上手な言葉が思いつかないのが、本当にもどかしかった。
「はい。こんなの初めてで……びっくりしちゃいました」
 ちよさんがこっちを向いて、返事をしてくれた。
「しばらくの間、降ってなかったんですか?」
「はい。二週間……いえ、もっと長い間、ずっとお日様が出ていて……」
「昨日も本当にいい天気だったのに、いきなりでしたね」
「それなのに当たるなんて、御珠みたま様の占いは凄いです……!」
 ちよさんも事前に御珠様から天気を伝えられていたらしく、嬉しそうにふわふわとした長いしっぽを揺らめかせる。
 確かに御珠様は、ちょっと雑な所も有るけれど……背がすらっと高くて美人だし、不思議な力も使えるし、明るくて気さくだし、きっとこの世界の女の子にとって、憧れの人なんだろうな……。
「まだ外は、降っているみたいですね」
 見上げても、御珠様の術のお陰でやっぱり雨雲は出ていない。この裏庭以外は雨だなんて、まだ信じられなかった。
「――はい。でも、昨日よりは随分と弱まりました」
 そう返事をするちよさんの、全体はグレーで、先の方は白色の毛となっている大きな猫耳は、ぴくっと動いていて。
どこからか聞こえてくる幽かな雨音に耳を傾けていることが、伝わってくる。
 きっと他の種族よりももっと、遠くの音や小さな音を聞くことができるんだろう。雨音もずっと繊細に、美しく聞えているのかもしれない。
 聴力……か。
 ふと、昨日の夜のことを思い出す。
 ちよさんはその聴力を生かして、真夜中の雨音を感じ取って、縁側に出て雨戸を閉めようとしていたのだ。夜中なのだからそのまま寝続けても誰も咎めたりしないのに……ちよさんは本当に、立派だ。
 俺なんて全く知らずにぐっすり寝ていたし、雨戸がガタンって揺れる音が聞こえた後でようやく雨が降っているって分かったし……鈍感過ぎる。
 そう言えばあの時も、ちよさんの音は聞えなくて、雨自体の音や雨戸の音しかしなかったのだ。
 それどころか、ちよさんが縁側に居るという気配すらも感じることができなかったんだった。
 ……やっぱり。
 確信する。
 数日前俺のことを後ろからずっと見ていた、あの気配の正体は――。
 ――ちよさんで、間違いないはずだ。
 ちよさんは足音や気配を上手に消せるからこそ……俺の後を正体を見られずについていくことが出来たんだろう。現に一度も、俺のことを観察している時のちよさんの姿を見たことも、足音を聞いたこともないのだから。誰かに見られていると俺が気が付いたのだって、ただの勘がきっかけで、根拠は無かった。
 ……とにかく。
 それでも。ちよさんと分かったとしても……どうしてもまだ、分からないことが有る。
 どうして、ちよさんが俺のことを観察していたんだろう? それも、背後から気付けれない様に。
 もしも、ちよさんに怖がられていたんだとしても、それなら増々、俺のことを避けようとするはずなのに。わざわざリスクを冒してまで、どうして尾行を……?
 考えても、答えは今一つ見つからないままだ。
 手掛かりは……うーん……。
 やっぱり、過去の記憶を一つ一つ辿って、見つけるしかないのかもしれないな……。
 試しに俺は頭の中で、この世界にやって来た日から今までに起こったことを。もしかしたら、少しでもその手掛かりが転がっているかもしれない。
 お風呂に入ったり、晩ご飯を食べたり、読書をしたり。一見すると、何でもない記憶に思えてしまうけれど。……。
 ……。…………。
「……!」
 ハッとする。
 たった一つ、一つだけ、心に引っ掛かる記憶を見つけたのだ。
 それは昨日。あの時は、何気ない会話としか捉えていなかったけれど。もしかして、これは……??
 普段の俺だったら間違いなく一蹴してしまう様な可能性が、突然浮かんでくる。
 だけど改めて考えてみると妖術だってこの世界には身近に存在するのだから……それほど、いや、全く不自然な話とは思えなくなってくる。
 ちよさんって、もしかして、まさか……。
 ……本当なら、すぐにでも確かめたい。
 だけど。このことをわざわざ本人に尋ねるっていうのは……かなりリスキーだ。
 もしかしたら、そう確認することによって、良くない事態が引き起こされるかもしれない。その可能性が十分に有り得てしまうのだ。
 このままそっと、自分の胸の内に秘めておいた方が遥かに安全な気がしなくもない。というか、絶対にそっちの方が良いに決まっている。知られてはいけない類の秘密だということは、間違いないのだから。
 そして、そんな秘密を、偶然にも知ってしまった人の末路は……。
 ……想像すると、恐ろしくなってくる。
 だけど、このままずっと、もやもやしているのも……。
「あの……」
 悩んでいると、そこでちよさんが不思議そうに顔を覗き込んだ。
「は、はいっ」
 いけない。考えごとに囚われ過ぎていた。ちよさんにも、そんな気配が伝わってしまっていたんだろう……。それとも単に、ぼーっとしていた様に見られてしまったのかもしれない。
「す、すみません。ちょっと考え事をしてしまっていて……」
 そんな俺の声は。
「い、いえ。やっぱり、何でもないです」
 という、ちよさんの声と重なった。
 あれ? ちよさんも、何か言おうとしていたのかな、と、ふとした違和感を抱くけれど。
「おお、これは凄いぞ!」
 その時、庭の方から御珠様の声がして。
 とっさに視線をやると……。
「あれは……」
 何と、御珠様の足元、井戸のそばに置かれていた傘から出ている光の玉は……虹色で。
 赤、青、黄、緑、紫、様々な色に変わりながら、空へと昇っていっているのだ。
 そんな姿は、明らかに他とは一線を画していて。
 ちよさんと俺はコップの中身をすぐに飲み干して腰を上げて、その傘まで寄った。
「これは……」
 何て、美しいんだろう。
 近くで見てみてもやっぱり光の玉は虹色で。まるでシャボン玉の様に、周りの風景を反射して一層強く輝いている。傘本体にも、様々な色の太い線が描かれた模様が、術によって描かれていた。
 傘の周りに集まったお屋敷の皆も、不思議そうにその光を見つめている。
「さてと。それじゃ……」
 そして御珠様が屈んで、ちゃぷん……と、傘の水面から竹筒を取り出した。
「これは皆で飲んでみようかの」
 御珠様が嬉しそうに、そう言ってくれる。
 虹色の光が生まれる傘。そこに浸された竹筒の中身の井戸の水は、一体、どんな味になっているんだろう。
「ほれ」
 そして御珠様はまず、俺のコップに注いでくれた。
 中の液体は他と同じく透明で、どんな飲み物なのかはさっぱり予想がつかない。
 だけど、期待は高まっていく。そして早速俺がコップを口元に運ぼうとすると……。
「まあまあ、待つが良い、景」
 御珠様に制されて、ぴたっと手を止める
 確かにこういうのは、皆で一緒に飲んだ方がもっと美味しく味わえるな。
「わたしたちも飲みたいのです!」
「未知なる一杯を、是非とも……!」
 灯詠ひよみ都季ときがそれぞれコップを両手で持って、意気揚々と御珠様に差し出した。
「まあまあ、焦るでない。ふふふ……」
 それから御珠様は、他の人全員の盃やコップにも注ぎ始める。
「わあ……!」
 ちよさんは両手で持ったコップの中の水を、嬉しそうに見つめている。エメラルド色の瞳が虹色の光を映して、一層きらきらと輝いていた。
「ほれ、よもぎ十徹とうてつも」
 御珠様が浮き浮きとして、大人二人の盃へもそれぞれ並々とついでいく。
「「……」」
 だけど、蓬さんと十徹さんはどこか訝し気に、その中身を見つめていて……どうしたんだろう? 
「これでぴったり、終いじゃな」
 そして最後に御珠様は竹筒をひっくり返して、自分の盃を満たした。
 最後の一滴が、盃の上に落ちて跳ねる。
「もう良いですか? 御珠様」
「待ち望んだ、一口目を」
 灯詠と都季がしっぽを振って、御珠様にせがむ。
「まあまあ、ちょっとだけ待つが好い。くくく……」
 だけど突然、御珠様はにやっと不敵に笑って、纏っていた空気が妖しげに変わる。
 ……。もしかして、また何か企んでいるんじゃ……?
「――実はこの虹色は、一種の運試しの様な要素を秘めた、とっても、とっても恐ろしい色でのう……」
 ……残念なことにそんな俺の予感は、的中してしまったらしく。
 にやり、と、御珠様は妖しく笑って。
「殆どの者にとっては、すっきりとした甘さの蜜の様な味となるのじゃが――」
 それからおどろおどろしい低い声で、こう告げたのだった。
「この中の誰か一人にだけは、とっても辛い味が当たってしまうのじゃ……!」
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