香織と沙也香

水ノ灯(ともしび)

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ステレオタイプと夕餉の支度

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ことことと音を立てて鍋が煮たつ。

こまめに灰汁を取りながら沙也香はキッチンに立っていた。

花織はローテーブルに肘をついてその後ろ姿を眺めている。

花織はこうして時々沙也香の家に遊びに来ては夕食を食べ、気が向けば酒を飲んだり泊まったりしていた。

テレビもつけずに花織はただ黙っている。

退屈じゃないだろうかと沙也香は妙にそわそわしてしまった。

「さやちゃんは料理上手だよねえ」

花織は相変わらずの間延びした口調で言う。

沙也香は特別料理がうまいというわけではなかった。

ただ、大学生で一人暮らしをしたら自炊するものだと思っていたし、そうしなければ将来困ると思っていたからだった。

必要にかられてやっているだけで、料理の腕は人並み程度だ。

今だって冷蔵庫の中で色を変えようとしていたれんこんを中心にあった食材を切ってただ煮込んでいるだけだ。

煮物はいい。

楽なのに美味しいし家庭の味のような気がする。

それはめんつゆの味に他ならず、ちっとも家庭の味でないことはよくわかっていた。

煮崩れる直前でほろほろになったじゃがいも、片栗粉で柔らかくした鶏胸肉。

沙也香にとってはジャンクフードのようなものだった。

そもそも花織が料理をしないだけなのだ。

昼食だって弁当を作ってきている沙也香にたいして花織は大学内のショップで買ったパンを食べている。

焼きたてパンは人気でいつも行列ができていた。

面倒臭がりの花織がそこに並ぶのは不可抗力であって決して望んでいることではないのだという。

「料理しなくたって死なないもの」

奔放な響きでいって花織は後ろに体を倒した。

カーペットに寝転がると膝上のスカートがめくれてしまって目のやり場に困った。

もう冬も近いというのに花織は華奢で綺麗な足を剥き出しにしている。

パタパタと足を動かしながら花織はお腹すいた、と子供のような声で言った。

催促しているわけではなく、思ったことをそのまま口に出したような気軽さだった。

「さやちゃんはきっといいお嫁さんになるね」

花織は部屋の明かりを見ながら言う。

沙也香は後ろから不意にぐさりと貫かれたようで、何も返せなかった。

いつか自分は男に嫁ぐのだ。

沙也香は男が嫌いではなかったが、どう接したらいいかわからない未知のものだと思っていた。

今まで淡い恋は何度かしたが、親しく話したことのある男はいなかった。

今はまだ見知らぬ男といつかは恋をし、体を重ね、両親に挨拶をして、式をあげて。

そして中村沙也香から別の誰かになるのだ。

男と同じ名字を名乗り、結婚後に知り合った人からは今は想像もつかないその名字で呼ばれるのだ。

子供を産み、母になり、愛した男は父になり、ローンを組んで一軒家を買って、子供を育てながら暮らすのだ。

それは世間一般に幸福でそれゆえに健全な、なんだか嘘くさい未来だった。

今の自分の恋心ごと打ち砕かれて否定されたような気がした。

お前はこうして生きろと示されてしまったような。

花織は沙也香が何も返さなかったことは気にしていないらしく、まるまるとした鳥のぬいぐるみに手を伸ばしている。

それは殺風景な沙也香の部屋に持ち込まれた花織のものだった。

沙也香の部屋には花織の私物がたくさんある。

「妻になったら料理しなくちゃいけないっていうなら、私は結婚なんかしない」

奇妙に力強い響きで花織が言うので沙也香は縋るような目でそちらを見てしまった。

花織はカーペットに無造作に寝転んで、ぬいぐるみを抱えていた。

栗毛がダークブラウンのカーペットの上にこぼれてつやつやと光っていた。

そんな言葉は本当に強い女しか言えないのだと思う。

自由で強くて、どこか孤独な香りがするところが花織の魅力だった。

「お鍋、泡吹いてるよ」

まん丸な瞳を愉快そうに細めて花織は笑った。

沙也香が慌てて鍋に向き直って火力を弱めているのを眺めている。

炊飯器が音を立て、米が炊けたのを知らせた。

ほんのりと甘い、食欲をそそる香りが漂ってくる。

「沙也香、飯はまだか、ぴーすけも腹が減ったって言ってるぞ」

花織がわざと声を低めておどけてみせた。

未来の旦那さんにしては可愛すぎると沙也香がくすくすと笑えば花織はぬいぐるみを左右からぐいぐいと押して変形させていた。

隙なく塗られた赤い唇を尖らせてぴーすけと呼んだぬいぐるみをあやすふりをしている。

沙也香は味見しながら花織がぬいぐるみに話しかけているのを聞いていた。

滑稽で虚しい、素敵な夜だ。

沙也香が花織と同じ一ノ瀬という名字になることは決してないとしても。

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