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第一章 公爵の求婚
3 婚約の条件
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ベルティーユの返答に、シルヴェストルとオリヴィエールはしばらく沈黙した。
(愛妾がなにかも知らずに……)
さすがは賢くても深窓の令嬢、とシルヴェストルは頭を抱えた。
かといって、兄として愛妾の役目を事細かく説明する気は起きなかった。
ベルティーユが『愛妾』という存在を知っているのは、歴史書を読み込んでいるからだ。
ところが歴史書には、愛妾が王にどのような政治的影響を与えたかは記していても、実際にどのような存在であるかは記していない。
現カルサティ侯爵夫妻は仲が良く、どちらも夫や妻以外の恋人がいないため、愛人や妾という存在がベルティーユの辞書には存在していないのだ。彼女は兄のように恋愛小説を読まないため、愛妾について詳しく知り得ないというのもある。
「愛妾についてざっくり説明すると、政務でお疲れの陛下をお慰めする役目ってところかな」
ベルティーユの手を握ったままのオリヴィエールは、薄く微笑みを浮かべたまま、かなり曖昧な説明をした。
その説明に間違ってはいないが、あまりにも大まかすぎる。
案の定ベルティーユは「それは王妃様の次に大事なお役目ね」とわかったようなわかっていないような返事をしている。
「僕は、敬愛する陛下のために王妃様とは違った形で役に立ちたいという君を応援するよ」
まるでベルティーユの一番の理解者であるような顔をして、オリヴィエールはベルティーユに迫った。
「だから、僕と結婚してくれないか」
「応援してくれるの? 嬉しいわ!」
満面の笑みを浮かべて、ベルティーユは声を弾ませる。
オリヴィエールは掴んだベルティーユの手に顔を寄せると、手袋越しにそっと彼女の指に唇を寄せた。
その瞬間、ベルティーユの顔が火照る。
「御父君にはできるだけ早く報告しよう。今日はこちらに戻られないのかな?」
「父は母と一緒に明後日には領地から戻ってくる予定だ。伯父から、陛下の結婚相手がロザージュ王国王女に決まったとの知らせを受けただろうから、もしかしたら馬車を飛ばして明日中に着くかもしれないが」
ロザージュ王国王女がアントワーヌ五世の結婚相手として名が上がったことは、宰相より秘密裏にカルサティ侯爵家には知らされていた。
正式に決定するまではベルティーユに告げなかっただけで、侯爵夫妻もあるていど覚悟は決めていた。
「では、明日、改めて伺うことにしよう。それとベルティーユ」
まだ指への接吻の衝撃で固まっているベルティーユに、オリヴィエールは告げた。
「陛下の愛妾になりたいという計画は、御父君たちには黙っておいた方が賢明だと思うよ。陛下のために働きたいという君の気持ちを政治的に利用しようとする人が現れないとも限らないしね。例えば――」
一呼吸置いて、オリヴィエールは続けた。
「宰相殿とか、ね」
「伯父様ならありえるわ。とっても野心家ですもの」
充分納得できる理由だったので、ベルティーユは大きく頷いた。
シルヴェストルもその点については同意を示した。
ベルティーユは生まれてすぐにアントワーヌ五世の花嫁候補に名が上がった。
当時は王太子だったアントワーヌ五世と年齢が近く、家柄は申し分なし。伯父である宰相には娘がおらず、彼はベルティーユを自分の養女に貰い受けたいとまで言ったほどだ。さすがに養子縁組みの話は両親がはっきりと断ったが、ベルティーユは十年以上の間アントワーヌ五世の妃候補と言われ続けていた。
言われ続けながら婚約が成立しなかったのは、いくつかの妨害があったためだ。
宰相の権力が増すことを恐れた政敵が、アントワーヌ五世とベルティーユの婚約を阻止し続けた。
そして、ロザージュ王国との戦後の和睦を理由に、ベルティーユはかけられていた梯子を突然外される形となった。
宰相の政敵の中には前ダンビエール公爵、つまりオリヴィエールの祖父の名もあった。
前ダンビエール公爵はアントワーヌ五世が他国の王女を娶ることについては反対していたが、カルサティ侯爵令嬢以上の妃候補を見つけることができずにいた。
結果として、今日までアントワーヌ五世には婚約者がおらず、王位継承順位は弟ふたりと叔父三人という状態で、宮廷内の勢力図はほどよく分散されてはいた。
「わたし、陛下の愛妾を目指すことは秘密にしておくわ。お兄様も、口外しては駄目よ」
「絶対に言わない」
多分、誰かに話したところで世間知らずの令嬢の世迷い言だと笑われるだけだろう。
(さて、どうやってベルに愛妾について説明するべきかな)
シルヴェストルは、部屋の隅の衝立の真横に気配を消して立つ侍女を横目で見た。
ベルティーユの侍女のミネットだ。
(愛妾がなにかも知らずに……)
さすがは賢くても深窓の令嬢、とシルヴェストルは頭を抱えた。
かといって、兄として愛妾の役目を事細かく説明する気は起きなかった。
ベルティーユが『愛妾』という存在を知っているのは、歴史書を読み込んでいるからだ。
ところが歴史書には、愛妾が王にどのような政治的影響を与えたかは記していても、実際にどのような存在であるかは記していない。
現カルサティ侯爵夫妻は仲が良く、どちらも夫や妻以外の恋人がいないため、愛人や妾という存在がベルティーユの辞書には存在していないのだ。彼女は兄のように恋愛小説を読まないため、愛妾について詳しく知り得ないというのもある。
「愛妾についてざっくり説明すると、政務でお疲れの陛下をお慰めする役目ってところかな」
ベルティーユの手を握ったままのオリヴィエールは、薄く微笑みを浮かべたまま、かなり曖昧な説明をした。
その説明に間違ってはいないが、あまりにも大まかすぎる。
案の定ベルティーユは「それは王妃様の次に大事なお役目ね」とわかったようなわかっていないような返事をしている。
「僕は、敬愛する陛下のために王妃様とは違った形で役に立ちたいという君を応援するよ」
まるでベルティーユの一番の理解者であるような顔をして、オリヴィエールはベルティーユに迫った。
「だから、僕と結婚してくれないか」
「応援してくれるの? 嬉しいわ!」
満面の笑みを浮かべて、ベルティーユは声を弾ませる。
オリヴィエールは掴んだベルティーユの手に顔を寄せると、手袋越しにそっと彼女の指に唇を寄せた。
その瞬間、ベルティーユの顔が火照る。
「御父君にはできるだけ早く報告しよう。今日はこちらに戻られないのかな?」
「父は母と一緒に明後日には領地から戻ってくる予定だ。伯父から、陛下の結婚相手がロザージュ王国王女に決まったとの知らせを受けただろうから、もしかしたら馬車を飛ばして明日中に着くかもしれないが」
ロザージュ王国王女がアントワーヌ五世の結婚相手として名が上がったことは、宰相より秘密裏にカルサティ侯爵家には知らされていた。
正式に決定するまではベルティーユに告げなかっただけで、侯爵夫妻もあるていど覚悟は決めていた。
「では、明日、改めて伺うことにしよう。それとベルティーユ」
まだ指への接吻の衝撃で固まっているベルティーユに、オリヴィエールは告げた。
「陛下の愛妾になりたいという計画は、御父君たちには黙っておいた方が賢明だと思うよ。陛下のために働きたいという君の気持ちを政治的に利用しようとする人が現れないとも限らないしね。例えば――」
一呼吸置いて、オリヴィエールは続けた。
「宰相殿とか、ね」
「伯父様ならありえるわ。とっても野心家ですもの」
充分納得できる理由だったので、ベルティーユは大きく頷いた。
シルヴェストルもその点については同意を示した。
ベルティーユは生まれてすぐにアントワーヌ五世の花嫁候補に名が上がった。
当時は王太子だったアントワーヌ五世と年齢が近く、家柄は申し分なし。伯父である宰相には娘がおらず、彼はベルティーユを自分の養女に貰い受けたいとまで言ったほどだ。さすがに養子縁組みの話は両親がはっきりと断ったが、ベルティーユは十年以上の間アントワーヌ五世の妃候補と言われ続けていた。
言われ続けながら婚約が成立しなかったのは、いくつかの妨害があったためだ。
宰相の権力が増すことを恐れた政敵が、アントワーヌ五世とベルティーユの婚約を阻止し続けた。
そして、ロザージュ王国との戦後の和睦を理由に、ベルティーユはかけられていた梯子を突然外される形となった。
宰相の政敵の中には前ダンビエール公爵、つまりオリヴィエールの祖父の名もあった。
前ダンビエール公爵はアントワーヌ五世が他国の王女を娶ることについては反対していたが、カルサティ侯爵令嬢以上の妃候補を見つけることができずにいた。
結果として、今日までアントワーヌ五世には婚約者がおらず、王位継承順位は弟ふたりと叔父三人という状態で、宮廷内の勢力図はほどよく分散されてはいた。
「わたし、陛下の愛妾を目指すことは秘密にしておくわ。お兄様も、口外しては駄目よ」
「絶対に言わない」
多分、誰かに話したところで世間知らずの令嬢の世迷い言だと笑われるだけだろう。
(さて、どうやってベルに愛妾について説明するべきかな)
シルヴェストルは、部屋の隅の衝立の真横に気配を消して立つ侍女を横目で見た。
ベルティーユの侍女のミネットだ。
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