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第三章 ダンビエール公爵邸

1 侯爵令嬢の悩み

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 アントワーヌ五世妃を目指していたベルティーユは、ほんの数日前までダンビエール公爵を兄の親友としか見ていなかった。
 カルサティ侯爵邸を訪れる際は菓子や花を手土産に持ってきてはベルティーユに渡してくれていたが、『いつも贈り物をくれる優しい兄の友人』としてしか見ていなかった。
 なので、彼の好みなどはこれまで一切気にしたことがなかった。

「ねぇ、お兄様。オリヴィエールが好きな花ってなにかしら」

 アレクサンドリーネが帰った後、ベルティーユは兄の部屋に乗り込んだ。

「知るか」

 長椅子に寝転がって気持ち良く惰眠を貪っていたシルヴェストルは、唐突に叩き起こされ不機嫌になった。
 カルサティ侯爵である父が不在の間は、侯爵代理として王宮に顔を出したり、宰相である伯父の仕事を手伝ったりしていたが、父が王都に戻ってきた途端に暇になったのだ。
 妹が王妃候補でなくなったことを友人知人からあれこれ聞かれるのがわずらわしいと言って、以来シルヴェストルは屋敷にほとんど引き籠もっている。
 もともと出不精なのだ。

「本人に聞けよ」

 かなり面倒臭そうにシルヴェストルは答えた。

「そうはいかないわ。贈り物をするときは本人に聞かずに調べて、一番喜んでくれそうな物を贈るのが楽しいじゃないの」
「お前からだったら、なにを贈っても喜ぶさ」
「アレクサンドリーネもそう言って投げ出すのよね。わたしは真剣に相談してるのに」

 ベルティーユが顔を顰めてため息を漏らすと、シルヴェストルはしぶしぶ長椅子の上で身体を起こした。

「オリヴィエールって、お兄様以外にお友だちはいないのかしら?」
「どういう意味だ」
「お兄様がご存じないなら、他のお友だちに聞いてみようかと思って」
「――いないな」

 顎に手を当てて天井に視線を向けたシルヴェストルは、しばらく考えてから答えた。

「お兄様には、オリヴィエール以外にお友だちはいないの?」
「知り合い以上、友人未満ならごまんといる。私は浅く広い付き合いが得意なんだ」
「お兄様らしいわね」

 納得してみたものの、ベルティーユにとってはまったく状況が進展していない。

「ベル。オリヴィエールにちょっとは興味を持ったのか?」
「興味というか、よく考えるとわたしは彼のことをほとんど知らないから、どんな贈り物を選ぶべきかもまったくわからないの」

 さすがに宰相の秘書に、ダンビエール公爵の好みを調べて欲しいと頼むわけにもいかない。

「ミネットが、ダンビエール公爵邸に行って聞き込みをしてくれると言ってるのだけど、さすがにそれはどうかと思うの」
「聞き込みをするなら、ミネットを行かせずに自分で行けばいいだろ」
「わたしが?」
「公爵邸の執事や従僕たちとは顔見知りだから、ついていってやるよ。ちょうどオリヴィエールに借りていた本を返そうと思ってたところだしな」
「ダンビエール公爵家にある本を、お兄様が読むの?」
「恋愛小説の古典があの屋敷の図書室にあったんだ。王立図書館にもないような稀少本なんだぞ」

 シルヴェストルは脇机の上に置いてあった本を手に取ると、熟読した本について熱く語りだした。
 それを話半分に聞き流しながら、借りていた本を読み終えたから新しい本を借りに行きたいだけなのだな、とベルティーユは判断した。

     *

 ダンビエール公爵邸は、王都エテルネルの中でも王宮に近い高級住宅街の中でも特に一等地に建っている。
 カルサティ侯爵邸からは馬車でそうかからない距離だが、屋敷の周囲の立派な鉄柵からして洒落ている。鉄柵には薔薇の枝葉が絡みついており、その刺が不法侵入者を威嚇する。
 正門から入った馬車は、さらに邸宅までの砂利道を走る。
 道の両脇には大きく生い茂った木々が植えられている。

「立派なお屋敷ねぇ」
「ベルはダンビエール公爵邸は初めてだったか?」
「初めてよ」

 前ダンビエール公爵のサン聖堂でおこなわれた葬儀には出席したが、シルヴェストルのように屋敷を訪ねたことはない。
 訪ねる用事もなかった。
 カルサティ侯爵邸は古い造りで、屋敷も庭もそう広くない。
 庭師は老齢の男とその孫のふたりだけなので、あまり手入れが行き届いていない。
 先日、オリヴィエールが持ってきてくれた薔薇の花束はダンビエール公爵邸に咲く薔薇だと聞いたが、馬車から見える範囲には薔薇園はない。
 中庭辺りにあるのかもしれないが、この屋敷の奥行きがどれほどなのかも想像ができない。

「いずれはここの奥様だぞ」
「……やっていけるかしら」

 屋敷の大きさに圧倒されたベルティーユは、珍しく弱音を吐いた。

「屋敷は王宮よりもかなり小さいし、使用人だってかなり少ないんだから大丈夫だろ」
「王宮と比べればそうでしょうけど」

 王宮で妃をするとなれば、宰相である伯父の支えがあるとわかっていたのでそれほど不安はなかった。
 だが、ダンビエール公爵家にはひとりで嫁がなければならない。
 侍女のミネットは連れていけるだろうが、他に頼れる者はいない。

(わたし、本当にオリヴィエールと結婚してもいいのかしら)

 胸の中に浮かんだ不安は、馬車が正面玄関前の車止めで停車しても消えなかった。
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