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二人の王子

二人の王子(3)

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 そのきらきらと光るガラス張りの建物は、一目でシャーレンを虜にした。
 大きな鳥かごのような可愛らしい外観だったし、なんといってもガラスで出来ているのだ。大陸一の強国と呼ばれ、強大な力を誇るシオン王国といえど、そんなものはこの王宮にしかない。もちろんまだ幼かったシャーレンも、ガラス張りのドームを見たのはその日がはじめてだった。

「あそこは王族しか入ってはいけない場所。私たちが入るには許可をもらわないと駄目なのだよ」

 父はそうやさしくシャーレンをさとしたが、シャーレンはどうしてもそのきらきらとした透明な建物に入ってみたくて。好奇心の強かったシャーレンは――その温室の側で父と兄が話し込んでいる隙をついて、こっそりと中へと忍び込んだのだ。
 温室の中は魔術により常に一定の温度が保たれており、冬だと言うのにとても暖かだった。
 極彩色の大輪の花や、変わった葉を持った草。はるか高い透明な天井へと枝を伸ばす巨木。綺麗なもの、珍しいものばかりで、幼いシャーレンの機嫌はどんどん上昇していった。
そんな時だった。

 ミャー。

 ふいにどこからか、かわいらしい鳴き声がした。

「……子猫?」

 シャーレンは嬉しくなって辺りを見回した。
 しかし、あたりに子猫の姿は見えない。

 ミャー。

 また声がする。上の方だ。シャーレンは頭上を見た。
 大きな木の枝の上。金色のリボンを首にまいた真っ白な子猫がちょこんと乗っていた。
 シャーレンは顔を輝かせた。しかし、子猫はじっとしたまま、また救いを求めるようにミャーと鳴いた。

「どうしたの?おいで」

 呼びかけるが子猫は全く動こうとしない。
 よく見ると小刻みに震えているようだ。

「……降りられなくなったの?」

 シャーレンが尋ねると、そうだというかのように、子猫はまたひとつミャーと鳴いた。
 二十分後、シャーレンは子猫を胸に、木の上から地面を見下ろしていた。

「……結構高い……です……」

 シャーレンはぽつりと呟いた。
 登る時は子猫のことばかり見ていて恐怖を感じなかったが、こうやって改めて下を見ると結構高いような気がする。それに手をかけて登るにはよかったけれど、足場にするには木のでっぱりは少々微妙な位置にあるような……。
 そして何よりも一番大きな誤算は――手が使えないということだった。
 子猫を抱えれば手が使えなくなるのだということを、シャーレンは全く念頭に入れてなかったのだ。

「……」

 子猫同様、シャーレンは固まって下を見た。
 腕の中の子猫が不安げに、ミャーと鳴いた。

「……ええと……大丈夫です。どうにかなります」

 あんまり自信はなかったが、とりあえず子猫にはそう言い聞かせる。
 誰か通りかかってくれるだろうか?
 シャーレンは自問自答した。
 でも、ここは本当は王族しか入ってはいけない建物。この場所は建物の結構奥だから、助けを呼んでも声は外までは届かない。だから、誰か……王族の人たちが運よく来てくれるのを待たないといけない。
でも、それはすごくすごく……下手したら何日も時間がかかることのような気がする。子猫はそんなに食べないでいたらきっと飢え死にしてしまうし、シャーレンもそんなに長い間、ここでじっとしていることはとても出来そうになかった。

「……飛び降りて……みましょうか?」

 地面までは結構高さがある。……でも、例えばちゃんと足から落ちたら、きっとケガはしない――いや、ちょっとのケガで済むのではないだろうか?
 ごくり、とシャーレンは喉を鳴らした。
 覚悟を決めて、下を見る。

 ミャー。

 子猫がまた鳴いた。
 シャーレンは自分の胸に必死でしがみつく子猫に安心させるように微笑んだ。

「……大丈夫です。貴方のことはちゃんと守りますから」

 きゅっと子猫を胸に抱きしめ、シャーレンは深呼吸をし、目を閉じた。
 思い切って空中へと一歩を踏み出す。
 体が一気に落下していく感覚。
 そして――

「……馬鹿っ!何をやってるんだ!」

 怒鳴り声がした。
 シャーレンが地面にぶつかる直前に、誰かがシャーレンの体を引き寄せた。
 続く衝撃。
 シャーレンは瞬きをして地面を……いや、正確には自分が下敷きにした少年を見た。

「いたた……」

 少年は眉をひそめ、腰をさすっている。見たことのない顔だ。シャーレンはまじまじと少年の顔を見つめた。

「……重いぞ。どいてくれないか?」

 少年が言う。
 シャーレンは慌てて少年の上からどいた。

「ご、ごめんなさいっ……」

「……全くだ。あの高さから飛び降りるなんて滅茶苦茶もいいところだぞ!それも目を閉じてなど……俺が引き寄せなかったら、そこの切ったばかりの枝で串刺だ。いったい何を考えているんだ!」

 怒られてシャーレンは小さくなった。

「……その……ごめんなさい。……ありがとう……」

 しゅんとしてシャーレンが言うと、慰めるように子猫が鳴いた。
 少年はシャーレンの腕の中の子猫を見て、それからじっとシャーレンを見つめなおした。
 少しして、口を開く。

「……その子猫が下手な木登りの原因か?」

「下手じゃありません!……ただ……ちょっと……降りられなくなっただけです」

 シャーレンが抗議すると少年は目を丸くし、次いで笑い出した。

「はは……確かにな。あんなところまで登ったのだから、登るのは下手ではないんだろう。降り方にはだいぶ問題があったが」

「……それは……子猫を抱いたら手を使えないことを忘れていたのです」

 シャーレンが答えると、少年は腹を抱えて一層笑い出した。
 シャーレンは頬を赤らめた。

「……少し笑いすぎです」

 シャーレンが恥ずかしさに半分涙目になって言うと、少年は慌てて笑いを引っ込めた。

「そ、そうだな。……悪かった。子猫を助けようと必死だったのに笑うのは礼に反するな。しかし、それで子猫を抱いてあんなところから飛び降りるとは……随分と無茶をする。まあ、俺はそういうのも嫌いではないが」

 少年はそこで何かに気づいたかのように言葉を止め、少しシャーレンの方へとかがんだ。
 シャーレンの前髪をかきあげる。

「……ああ、ほら、額も少し切っているぞ」

 言われて、シャーレンはおでこに手を伸ばした。

「……あとで魔法で治してもらいます」

「なんだ。おおげさだな。それぐらい唾をつけとけば治る」

 言うなり、少年がぺろりとシャーレンの額を舐めた。
 シャーレンは固まった。何度も瞬きをして、少年をじっと見上げる。
 少年はばつが悪そうな顔をした。

「……すまん。俺は田舎育ちでな。こういうのが普通だったんだが……ここでは違ったな。公爵家のお姫様に対しては失礼だった」

 シャーレンは首をかしげた。
 
「……私を知っているのですか?私は貴方に会ったことがありません」

「会ったことがなくても、見ればわかる」

「?」

「その髪と眼が、噂に聞く青銀というやつだろう?確かに月の光を集めて固めたような……随分と変わった不思議な色だな。――だが、とても綺麗だ」

 屈託なく笑って、少年は手を差し出した。

「ディエンタール家のシャーレンだろう?俺はディラン。ディラン・フォン・ピースダクト・シオン。よろしくな」

 少年の茶色い髪と眼は、決して珍しいものではなかったけれど。
 けれど明るい希望と強い意志に満ちた少年の眼は、見たことがないほどきらきらとしていて。少年の眼の方がずっと綺麗だと、その時シャーレンは思ったものだった。

 シャーレンはそっと息を吐いて、目を開けた。

 王家と同じシオンの姓を名乗った少年……ディランはもう一人の第一王子と陰で呼ばれる立場の人間だった。
 シャーレンを強引に連れてきた第一王子ハロルド。ディランと彼は同い年であり、そしてディランとハロルドは、はとこ同士の間柄にある。

 ディランの祖父は、ハロルドの祖父とは兄弟であり、ともに正当な王位継承権を持った王子だったのだ。ディランの祖父が兄、ハロルドの祖父が弟。
 本来なら兄であるディランの祖父が、王位を継ぐはずだった。しかし兄の方は生まれつき両足が不自由だった。大陸二大強国のひとつ、シオン王国。常に隣の帝国と睨みあいを続けているこの国を治める王としては、やはり障害がない方が好ましい。そう自ら判断した兄は、王位を弟に譲ったのだ。

 それが――全ての発端だった。

 自分の次の王位は兄の息子に託す。
 王になった弟は、そう約束をした。けれど、その約束は果たされることはなかった。弟は約束をたがえ、生まれた自分の子……今のシオン国王に王位を譲ったのだ。王位を約束をされていたディランの父は、なんだかんだと理由をつけられ、辺境の地へと追いやられた。それでも本来なら王となるはずだったディランの父は、文句一つ言わなかった。

「一度託した玉座だ。息子の足は無事だからやっぱり帰せというのも、親父殿も少々虫のよすぎる話だ。別に私は王位はいらない。……それに、私が王都サイファーンにいては、争いの種になるのではないかと心配する気持ちもわからなくもない」

 そう言って、大人しく与えられた辺境の領地に移り住んだのだ。
 ディランの父には争う気も、王位に対する執着もなかった。
 与えられた辺境の地にも不満はなかった。ただ、穏やかに日々を送っていければ。

 が、しかし――彼を追いやった王家の人間は、そうは思わなかったのだ。後ろめたさは人を疑心暗鬼に駆り立てる。

 弟王の子孫は思った。
 あんな田舎に追いやられて。本来なら自分が継ぐはずだった王位なのに。彼はそう自分たちを恨んでいるに違いない。いつか必ず自分たちへ牙を剥くだろう。このまま放っておくわけにはいかない、と。

 そうしてあの忌まわしい事件がおき、ディランの最愛の女性は死に――抗議しに行ったディランの父は、待ち構えていた兵によって討ち取られたのだ。国王の命を狙った、という汚名を着せられて。

「……」

 シャーレンはもう一度思い出の温室を眺め、それから目を伏せた。

 彼は、今頃どうしているだろう。元気にしているのだろうか。
 大切な者達を奪われ。王家と大教会を敵に回して、ほとんど勝ち目のない戦いを挑みながら――それでもあの頃のように笑う日もあるのだろうか。

 ディランはシャーレンが白の神官長になることが正式に決まった日、シャーレンに別れを告げにきた。
 もう二度と会うことはないだろうと。
 けれど、おまえは大切な友人だと。
 たとえ、互いの立場がどれほどに変わったとしても。
 そう、言ってくれた。
 それ以上ディランは何も話してはくれなかった。だから、シャーレンがディランの話した言葉の意味を知ったのはそれからしばらくたって、ディランが王家に反旗を翻した時だった。

 愛する女性を奪われ。父は反逆者の汚名を着せられ、騙し討ちされ。
 ディランはあの時からずっと機をうかがっていたのだ。父が王位を簒奪するつもりだったという王家の言葉を、大人しく信じる振りをして。間の抜けた息子だという嘲笑を甘んじてうけながら。

 ――反旗を翻す、その時を。

「……ディラン」

 声に出すことすら今では危険の伴うようになったその名を、シャーレンは僅かに唇を動かし、本当に小さく小さく呟いた。
 名前を呼ぶと、何故か、ずきりと胸が痛んだ。
 会いたい、と思った。
 もう何年も会っていない、彼に。
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