ローズフィアの物語 青銀の聖女

ひしん

文字の大きさ
7 / 15
黒髪の異端審問官

黒髪の異端審問官(3)

しおりを挟む
 重い。
 到底持ち上がりそうもない。
 これは木箱の封をしている釘を全部抜いて、中身を出して運ばないと無理な気がする。
 しかし錆びさせて抜けにくくしてある釘が、果たして自分の力で引き抜けるものだろうか。

 シャーレンはため息をついた。

 白の神官長だというのに、今日の会議でも意見を通せなかった。
 間違ったことをしていると知っていて、それを止める力もない。
 それどころか、こんな箱一つ動かせないだなんて。

「本当に……どうして私はこうも無力なのでしょう……」

「あまり無理をなさるとおケガをされますよ」

 不意にかけられた声にシャーレンは振り返った。
 扉の側には見覚えのある男が立っている。
 先日紹介されたばかりの男。

「……ロゼス」

「名前を覚えていただけたとは光栄です。シャーレン様」

 男はにっこりと微笑む。
 つかつかとシャーレンの側までくると、ロゼスは何でもなさそうに箱をひょいと持ち上げた。

「どちらにお運びすればよろしいですか?」

「……あちらの棚へ」



 シャーレンは改めて木箱を運んでくれた男を見上げた。

「でも、どうして貴方がここに?」

「お願いがあってお部屋まで伺ったのですが、こちらにいらしゃるとのことでしたので。しかし、白の神官長ともあろうお方が、自ら書庫の整理をなされるとは思いませんでした」

「……今日の職務は午前中の会議だけです。私が大教会の白魔術師の中で一番暇なのです」

「ご謙遜を。シャーレン様は書類の山を瞬く間に片付けてしまうと評判です」

「それは買い被りです。私は一日中書類の前に座っているぐらいしかすることがないから、他の方よりも必然的に処理が早くなるだけで……書庫の整理すら一人ではまともに出来ないぐらいですから」

「腕力などなくても、シャーレン様には白の神官長としてのお力がございましょう」

 シャーレンは目を伏せた。

「……それを含めて私は無力なのです。今日も……」

「……」

「……ああ、ごめんなさい。余計な話をしました」

「いいえ。とんでもございません」

「何か用事があって来たのでしたね。用件を聞きましょう」

「実は……異端審問庁に白魔術師をお貸しいただきたいのです」

「……そのトラン殿のご要望でしたら、先日お断りさせていただいたばかりですが」

 シャーレンはにべもなく答えた。
 異端審問長トランは異端審問の為に魔術師を貸せと何度も言ってきている。拷問にかけ、その傷を癒し、また拷問にかける。そのための白魔術師を貸せと。そんなことに使われるとわかっていて、人など貸せるわけがない。

「はい。存じております。何度も申し訳ございません。ですが、このところ審問にかける異端者が急増し、こちらは慢性的な人手不足。こちらとしても、どうしても優秀な白魔術師が必要なのです」

「白の宮も私以外はそこまで暇ではありません。貸せるほどの余裕はありません」

「……お貸しいただけないのなら、また他のところに手伝いをお願いしなければなりません。ですが、優秀な白魔術師でないと審問の最中に囚人が亡くなることも。実は先日もそれで女が一人亡くなりました。内臓の治癒に失敗したようで手の施しようがなく……三日ほど苦しみぬいて逝きました。あれでは火にかけられた方がまだ慈悲深いというもの」

 ロゼスの言葉にシャーレンはぴくりと震えた。

「不得手な白魔術師のせいで最近はこのようなこともたびたび。こういったことのないよう、ぜひ白の宮の優秀な白魔術師をお借りしたいと、トラン様は仰せです」

 シャーレンは顔を歪めた。

「……まるで審問にかけられる者のため、とでも言いたげですね」

 ロゼスは微笑んだ。

「もちろんそのつもりで申し上げておりますが。シャーレン様もご存知のとおり、そもそも我々異端審問官は彼らの救済のための存在。我々の役目は誤った道に堕ちた者を正し、神の御許へと彼らを連れ戻すこと。異端審問官は堕ちた彼らを救う為に審問を行っているのですから」

「……救い、ですか。あれが」

 苦々しげにシャーレンは呟く。
 拷問にかけ、火焙りにする。審問にかけられた者はほぼ全員が罪を告白し、火刑になっている。あれが救いだというのなら、いったい救いとそうでないものとの差は何なのか。

「火は全ての罪を洗い清める。悪魔に魂を囚われ生きながらえるよりも、炎によって全てを浄化し、神の御許へ召される方がどれほど幸福かというもの。……ああ、シャーレン様にはご異論がおありのご様子ですね」

「……迷える者を救うことは神の示された道。けれどわたくしの思う救いと、貴方やトラン殿の考える救いには幾分隔たりがあるようです」

「……それは残念なことです。ですが、僕やトラン様の考える救いと、シャーレン様の考える救いに多少の隔たりがあったとしても――優秀な白魔術師の存在が囚人のためになるというその点では意見が一致するのではないでしょうか?」

「……」

「シャーレン様は審問によい心象をお持ちでないようですが、白の宮からお貸しいただけないとしても、他の庁からあまり優れない白魔術師を借りて審問が行われるだけのこと。先ほども申し上げたように、審問は救済が目的です。必要以上に苦しめ死なせるようなことは我々の本意ではありません。――どうか白魔術師をお貸しいただけませんか。シャーレン様」

 ロゼスが促す。
 確かに失敗した治癒の修復は単なる治癒より遥かに困難となる。以前、一度治癒の失敗した患者を見たことがある。間違って接合された器官はもう分離のしようもなく、その男は苦しみぬいて死んでいった。とても見ていられないような酷い苦しみようだった。同じことが起こるというのなら、シャーレンがここで意固地になってもいたずらに審問にかけられる者の苦しみを増やすだけだというのなら……。

 苦渋の思いでシャーレンはうなづいた。

「……わかりました。この件は了承しましたと、トラン殿にそうご返答を」

「――ありがとうございます。シャーレン様」

 ロゼスは整った顔に上品な笑みを浮かべ、恭しく頭を下げた。

「ところで、シャーレン様」

「……まだ何か?」

「お一人では大変でしょう。ご承諾を頂きましたお礼に、もしよろしければ書庫の整理をお手伝いさせていただけませんでしょうか?」

「貴方の仕事はいいのですか?」

「異端審問が僕の仕事ですが」

 ロゼスの返答に、シャーレンはちらりと男を見た。
 ロゼスは僅かに首をかしげ、にっこりと微笑んでみせる。異端審問の仕事に戻らせたいのかと、遠まわしに言っているのだ。
 この男はこの短い時間にシャーレンのことをよく理解している。

「……手伝っていってもらえますか?」

「喜んでお手伝いさせていただきます。シャーレン様」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

存在感のない聖女が姿を消した後 [完]

風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは 永く仕えた国を捨てた。 何故って? それは新たに現れた聖女が ヒロインだったから。 ディアターナは いつの日からか新聖女と比べられ 人々の心が離れていった事を悟った。 もう私の役目は終わったわ… 神託を受けたディアターナは 手紙を残して消えた。 残された国は天災に見舞われ てしまった。 しかし聖女は戻る事はなかった。 ディアターナは西帝国にて 初代聖女のコリーアンナに出会い 運命を切り開いて 自分自身の幸せをみつけるのだった。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

「魔道具の燃料でしかない」と言われた聖女が追い出されたので、結界は消えます

七辻ゆゆ
ファンタジー
聖女ミュゼの仕事は魔道具に力を注ぐだけだ。そうして国を覆う大結界が発動している。 「ルーチェは魔道具に力を注げる上、癒やしの力まで持っている、まさに聖女だ。燃料でしかない平民のおまえとは比べようもない」 そう言われて、ミュゼは城を追い出された。 しかし城から出たことのなかったミュゼが外の世界に恐怖した結果、自力で結界を張れるようになっていた。 そしてミュゼが力を注がなくなった大結界は力を失い……

出来損ないの私がお姉様の婚約者だった王子の呪いを解いてみた結果→

AK
恋愛
「ねえミディア。王子様と結婚してみたくはないかしら?」 ある日、意地の悪い笑顔を浮かべながらお姉様は言った。 お姉様は地味な私と違って公爵家の優秀な長女として、次期国王の最有力候補であった第一王子様と婚約を結んでいた。 しかしその王子様はある日突然不治の病に倒れ、それ以降彼に触れた人は石化して死んでしまう呪いに身を侵されてしまう。 そんは王子様を押し付けるように婚約させられた私だけど、私は光の魔力を有して生まれた聖女だったので、彼のことを救うことができるかもしれないと思った。 お姉様は厄介者と化した王子を押し付けたいだけかもしれないけれど、残念ながらお姉様の思い通りの展開にはさせない。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

悪役女王アウラの休日 ~処刑した女王が名君だったかもなんて、もう遅い~

オレンジ方解石
ファンタジー
 恋人に裏切られ、嘘の噂を立てられ、契約も打ち切られた二十七歳の派遣社員、雨井桜子。  世界に絶望した彼女は、むかし読んだ少女漫画『聖なる乙女の祈りの伝説』の悪役女王アウラと魂が入れ替わる。  アウラは二年後に処刑されるキャラ。  桜子は処刑を回避して、今度こそ幸せになろうと奮闘するが、その時は迫りーーーー

【完結】私は聖女の代用品だったらしい

雨雲レーダー
恋愛
異世界に聖女として召喚された紗月。 元の世界に帰る方法を探してくれるというリュミナス王国の王であるアレクの言葉を信じて、聖女として頑張ろうと決意するが、ある日大学の後輩でもあった天音が真の聖女として召喚されてから全てが変わりはじめ、ついには身に覚えのない罪で荒野に置き去りにされてしまう。 絶望の中で手を差し伸べたのは、隣国グランツ帝国の冷酷な皇帝マティアスだった。 「俺のものになれ」 突然の言葉に唖然とするものの、行く場所も帰る場所もない紗月はしぶしぶ着いて行くことに。 だけど帝国での生活は意外と楽しくて、マティアスもそんなにイヤなやつじゃないのかも? 捨てられた聖女と孤高の皇帝が絆を深めていく一方で、リュミナス王国では次々と異変がおこっていた。 ・完結まで予約投稿済みです。 ・1日3回更新(7時・12時・18時)

そんなに義妹が大事なら、番は解消してあげます。さようなら。

雪葉
恋愛
貧しい子爵家の娘であるセルマは、ある日突然王国の使者から「あなたは我が国の竜人の番だ」と宣言され、竜人族の住まう国、ズーグへと連れて行かれることになる。しかし、連れて行かれた先でのセルマの扱いは散々なものだった。番であるはずのウィルフレッドには既に好きな相手がおり、終始冷たい態度を取られるのだ。セルマはそれでも頑張って彼と仲良くなろうとしたが、何もかもを否定されて終わってしまった。 その内、セルマはウィルフレッドとの番解消を考えるようになる。しかし、「竜人族からしか番関係は解消できない」と言われ、また絶望の中に叩き落とされそうになったその時──、セルマの前に、一人の手が差し伸べられるのであった。 *相手を大事にしなければ、そりゃあ見捨てられてもしょうがないよね。っていう当然の話。

処理中です...