トイ・チルドレン

鍵谷端哉

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中里修二の回想④

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「お母さんを手伝えることってないかな?」
 
 由依香ゆいかの学校が終わると、駅で待ち合わせをする。
 その後はウィンドショッピングやちょっとしたアミューズメントパークなど、2、3時間くらいで遊べるようなところに行くというのが習慣になった。
 
 世間話だけだったのが、次第に由依香は相談ごとをしてくれる。
 それが、修二しゅうじにとってとても嬉しいことだった。
 
「そうだなぁ。確かに沙都希さつきさんは大変だと思うけど、何より嬉しいのは由依香が真っすぐに育ってくれることだと思うよ」
「それでも、何か手伝いたいんだよね。でも、バイトしたいとか言ったら、怒られちゃった」
「うん。その気持ちはお父さんもわかるかな。俺も由依香にはバイトとかして欲しくないかも」
「どうして?」
「確かに、働くという経験は大切なものだよ。だけどね。それと同じくらい、学校生活と勉強は大切な経験なんだ。働くことは学校を卒業してもできるけど、学校生活は社会に出たら経験できなくなるだろ?」
「そっか……。なるほど」
 
 自分の言うことを素直にうんうんと頷いて聞いてくれる由依香との会話は、修二にとって何事にも代えがたい幸せな時間だった。
 
「さすがお父さん! なんか、納得しちゃった!」
 
 腕に抱き着いてくる由依香。
 何気ない、こんな日常も幸せなのだと痛感する。
 
「お母さんはとにかくダメって言うだけだからさ」
「ははは。女の人はあまり、言語化ってしないからね」


 
 本当に幸せな毎日が続く中、突然、由依香が青い顔をして修二にある相談事をしてきた。
 
「学校でね。私……パパ活をしてるんじゃないかって言われて」
「え?」
 
 考えてみれば、由依香と修二は親子関係である。
 だが、傍から見た際に、全員がそう思うかはわからない。
 ましてや、由依香には父親がいないことになっている。
 家も裕福とは言えない。
 そうなるとパパ活……援助交際をしていると勘ぐる人間もいるだろう。
 高校生なんて噂好きだから尚更だ。
 
「それでね、明日、生活指導の先生に呼び出されちゃって……。どうしたらいいかな?」
「由依香。俺も、その話し合いに参加するよ」
「ええ?」
 
 そのとき、由依香は嫌がっていたが、ほぼ強引に行くことを決めた。
 教師たちを説得する自信はある。
 
 だが、それよりも沙都希の耳に入ることの方が怖かった。
 学校内で大事になれば、親である沙都希の方へ話が行く可能性は高い。
 ここで、沙都希に知られてしまえば、すべてが台無しになってしまう。
 
 
 教師たちとの話し合いは無事に切り抜けることができた。
 ここでもDNA鑑定書が役に立った。
 それに、由依香の教師受けも後押しした。
 担任も、由依香がパパ活をしている話を聞いて信じられないと言っていた。
 
 だが、この件で毎日会うのは危険だと気づいた。
 考えてみれば、沙都希もこの町の住人だ。
 どこかで鉢合わせなんかしたら終わりだ。
 
 そこで修二は由依香に会うのは週に2回にしようと提案した。
 由依香も少し寂しそうな顔をしていたが、「最近、お母さんが、帰りが遅いのを心配してるんだよね」と、了承してくれた。
 
 ここで修二は念のため、由依香に「部活に入ったことにした」と言うように助言した。
 週2回なら、納得してくれるはずだ。
 
 また、この件で、由依香の修二への信頼はさらに上がった。
 学校に出向き、必死に教師たちを説得した姿は由依香の心に響いたらしい。
 そのときから、修二が由依香のことを亜里沙と呼ぶことを許してくれた。
 
 修二は嬉しかった。
 娘を本当の名前で呼べることに。
 
 そして、このとき沙都希の方にも探りを入れようと思うようになった。
 修二から見れば、最愛の人である亜衣加が残した一人娘を浚った憎き相手だ。
 だが、由依香から聞く沙都希は、まさに理想の母親という印象なのだ。
 
 修二の中の憎しみが揺らぐということはない。
 だが、正直、会ってみたいと思った。
 
 そこから修二は沙都希の後を着けるようになり、観察するようになった。
 スーパーで必死に働き、仕事が終わればすぐに帰って家事をする毎日。
 貧困による悲壮感はない。
 だが、由依香の言う通り、由依香の大学進学に必要なお金はどうするのだろうと考えていた時だった。
 沙都希に動きがあった。
 
 パートを増やしたのである。
 
 スーパーが終わってから、そのまま清掃会社の掛け持ちをし始めた。
 由依香にそれとなく聞いてみても、掛け持ちしていることは知らないようだった。
 
 なんでそんなことをしたのかは、今でも修二にはわからない。
 いきなり、修二は沙都希が働く清掃会社にパートで入った。
 
 たぶん、沙都希と話してみたかったのだと思う。
 今の状況をどう思っているのか。
 修二たち家族を騙し、家庭を壊したことをどう思っているのか。
 それが知りたくなった。
 
 だが、仕事では他愛のない話をするだけで終わってしまう。
 
 どうすれば、より沙都希を苦しめることができるかを考えながら、修二は沙都希と会話を重ねていったのだった。
 
 
 修二が由依香と沙都希の方に時間をかけているので、必然的に亜里沙ありさと話すことが極端に減っていた。
 
「お父さん、最近、何してるの?」
 
 たまに家に帰ると、亜里沙の方から話しかけてくることがある。
 
「別に。仕事だよ」
「ふーん」
 
 なんとなく冷たい返しをしてしまう。
 今は由依香と……本物の亜里沙と楽しく会話が出来ている。
 なので、亜里沙と話すメリットはなにもないのだ。
 
「今度さ。私、父さんと出かけてもいいよ」
 
 今まで頑なに外に出ようとしなかった亜里沙。
 なのに、いきなりこんなことを言い出してきた。
 修二には亜里沙が何を考えているのかわからなかった。
 
 いや、何を考えているのかを、考えるのが面倒に思えた。
 
 偽物の亜里沙は、沙都希の元に返す存在だ。
 もう、この子に時間を割く必要はない、そう考えていた。
 
 
 会社の方も、部下に任せっきりにしている。
 時々、電話がかかってくるが、方針を伝えれば会社は問題なく回っていく。
 自分が必死に働いていた頃が、妙に懐かしく感じる修二。
 もう自分の会社ではないような気もする。
 
 いっそ、由依香を取り返した後は、会社を売り、その金で娘と2人でゆっくり過ごすのもいいなと思っていた。
 
 そして、その頃には修二は阿比留《あびる》のことを忘れ去っていく。
 自分が阿比留を殺したことは夢だったのではないかとさえ思えた。
 修二はもう、由依香さえ戻ってくれば、それでいいかとさえ思い始める。
 
 沙都希への憎しみも日に日に薄くなっていく感じがしていた。
 やはり、沙都希と一緒に働いたのは間違いだったと思う。
 
 悪い人じゃないかもな。
 そう思い始めていく。
 
 車の中のラジオからは、母親殺しの上代雄也が逮捕されたというニュースが流れていた。
 
 
 
「高校を卒業したら一緒に暮らさないか?」
 
 修二はストレートに気持ちを伝えた。
 
「亜里沙が沙都希さんを慕っているのはわかっている。でも、俺からしたら亜里沙を俺から奪った人だ」
「……」
「こんなことを言うのは卑怯かもしれないけど、俺のところにくれば、大学にかかる経費も俺が出せる。沙都希さんの負担もなくなるんだ」
「で、でも……」
「もちろん、二度と沙都希さんに会うなとは言わないよ。亜里沙が会いたくなったら、いつでも会いに行けばいい。でも……これからは俺との時間を多くしてほしい。17年を少しでも埋めたいんだ」
「……」
 
 明らかに由依香は迷っているようだった。
 由依香にとってはあくまで母親は沙都希なのだ。
 
「まだ時間はある。ゆっくり考えてほしい」
「うん。わかった」
「ああ、そうだ。明日、亜里沙の誕生日だろ?」
「うん。そうだけど……」
「わかってる。誕生日はいつも沙都希さんと祝うんだろう?」
「うん……」
「だから、土曜日にお祝いさせてくれないか? 特別にその日は朝から色々なところに出掛けたいんだ。だから、沙都希さんには友達と遊ぶと言っておいてくれないか?」
「うん。ありがとう、お父さん」
 
 由依香の笑顔は修二にとって、とてもまぶしく映った。
 
 その日の夜。
 修二は由依香の誕生日の1日のスケジュールを考えていた。
 そして、事件のきっかけとなる重大なことが起こったのだった。
 
 
 
 由依香の誕生日祝いの予定を立てていた時、バタンと何かが倒れる音がした。
 家にいたのは修二以外では亜里沙しかいない。
 
 そう考えると亜里沙が何か暴れているだけだろうと思った。
 だが、亜里沙は家にいるかわからないくらい、いつも物音を立てない。
 
 ただ、ちょっとしたよろめきや不注意で物が倒れることはある。
 気にすることはない。
 そう思ったのだが、妙に胸騒ぎを感じた。
 
 亜里沙の部屋の前に行き、ドアをノックする。
 しかし、返事がない。
 もちろん、亜里沙の部屋には鍵がついていて、ドアノブを回そうとしても鍵がかかっている。
 これは珍しいことはないのだが、修二はもう一度ノックした。
 
「どうした? なんかあったのか?」
 
 また、返事がない。
 いつもであれば、声は出さないにしても、何かしらのリアクションがある。
 だが、今回はそれさえもない。
 
「おい、返事をしてくれ。亜里……」
 
 修二は無意識のうちに、亜里沙と呼ぶのを飲み込んだ。
 家に住む娘は本当の子供ではなく、修二の中では亜里沙は由依香のことを指す名前である。
 だからか、修二は亜里沙のことを亜里沙と呼ぶことを避けるようになっていた。
 
「返事をしろ。1分待っても、返事をしなかったらドアをぶち破るぞ」
 
 今まで修二はここまで乱暴な言葉を使ったことはなかった。
 それでも、中から返事は何もない。
 修二は1分間待ち、そして、ドアをけり破った。
 
「……え?」
 
 ドアを破って、最初に目にした光景。
 
 それは亜里沙の首吊り死体だった。
 
 
 ――なぜ?
 
 最初に亜里沙の死体を見た時に出てきたのは、疑問だった。
 確かに亜里沙は何度も自殺未遂をしている。
 だが、それはあくまで自殺というポーズを取るだけのものだった。
 
 そういえば、1度だけ、本気で自殺を図った時があったが、それでも首吊りではない。
 
 そして、亜里沙が首吊りに使ったロープには見覚えがある。
 それは阿比留を絞殺したロープだ。
 現場に残しておくこともできず、持って帰っていた。
 さっさと処分してしまえばよかったのに、クローゼットの奥に置きっぱなしにしていた。
 
 それにしても、なぜ突然こんなことを?
 
 そう思っていると、亜里沙の足元に紙が散らばっているのを見つける。
 拾い上げて見てみる修二。
 
 それは亜里沙と修二のDNA鑑定書と、由依香と修二のDNA鑑定書だった。
 さらに手紙も残してある。
 
 その内容は、自分が修二の子供ではないこと、修二が本当の子供に会っていること、そして、自分が捨てられてしまうだろうことが書かれていた。
 
 また、亜里沙の日記も置いてある。
 その日記には亜里沙の今までの苦悩が書かれていた。
 
 小学生の頃から口にわずかに残った傷でイジメられていたこと。
 イジメがエスカレートして、いじめっ子に唇を引き裂かれたこと。
 そのことに全く気付いてくれない修二のこと。
 そして、家政婦の家を調べて行ったところ、孫と楽しそうに遊んでいたのを見たこと。
 その家政婦の笑顔は亜里沙の前では見せたことのない、心底、幸せそうな笑顔だった。
 
 結局、母親のようだと思っていた家政婦は、自分のことを単に仕事上の面倒を見る子供としか見ていなかったことに気づいた。
 
 自分には味方が誰もいない痛感する。
 
 だが、唯一、自分が自殺をしようとしたときだけ、修二に会える。
 たとえ、自分のことに興味がないとしても、会いには来てくれる。
 だから、定期的に自殺未遂をしていたことが書かれていた。
 
 そして、由依香のことを探し始めた頃、修二が亜里沙に話しかけてくれるようになったことが、どんなに嬉しかったことかがつらつらと書いてある。
 だが、あるときから、また話しかけられることもなくなり、それどころかまた家に寄り付かなくなってしまった。
 
 どうやら、亜里沙はなんとなく気づいたようだった。
 修二は本物の娘と会っているのだと。
 
 それでも亜里沙は最後の望みを持って、修二にあることを提案した。
 
「今度さ。私、父さんと出かけてもいいよ」
 
 だが、修二はその提案をあっさりと断った。
 
 きっと父さんは私の誕生日も忘れている。
 
 そうだ。
 由依香の誕生日ばかりに目を向けていたが、その日は亜里沙の誕生日でもあった。
 
 亜里沙は最後にこう〆ていた。
 
「今日は私の誕生日で、お母さんの命日。母さんなら私を受け入れてくれるかな?」
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