13 / 73
第三章 ダンビエール公爵邸
4 約束と秘密の贈り物
しおりを挟む
濃厚な茉莉花の白い花が香る煉瓦造りの小さな門をくぐると、その奥は薔薇園になっていた。
赤、深紅、薄紅色、黄色、白といった様々な色の薔薇がそこには咲いていた。
周囲は整然と刈り込まれた柘植の木が生け垣になっている。
ふたり以外に人の気配はなく、木々の枝葉が揺れる音や鳥の鳴き声だけが響いていた。
屋敷の外の通りの喧騒もここまでは聞こえてこない。
なにものにも邪魔されず、薔薇だけがこの世界に咲いている花のように、美しく咲き誇っている庭園だ。
「まぁ……きれい……」
一重の薔薇、八重咲きなど、種類も多い。
丁寧に手入れされていることがわかる薔薇園だった。
蜂がときおり羽音を立てて飛んでいるが、数は少ない。
午後の涼しい風がゆるやかに吹き、ベルティーユの肌や髪を撫でた。
陽射しも優しく、帽子をかぶって散歩するにはちょうど良い気候だ。
「君が一番きれいだよ」
「あら、お上手ね」
「本当だよ。どんな薔薇よりも、君は美しい」
「あなたでもお世辞を言うことなんてあるのね」
照れ隠しでベルティーユが言うと、オリヴィエールはすぐそばで咲いていた白い薔薇を摘んだ。
刺は庭師たちが取り除いているのか、見当たらない。
「君はもっときれいになる。いずれ、僕はこの王国で一番美しい薔薇を手折った男になるわけだ」
オリヴィエールは手元の白薔薇に口づけながら微笑んだ。
そして、ベルティーユがなにか言おうと口を開き掛けたところに、その白薔薇を唇に押しつけた。
「……っ」
薔薇の芳しい香りよりも、オリヴィエールと間接的に口づけたことを意識してしまい、ベルティーユは一瞬で顔に血がのぼるのを感じた。
「そういえば、今日はシルヴェストルの用事に付き合ってきただけ?」
「え? ちょっと下調べというか、内偵……いえ、シルヴェストルにくっついてきただけよ!」
「ふうん」
ベルティーユの唇が触れた薔薇に改めて口づけたオリヴィエールは、薔薇を上着の胸ポケットに挿した。
「じ、実は、オリヴィエールに贈り物をするのに、なにが良いかしらと思って考えてみたのだけど、わたしったらあなたの好きな物とか色とか趣味とかまったく知らないことに気付いて、それで聞き込みをしようと思って……」
顔が火照るのは西日のせい、と自分に言い聞かせながら、ベルティーユは仕方なく本当のことを話した。
「それは――嬉しいな」
ゆっくりと噛み締めるようにオリヴィエールは呟く。
「君がくれるなら本当になんでもいいのだけど、もし希望を聞いてもらえるなら」
「欲しい物があるの? ぜひ聞きたいわ」
「君の口づけが欲しいな」
「――――――結婚するまで待って!」
ベルティーユの鼓動は急に早くなり、声も上擦った。
急に言われても、すぐにできるものではない。
「うん。わかった。じゃあ、予約ということで」
物わかりのいい顔をして、オリヴィエールはベルティーユの肩を掴んだ。
「約束だよ」
優しい手つきで前髪に触れられたかと思うと、温かい唇が額に当たった。
「――――――――――っ!」
「うん。でも、やっぱり結婚するまで待つのはちょっと厳しいかな」
するりとベルティーユを腕の中に閉じ込めると、オリヴィエールはベルティーユの頬を指の背で撫でる。そのまま指を滑らせると、指先で顎をすくう。
そのまま、オリヴィエールの顔がふいに近づいてきたかと思うと、唇を塞がれた。
「んっ」
相手の唇の熱を感じたと思った瞬間、呼吸が止まった。
そのまま息ができなくなり、窒息死するかと思った。
「息をして大丈夫だよ」
唇が離れると、オリヴィエールはベルティーユの反応を興味深そうに見つめながら告げた。
「オリヴィエール!」
真っ赤になってベルティーユが抗議すると、ようやく相手は腕を解いた。
心臓の鼓動が跳ね上がり、足が震え、立っているのがやっとだった。
「正式に婚約したら、君からして欲しいな」
「えぇ!?」
口をぱくぱくさせて言葉を失っているベルティーユに、オリヴィエールは微笑んだ。
(オリヴィエールって、こんな人だった!?)
頭の芯まで沸騰してきたベルティーユは、目眩と頭痛で座り込んでしまった。
*
ダンビエール公爵邸からの帰りの馬車の中で、ベルティーユは無言だった。
シルヴェストルは借りてきた本を薄暗い車内の中で読みふけっていたので、話をする必要がなかったのが幸いだった。
馬車に揺られながら窓の外を眺めていると、近くの公園を散歩する男女が数組視界に入った。
皆、腕を組んで睦まじく歩いている。
(いずれわたしもオリヴィエールとあんな風に歩くようになるのかしら)
いまのところ、想像するだけで恥ずかしさのあまり身悶えしそうになる。
「――どうかしたのか?」
妹がやたらと険しい表情で外を睨んでいることに気付いたシルヴェストルが、本に栞を挟みながら訊ねる。
「ど、どうもしないわ」
「そうか。ならいいが」
素っ気なく答えた兄は、それでも本を開き直すわけではなく、ベルティーユを観察し続けた。
「贈り物は決まったのか?」
「え? え、えぇ! そうね! まだ考え中よ! 殿方に贈り物をするのって、とても難しいわ!」
まさか兄に、相手から口づけが欲しいとせがまれたと言えるわけがない。
甲高い声でベルティーユが誤魔化すと、シルヴェストルは訝しそうな顔をした。
「そう難しく考えることはないと思うぞ。あいつは、お前から贈られた物ならなんでも喜ぶだろうから」
「そ、そうね!」
こくこくと頷きながら、なんとかオリヴィエールとの口づけをいったん記憶の中で封印しようと努めた。
赤、深紅、薄紅色、黄色、白といった様々な色の薔薇がそこには咲いていた。
周囲は整然と刈り込まれた柘植の木が生け垣になっている。
ふたり以外に人の気配はなく、木々の枝葉が揺れる音や鳥の鳴き声だけが響いていた。
屋敷の外の通りの喧騒もここまでは聞こえてこない。
なにものにも邪魔されず、薔薇だけがこの世界に咲いている花のように、美しく咲き誇っている庭園だ。
「まぁ……きれい……」
一重の薔薇、八重咲きなど、種類も多い。
丁寧に手入れされていることがわかる薔薇園だった。
蜂がときおり羽音を立てて飛んでいるが、数は少ない。
午後の涼しい風がゆるやかに吹き、ベルティーユの肌や髪を撫でた。
陽射しも優しく、帽子をかぶって散歩するにはちょうど良い気候だ。
「君が一番きれいだよ」
「あら、お上手ね」
「本当だよ。どんな薔薇よりも、君は美しい」
「あなたでもお世辞を言うことなんてあるのね」
照れ隠しでベルティーユが言うと、オリヴィエールはすぐそばで咲いていた白い薔薇を摘んだ。
刺は庭師たちが取り除いているのか、見当たらない。
「君はもっときれいになる。いずれ、僕はこの王国で一番美しい薔薇を手折った男になるわけだ」
オリヴィエールは手元の白薔薇に口づけながら微笑んだ。
そして、ベルティーユがなにか言おうと口を開き掛けたところに、その白薔薇を唇に押しつけた。
「……っ」
薔薇の芳しい香りよりも、オリヴィエールと間接的に口づけたことを意識してしまい、ベルティーユは一瞬で顔に血がのぼるのを感じた。
「そういえば、今日はシルヴェストルの用事に付き合ってきただけ?」
「え? ちょっと下調べというか、内偵……いえ、シルヴェストルにくっついてきただけよ!」
「ふうん」
ベルティーユの唇が触れた薔薇に改めて口づけたオリヴィエールは、薔薇を上着の胸ポケットに挿した。
「じ、実は、オリヴィエールに贈り物をするのに、なにが良いかしらと思って考えてみたのだけど、わたしったらあなたの好きな物とか色とか趣味とかまったく知らないことに気付いて、それで聞き込みをしようと思って……」
顔が火照るのは西日のせい、と自分に言い聞かせながら、ベルティーユは仕方なく本当のことを話した。
「それは――嬉しいな」
ゆっくりと噛み締めるようにオリヴィエールは呟く。
「君がくれるなら本当になんでもいいのだけど、もし希望を聞いてもらえるなら」
「欲しい物があるの? ぜひ聞きたいわ」
「君の口づけが欲しいな」
「――――――結婚するまで待って!」
ベルティーユの鼓動は急に早くなり、声も上擦った。
急に言われても、すぐにできるものではない。
「うん。わかった。じゃあ、予約ということで」
物わかりのいい顔をして、オリヴィエールはベルティーユの肩を掴んだ。
「約束だよ」
優しい手つきで前髪に触れられたかと思うと、温かい唇が額に当たった。
「――――――――――っ!」
「うん。でも、やっぱり結婚するまで待つのはちょっと厳しいかな」
するりとベルティーユを腕の中に閉じ込めると、オリヴィエールはベルティーユの頬を指の背で撫でる。そのまま指を滑らせると、指先で顎をすくう。
そのまま、オリヴィエールの顔がふいに近づいてきたかと思うと、唇を塞がれた。
「んっ」
相手の唇の熱を感じたと思った瞬間、呼吸が止まった。
そのまま息ができなくなり、窒息死するかと思った。
「息をして大丈夫だよ」
唇が離れると、オリヴィエールはベルティーユの反応を興味深そうに見つめながら告げた。
「オリヴィエール!」
真っ赤になってベルティーユが抗議すると、ようやく相手は腕を解いた。
心臓の鼓動が跳ね上がり、足が震え、立っているのがやっとだった。
「正式に婚約したら、君からして欲しいな」
「えぇ!?」
口をぱくぱくさせて言葉を失っているベルティーユに、オリヴィエールは微笑んだ。
(オリヴィエールって、こんな人だった!?)
頭の芯まで沸騰してきたベルティーユは、目眩と頭痛で座り込んでしまった。
*
ダンビエール公爵邸からの帰りの馬車の中で、ベルティーユは無言だった。
シルヴェストルは借りてきた本を薄暗い車内の中で読みふけっていたので、話をする必要がなかったのが幸いだった。
馬車に揺られながら窓の外を眺めていると、近くの公園を散歩する男女が数組視界に入った。
皆、腕を組んで睦まじく歩いている。
(いずれわたしもオリヴィエールとあんな風に歩くようになるのかしら)
いまのところ、想像するだけで恥ずかしさのあまり身悶えしそうになる。
「――どうかしたのか?」
妹がやたらと険しい表情で外を睨んでいることに気付いたシルヴェストルが、本に栞を挟みながら訊ねる。
「ど、どうもしないわ」
「そうか。ならいいが」
素っ気なく答えた兄は、それでも本を開き直すわけではなく、ベルティーユを観察し続けた。
「贈り物は決まったのか?」
「え? え、えぇ! そうね! まだ考え中よ! 殿方に贈り物をするのって、とても難しいわ!」
まさか兄に、相手から口づけが欲しいとせがまれたと言えるわけがない。
甲高い声でベルティーユが誤魔化すと、シルヴェストルは訝しそうな顔をした。
「そう難しく考えることはないと思うぞ。あいつは、お前から贈られた物ならなんでも喜ぶだろうから」
「そ、そうね!」
こくこくと頷きながら、なんとかオリヴィエールとの口づけをいったん記憶の中で封印しようと努めた。
0
あなたにおすすめの小説
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!
花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」
婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。
追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。
しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。
夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。
けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。
「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」
フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。
しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!?
「離縁する気か? 許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」
凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。
孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス!
※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。
【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる