Ultima Dei

VARAK

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下界

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 二百年――あの大戦からまだその程度しか過ぎていない。だと言うのに、人間達は、普通の――大戦前とは比べ物にならないほど貧相だが――生活を送れている。
 ――神はもういないのに。
 今まで神がいるからこそ、人間は存在できていると思っていた彼はそう思う。
 しかし、実際は、徐々に人口も増え始め、あと二、三百年すれば、かつての暮らしに限りなく近い暮らしが出来るようになるだろう。
 なら、尚更神は何のための存在なのか。
 神無くとも人が存在し続けられるなら何のために?
 彼の目の前を人間が歩いていく。どの人間も貧相な服だが、ややしっかりとした服を着ている。
 今の彼は天界で着ているような鎧は付けていないので、誰も彼に奇異の視線を向けることはない。
 彼は立ち上がる。そこで初めて、通行人の幾人かが彼に奇異、ではなく、驚きの視線を向ける。この国の人達の平均身長は160cmである。しかし、彼の身長は軽く二mを超えていた。人々が驚くのは当然だろう。
 彼が歩き出すと次々と人々が道を開けていく。かつての彼であれば、道を開けるというだけの動作に対して、毎回礼を言っていた。しかし、今の彼にはそんな余裕など無かった。
 彼は人間になぞ目も向けず、歩き出す。
 目的などない。ただ理由無く彷徨ってるだけだ。
 
 数日後、彼はやや広い町の道の端で座り込んでいた。
 天界に帰る気はおきないから、人界をうろついていたがその間別に何も無かった。
 未だ己の存在意義も見つからず、人界は平凡な日が続いている。
 彼は動かない。
 誰かが彼に近づいていく。彼は動かない。その人間は彼から一歩離れた位置で立ち止まる。彼は動かない。
 ローブを被っているが、どうやら、少女のようだ。
 その少女は何も言わなかった。彼も何も言わなかった。
 先に口を利いたのは少女の方だった。
 「何、してるの?」
 そこで初めて彼は顔を上げた。
 その少女は、身に着けているものはみすぼらしい物だが、彼には、その少女が女神のように見えた。
 それ程、彼は孤独を感じていた。
 (神が人間を見て女神というのも、皮肉なもんだがな)
 彼が何も言わないでいると、少女は同じ質問を繰り返した。
 その時彼は、その少女がある人……いや、神に似ていることに気づいた。
 「……アテナ……?」
 「え?」
 少女に聞き返され、彼は自分が無意識に呟いていたことに気づいた。
 (何をしているんだ、俺は)
 ここは人界だ。それに、アテナは死んだのだ。自分が殺したのだ。いるわけがない。
 彼は、激しい自己嫌悪とともに疑問に思っていた。この少女は一体何者で、何のために今自分の前にいるのか、と。ここはアレスが人間がいないと判断した場所だし、人間が来ないような場所だったからそう判断した場所だ。しかし、少女はここにいる。
 「なんでここにいるんだ?」
 少女はその疑問に少し首を傾げると、何処かを指差した。
 「あそこ」
 指された方を見るとそこには小さな扉があった。ボロボロで今にも崩れそうだ。そして、その少女の言わんとするところを知った。
 「……まさか、あそこに住んでいるのか?」
 彼の質問に少女は頷く。
 彼は愕然とした。あのような所に人が住めるのか、と。
 それは、家と言うよりは、小さな倉庫と言ったほうが良いだろう。さらに、天井も穴だらけだ
 「あそこに、私一人で住んでる」
 さらに驚く。少女はまだ、十歳程度だろう。それなのに、あんな場所に一人暮らしなど。
 「親は……どうした」
 少女は首を傾げると、ぎこちない笑みを浮かべた。
 「お父さんは知らない。お母さんは、迎えに来るって言ったのに帰ってこないんだ。私、何か悪いことしたのかなぁ」
 違う。
 反射的に彼はそう言おうとしていた。
 だが、彼は開いた口を閉じる。自分には何も言う資格は無い。なぜなら、彼女がこんなことになった根本的原因は自分にあるからだ。
 黙った彼を見て少女は、さらに首を傾げる。
 「お兄さんは何をしてるの?」
 アレスは考える。
 自分は人界に降りて何をしているのか。
 ――答えは、何も、だ。
 何もしていない。それでも、この行動に理由をつけるとするならば、
 「……存在意義を捜してる」
 存在意義。かつて失ったもの。
 そんなことを言ってもこんな幼い少女には分からないだろうが、なんとなく、てきとうに、最初に浮かんだ言葉を呟く。
 「そんざい、いぎ……?」
 予想通り、少女は首をかしげている。
 まず十歳の少女に理解しろと言う方が無理である。
 アレスは首を振ると改めて少女の身体全体を見て気づいた。
 ――彼女の身体中に無数の傷があることに。
 切り傷、打撲、痣、内出血……。
 「それは……一体どうしたんだ」
 アレスが聞くと、少女は自分の身体を見下ろして、その顔に微笑を浮かべた。それを見たアレスは驚愕した。これだけ酷い傷に微笑む要素など見つからなかったからだ。
 少女は、微笑を浮かべたまま、視線をアレスに向けた。
 「お金が無いから、何も買えないの。だから、こっそり、畑に生えてるのとか、お店にあるのをとってくるの。でも、食べるものが無いのは皆同じだから、捕まったりしたら、大変」
 ――それを、あっさりと、何でもないかのように言う少女にアレスはさらに驚愕する。
 一体、この少女は、いつからこんな暮らしをしているのだろうか。
 きっと、生まれた頃からこんな暮らしだろう。大戦は少女が生まれる遥か昔から始まっていた。
 「……辛くは、ないのか?」
 「……最初はね。でも、最近は慣れちゃって、何も感じなくなっちゃった」
 それが嘘だと言うことはすぐに分かった。
 表情、仕草全てに表れていた。それに、アレスに嘘は通じない。
 どうやら、嘘をつくのが下手らしい。というか下手だ。
 「あ、お兄さん笑った!」
 言われて気づいた。
 口が少し吊り上っている。
 アレスは確信する。
 この少女は強い。自分なんかよりも遥かに。力ではなく、心が。
 だからこそ、余計に少女が哀れに感じられた。こんな世界だからこそ彼女はこうならざるをえなかったのだ。この世界が、この少女から奪ったものは数え切れないだろう。
 アレスはここから一刻も早く立ち去りたかった。この少女から何もかも奪ったのは自分である。そんな現実から逃げようとしていた。アレスは天界に戻ろうと思った。天界に戻るための聖句を唱える。

 ――しかし、戻ることは出来なかった。

 「……ん?」
 戸惑いつつ、もう一度聖句を唱える。やはり戻れない。
 アレスはすっかり困惑した様子で何度も聖句を唱える。しかし、戻るどころか、天が開くこともなかった。
 もしやと思い、他の聖句を唱える。
 ――何も起こらなかった。
 自分の武器――折れているが――すらも出てこない。
 ――神としての力が使えない。
 (これは、どういうことだ!?)
 
 
 
 
 
 
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