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惰弱なコミュニティ
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花織は文学サークルに入っていた。
文系だから人並みに本を読むのが好きだったし、作文を書くのは苦にならなかった。
体を動かすのが面倒で、活動が多いのも面倒で、それでもどこかに所属しておきたかったのだ。
文学サークルとは名ばかりの何かの集合体であって、花織のようになにかしらの繋がりを持ちたい人が集まってくる、おあつらえむきの場所だった。
入学してから今まで、花織は一作も書いたことがない。
そもそも文章を書く人間というものは自分の考えやら価値観やらを声高に叫んで恥ずかしくはないのだろうか。
自分という人間にそれほどの価値があると誤解しているのかと思うと、花織にとってはただの自己満足にしか見えないのだった。
サークルの活動日は隔週木曜日の午後で、あてがわれた部屋に集まっては持ち寄った菓子やらジュースやらを消費しながらだらだらと雑談をするだけだ。
中には本当に小説を書くのが趣味だという人もいるが、花織は作品を読んだことがない。
今日集まったのは八人だった。
中には見知らぬ顔もいる。
はたして新しく入った人なのか、それとも入っていたのに今まで来ていなかった人か、はたまた友人に誘われてふらりと立ち寄った人なのか花織には判別がつかなかった。
初めて見る男は花織と同じ二年生で、経済学部なのだという。
茶色に染まった長めの髪と空けられたピアス。
軽薄そうな自己紹介の口調。
安本、と花織は内心繰り返した。
名前通りに安っぽそうな男だ。
花織は窓際の席で頬杖をついてタイツに包まれた足をぶらぶらとさせていた。
艶のある青いパンプスは下ろしたてで、まだ足に馴染んでいずに少し痛んだ。
さっさと脱ぎ落として興味もなく長ったらしい自己紹介という名の雑談を聞いている。
そろそろネイルを変えようか、と秋色のツイードを眺めながら考えていたので、しばらく自分に話しかけられていることに気づかなかった。
顔をあげれば安本が自分を見ていた。
花織は反射的ににっこりと笑って名乗る。
たった一言名前だけ。
よろしくとも言わなかった。
この男は今日この時間を共にするだけの、自分とは関わりのない人間だった。
「花織ちゃんか、かわいいね」
安本は馴れ馴れしく言って片手を上げてよろしくなんて笑った。
気持ちの悪い笑顔だと思った。
花織は少しも笑顔を崩さないまま心中でこの男を憎悪する。
「私、花織ちゃんなんて呼んでくる男は嫌いなの」
柔らかで穏やかな声だったが、確かに空気が凍った。
花織は心持ち首を傾げて笑顔で安本を窺う。
面食らったような表情で目を見開き、口をつぐんでしまっている。
「うわあ、先輩キツイっすねぇ」
ケラケラと笑って言うのは一年生の美希だった。
痛んだ明るすぎる金髪とピンクのラインの入ったダボダボのジャージが不良の女の子のテンプレートのようで花織は気に入っていた。
年上のことは皆先輩と呼び、軽い口調であっけらかんと言われる言葉はあんまり素直なのですとんと胸に落ちてしまう。
「一ノ瀬は男に厳しいからなあ」
場を和ませるような落ち着いた声に、空気が柔らかくなった。
「竹さんは名字で呼んでくれるから好きよ」
花織は竹さんと呼んだ男を見て満足そうに笑ってみせる。
清潔に短く切られた髪と綺麗な頭の形がいいと思っていた。
ノンフレームの眼鏡の奥にはいつも静かで優しい目があって、決して取り乱さないような男だった。
竹下という名字から、皆からは竹さんという愛称で呼ばれていた。
花織が好きだと言ったことを誰かが囃し立てる。
花織はそちらを見て何を言うでもなく笑ってみせた。
竹下は皆に好かれるような男なので、花織の言葉には軽いからかいを投げるだけでそれ以上誰も何も言わなかった。
花織が竹下と最後に寝たのは今年の春だった。
その時花織は他の男とも付き合っていたが、どちらも愛してはいなかった。
二人とも同じような時期に別れた。
一ノ瀬は少しも俺のことが好きじゃないんだな、と別れ際に言った竹下は悲しそうな目をしていて、その日履いていたスニーカーの白さが眩しかったことを妙にはっきり覚えていた。
花織にとって、セックスなんて何の意味もなかった。
男と寝るたびに自分はこの男を愛していないのだと思って、素肌の熱さに抱かれながら冷ややかな気持ちになるだけだ。
少しも愛していないし、愛すこともないと思うとひどく安心した。
安本はすっかりペースを乱されたようで心持ち顔を赤くして憮然とした顔をしていた。
これだから嫌なのだと思った。
「一ノ瀬……さん」
ボソボソと呟かれた声に花織は綺麗に返事をしてみせる。
それは従順な声色だったにも関わらず、安本の胸を打ち砕くようなものだった。
好意のない人間にまで優しくなんてなりたくないと花織は思う。
労力は最小限で済ませるべきだ。
たった一人、優しくしたい人がいることを思うと自分が誇らしくなる。
そしてたまらなく沙也香に会いたくなる。
離れているところで確かに胸の内を支配されているのはあまりに甘美だった。
もう続いた雑談を花織は聞いていない。
今夜突然遊びに行ったら少しだけ困った顔をして快く家に入れてくれるだろうな、と思いながら窓の外をひらひらと落ちる赤い葉を眺めていた。
文系だから人並みに本を読むのが好きだったし、作文を書くのは苦にならなかった。
体を動かすのが面倒で、活動が多いのも面倒で、それでもどこかに所属しておきたかったのだ。
文学サークルとは名ばかりの何かの集合体であって、花織のようになにかしらの繋がりを持ちたい人が集まってくる、おあつらえむきの場所だった。
入学してから今まで、花織は一作も書いたことがない。
そもそも文章を書く人間というものは自分の考えやら価値観やらを声高に叫んで恥ずかしくはないのだろうか。
自分という人間にそれほどの価値があると誤解しているのかと思うと、花織にとってはただの自己満足にしか見えないのだった。
サークルの活動日は隔週木曜日の午後で、あてがわれた部屋に集まっては持ち寄った菓子やらジュースやらを消費しながらだらだらと雑談をするだけだ。
中には本当に小説を書くのが趣味だという人もいるが、花織は作品を読んだことがない。
今日集まったのは八人だった。
中には見知らぬ顔もいる。
はたして新しく入った人なのか、それとも入っていたのに今まで来ていなかった人か、はたまた友人に誘われてふらりと立ち寄った人なのか花織には判別がつかなかった。
初めて見る男は花織と同じ二年生で、経済学部なのだという。
茶色に染まった長めの髪と空けられたピアス。
軽薄そうな自己紹介の口調。
安本、と花織は内心繰り返した。
名前通りに安っぽそうな男だ。
花織は窓際の席で頬杖をついてタイツに包まれた足をぶらぶらとさせていた。
艶のある青いパンプスは下ろしたてで、まだ足に馴染んでいずに少し痛んだ。
さっさと脱ぎ落として興味もなく長ったらしい自己紹介という名の雑談を聞いている。
そろそろネイルを変えようか、と秋色のツイードを眺めながら考えていたので、しばらく自分に話しかけられていることに気づかなかった。
顔をあげれば安本が自分を見ていた。
花織は反射的ににっこりと笑って名乗る。
たった一言名前だけ。
よろしくとも言わなかった。
この男は今日この時間を共にするだけの、自分とは関わりのない人間だった。
「花織ちゃんか、かわいいね」
安本は馴れ馴れしく言って片手を上げてよろしくなんて笑った。
気持ちの悪い笑顔だと思った。
花織は少しも笑顔を崩さないまま心中でこの男を憎悪する。
「私、花織ちゃんなんて呼んでくる男は嫌いなの」
柔らかで穏やかな声だったが、確かに空気が凍った。
花織は心持ち首を傾げて笑顔で安本を窺う。
面食らったような表情で目を見開き、口をつぐんでしまっている。
「うわあ、先輩キツイっすねぇ」
ケラケラと笑って言うのは一年生の美希だった。
痛んだ明るすぎる金髪とピンクのラインの入ったダボダボのジャージが不良の女の子のテンプレートのようで花織は気に入っていた。
年上のことは皆先輩と呼び、軽い口調であっけらかんと言われる言葉はあんまり素直なのですとんと胸に落ちてしまう。
「一ノ瀬は男に厳しいからなあ」
場を和ませるような落ち着いた声に、空気が柔らかくなった。
「竹さんは名字で呼んでくれるから好きよ」
花織は竹さんと呼んだ男を見て満足そうに笑ってみせる。
清潔に短く切られた髪と綺麗な頭の形がいいと思っていた。
ノンフレームの眼鏡の奥にはいつも静かで優しい目があって、決して取り乱さないような男だった。
竹下という名字から、皆からは竹さんという愛称で呼ばれていた。
花織が好きだと言ったことを誰かが囃し立てる。
花織はそちらを見て何を言うでもなく笑ってみせた。
竹下は皆に好かれるような男なので、花織の言葉には軽いからかいを投げるだけでそれ以上誰も何も言わなかった。
花織が竹下と最後に寝たのは今年の春だった。
その時花織は他の男とも付き合っていたが、どちらも愛してはいなかった。
二人とも同じような時期に別れた。
一ノ瀬は少しも俺のことが好きじゃないんだな、と別れ際に言った竹下は悲しそうな目をしていて、その日履いていたスニーカーの白さが眩しかったことを妙にはっきり覚えていた。
花織にとって、セックスなんて何の意味もなかった。
男と寝るたびに自分はこの男を愛していないのだと思って、素肌の熱さに抱かれながら冷ややかな気持ちになるだけだ。
少しも愛していないし、愛すこともないと思うとひどく安心した。
安本はすっかりペースを乱されたようで心持ち顔を赤くして憮然とした顔をしていた。
これだから嫌なのだと思った。
「一ノ瀬……さん」
ボソボソと呟かれた声に花織は綺麗に返事をしてみせる。
それは従順な声色だったにも関わらず、安本の胸を打ち砕くようなものだった。
好意のない人間にまで優しくなんてなりたくないと花織は思う。
労力は最小限で済ませるべきだ。
たった一人、優しくしたい人がいることを思うと自分が誇らしくなる。
そしてたまらなく沙也香に会いたくなる。
離れているところで確かに胸の内を支配されているのはあまりに甘美だった。
もう続いた雑談を花織は聞いていない。
今夜突然遊びに行ったら少しだけ困った顔をして快く家に入れてくれるだろうな、と思いながら窓の外をひらひらと落ちる赤い葉を眺めていた。
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