11 / 73
第三章 ダンビエール公爵邸
2 公爵邸の使用人たち
しおりを挟む
ダンビエール公爵邸の正面玄関でベルティーユが馬車から降りるのと、玄関の重い樫の扉が開くのは同時だった。
「いらっしゃいませ」
壮年の家令らしき灰色の髪の男は、ベルティーユに近づくと恭しく頭を下げた。
「カルサティ侯爵家の御令嬢ベルティーユ様ですね」
痩身の家令は馬車の装飾である家紋をちらりと見ると、まるで訪問を最初から知っていたような顔で出迎えた。
「え、えぇ」
第一印象を良くしようと、できるだけベルティーユは笑顔を作ったが、緊張のあまりかなり引き攣ってしまった。
しかし、家令は柔和な表情を崩さず「ようこそおいでくださいませした」と挨拶をする。
「シルヴェストル様、お久しぶりでございます」
ベルティーユに続いて下りてきたシルヴェストルにも、家令は深々と挨拶をした。
「久しぶりだね、モーリス。公爵はご在宅かな」
「申し訳ございません。ただいま不在にしておりますが、まもなく戻る予定になっております。よろしければ、どうぞ中でお待ちください」
「ありがとう。そうさせてもらうよ」
なんども訪ねている気安さでシルヴェストルは家令に促されるまま玄関の扉を潜ったが、ベルティーユは緊張で足がなかなか動かなかった。
なんといっても、いずれは嫁ぐ公爵邸だ。
(もっとお洒落な訪問着にするべきだったかしら。普段、家でオリヴィエールに会うときと同じ感覚で服を選んでしまったけれど、よく考えたら初めての公爵家訪問じゃないの!)
王宮を訪ねる際は服装も選びに選んだものを着るし、公園を散歩する際も王妃候補にふさわしい服を心懸けてきた。
なのに、今日に限って紺と白の縞模様の外出着という普通の格好をしてきてしまった。
帽子も藍色のリボンに薄紅色の薔薇の造花が二輪だけ飾ってある地味な物だ。
ダンビエール公爵邸を訪ねるというのは、兄が友人宅を訪ねるのに気軽についていくというものではなく、婚約者宅を訪ねるということなのに――。
「ようこそ」
玄関広間に入るなり、両側に並んでいた使用人たちに出迎えられた。
「――!」
訪問を知らせていなかったにもかかわらずの盛大な出迎えに、ベルティーユは驚いた。
「私は勝手に図書室に入らせてもらうよ。モーリス、妹の相手を頼めるかな」
シルヴェストルは手にした本を家令に見せながら訊ねる。
「はい、喜んで」
「じゃ、よろしく。ベル、お前は居間でお茶でも御馳走になってなさい。ついでに、モーリスからいろいろと話をきいておくと良いよ」
ひらひらと片手を振って、シルヴェストルは勝手にひとりで屋敷の大階段を上がっていく。
「え?」
「お嬢様、こちらへどうぞ」
「あ、はい」
家令に促されるまま、ベルティーユは居間へと向かった。
壮麗な家具、調度品、絵画に囲まれた居間は、入った瞬間に圧倒されるほど立派なものだった。
案内された長椅子に座ると、すぐさま女中が菓子と紅茶を運んでくる。
長机に並べられた菓子の量は、シルヴェストルとふたりでも食べきれるものではない。
「私めは、このお屋敷で家令を務めておりますモーリスと申します。どうぞ、お見知りおきくださいませ」
「よ、よろしく、モーリスさん」
「モーリスと呼んでくださいませ、お嬢様」
掃除が行き届いた広い居間でぽつんと座ると、初めて訪問した屋敷ということもあって、落ち着かない。
「えっと、では、モーリスはこのお屋敷で仕事をするようになって長いの?」
兄と一緒にダンビエール公爵邸を訪問した目的を思い出し、ベルティーユは恐る恐る尋ねた。
「二十五年ほどになります。現在の旦那様がお生まれになる前から、こちらにおります」
「まぁ、そうなの」
「このお屋敷で産声を上げられた旦那様がご結婚されると聞き、使用人一同大変喜んでおります」
「それは、オリ……公爵が話したの?」
せっかく出してくれたのだからと焼き菓子に手をのばしながら、ベルティーユは家令に視線を向けた。
彼は感情の籠もらない顔をしているが、声だけは弾んでいる。
「はい。このお屋敷で新しい奥様をお迎えできることを知り、使用人たちは皆、毎日仕事の励みにしております。お嬢様がわざわざこちらにいらしてくださったと知り、皆、お嬢様をひと目拝見したくあのような出迎えになってしまいました。驚かれたのであれば、申し訳ございません」
「いいえ、わたしこそ、突然来てしまってごめんなさい」
「とんでもございません。いつお嬢様が訪ねていらしても粗相なく出迎えられるようにしておりましたので」
突然の訪問にもかかわらず、歓迎してくれていることは間違いないようだ。
「ところで、モーリスにちょっと訊きたいことがあるのだけれど」
「どのようなことでしょうか」
「公爵ってどんな花が好き? 好きな色はある? 趣味はなにかしら?」
矢継ぎ早にベルティーユが訊ねると、家令は少々面食らった顔になった。
「旦那様の好きな花、ですか」
「その……贈り物のお返しをしたいの。でもわたし、公爵の好みをまだよく知らなくて……」
恥ずかしそうにベルティーユが顔を伏せると、背後から若い娘の声が飛んできた。
「旦那様は百合の花がお好きです。あと、蘭も!」
「でも、お庭ではお嬢様がお好きだという薔薇もたくさん育てています! 庭師たちが毎日頑張って世話をしておりますから、お嬢様が奥様になられましたらお屋敷中のお部屋に薔薇を生けますわ!」
「旦那様が好きな色は紺色です! お嬢様の瞳の色と同じですから!」
「旦那様の趣味は釣りです! 狩りはあまりお好きではないのですが、前の旦那様が特訓されましたので狩りもお上手です!」
なぜか三人の女中が並んで力説している。
「げほっ」
家令がわざとらしい咳払いをすると、女中三人は飛び上がるようにして居間からそそくさと出て行った。
「大変失礼いたしました、お嬢様」
「い、いえ……」
ダンビエール公爵家の使用人たちは、オリヴィエールを大切にしているらしい。
「旦那様のことであれば、いつでも私めにお尋ねください」
「あ、ありがとう」
協力的すぎる使用人たちの態度に、ベルティーユは戸惑いを感じた。
(わたし、このお屋敷でやっていけるのかしら)
「いらっしゃいませ」
壮年の家令らしき灰色の髪の男は、ベルティーユに近づくと恭しく頭を下げた。
「カルサティ侯爵家の御令嬢ベルティーユ様ですね」
痩身の家令は馬車の装飾である家紋をちらりと見ると、まるで訪問を最初から知っていたような顔で出迎えた。
「え、えぇ」
第一印象を良くしようと、できるだけベルティーユは笑顔を作ったが、緊張のあまりかなり引き攣ってしまった。
しかし、家令は柔和な表情を崩さず「ようこそおいでくださいませした」と挨拶をする。
「シルヴェストル様、お久しぶりでございます」
ベルティーユに続いて下りてきたシルヴェストルにも、家令は深々と挨拶をした。
「久しぶりだね、モーリス。公爵はご在宅かな」
「申し訳ございません。ただいま不在にしておりますが、まもなく戻る予定になっております。よろしければ、どうぞ中でお待ちください」
「ありがとう。そうさせてもらうよ」
なんども訪ねている気安さでシルヴェストルは家令に促されるまま玄関の扉を潜ったが、ベルティーユは緊張で足がなかなか動かなかった。
なんといっても、いずれは嫁ぐ公爵邸だ。
(もっとお洒落な訪問着にするべきだったかしら。普段、家でオリヴィエールに会うときと同じ感覚で服を選んでしまったけれど、よく考えたら初めての公爵家訪問じゃないの!)
王宮を訪ねる際は服装も選びに選んだものを着るし、公園を散歩する際も王妃候補にふさわしい服を心懸けてきた。
なのに、今日に限って紺と白の縞模様の外出着という普通の格好をしてきてしまった。
帽子も藍色のリボンに薄紅色の薔薇の造花が二輪だけ飾ってある地味な物だ。
ダンビエール公爵邸を訪ねるというのは、兄が友人宅を訪ねるのに気軽についていくというものではなく、婚約者宅を訪ねるということなのに――。
「ようこそ」
玄関広間に入るなり、両側に並んでいた使用人たちに出迎えられた。
「――!」
訪問を知らせていなかったにもかかわらずの盛大な出迎えに、ベルティーユは驚いた。
「私は勝手に図書室に入らせてもらうよ。モーリス、妹の相手を頼めるかな」
シルヴェストルは手にした本を家令に見せながら訊ねる。
「はい、喜んで」
「じゃ、よろしく。ベル、お前は居間でお茶でも御馳走になってなさい。ついでに、モーリスからいろいろと話をきいておくと良いよ」
ひらひらと片手を振って、シルヴェストルは勝手にひとりで屋敷の大階段を上がっていく。
「え?」
「お嬢様、こちらへどうぞ」
「あ、はい」
家令に促されるまま、ベルティーユは居間へと向かった。
壮麗な家具、調度品、絵画に囲まれた居間は、入った瞬間に圧倒されるほど立派なものだった。
案内された長椅子に座ると、すぐさま女中が菓子と紅茶を運んでくる。
長机に並べられた菓子の量は、シルヴェストルとふたりでも食べきれるものではない。
「私めは、このお屋敷で家令を務めておりますモーリスと申します。どうぞ、お見知りおきくださいませ」
「よ、よろしく、モーリスさん」
「モーリスと呼んでくださいませ、お嬢様」
掃除が行き届いた広い居間でぽつんと座ると、初めて訪問した屋敷ということもあって、落ち着かない。
「えっと、では、モーリスはこのお屋敷で仕事をするようになって長いの?」
兄と一緒にダンビエール公爵邸を訪問した目的を思い出し、ベルティーユは恐る恐る尋ねた。
「二十五年ほどになります。現在の旦那様がお生まれになる前から、こちらにおります」
「まぁ、そうなの」
「このお屋敷で産声を上げられた旦那様がご結婚されると聞き、使用人一同大変喜んでおります」
「それは、オリ……公爵が話したの?」
せっかく出してくれたのだからと焼き菓子に手をのばしながら、ベルティーユは家令に視線を向けた。
彼は感情の籠もらない顔をしているが、声だけは弾んでいる。
「はい。このお屋敷で新しい奥様をお迎えできることを知り、使用人たちは皆、毎日仕事の励みにしております。お嬢様がわざわざこちらにいらしてくださったと知り、皆、お嬢様をひと目拝見したくあのような出迎えになってしまいました。驚かれたのであれば、申し訳ございません」
「いいえ、わたしこそ、突然来てしまってごめんなさい」
「とんでもございません。いつお嬢様が訪ねていらしても粗相なく出迎えられるようにしておりましたので」
突然の訪問にもかかわらず、歓迎してくれていることは間違いないようだ。
「ところで、モーリスにちょっと訊きたいことがあるのだけれど」
「どのようなことでしょうか」
「公爵ってどんな花が好き? 好きな色はある? 趣味はなにかしら?」
矢継ぎ早にベルティーユが訊ねると、家令は少々面食らった顔になった。
「旦那様の好きな花、ですか」
「その……贈り物のお返しをしたいの。でもわたし、公爵の好みをまだよく知らなくて……」
恥ずかしそうにベルティーユが顔を伏せると、背後から若い娘の声が飛んできた。
「旦那様は百合の花がお好きです。あと、蘭も!」
「でも、お庭ではお嬢様がお好きだという薔薇もたくさん育てています! 庭師たちが毎日頑張って世話をしておりますから、お嬢様が奥様になられましたらお屋敷中のお部屋に薔薇を生けますわ!」
「旦那様が好きな色は紺色です! お嬢様の瞳の色と同じですから!」
「旦那様の趣味は釣りです! 狩りはあまりお好きではないのですが、前の旦那様が特訓されましたので狩りもお上手です!」
なぜか三人の女中が並んで力説している。
「げほっ」
家令がわざとらしい咳払いをすると、女中三人は飛び上がるようにして居間からそそくさと出て行った。
「大変失礼いたしました、お嬢様」
「い、いえ……」
ダンビエール公爵家の使用人たちは、オリヴィエールを大切にしているらしい。
「旦那様のことであれば、いつでも私めにお尋ねください」
「あ、ありがとう」
協力的すぎる使用人たちの態度に、ベルティーユは戸惑いを感じた。
(わたし、このお屋敷でやっていけるのかしら)
0
あなたにおすすめの小説
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!
花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」
婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。
追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。
しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。
夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。
けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。
「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」
フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。
しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!?
「離縁する気か? 許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」
凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。
孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス!
※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。
【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる