公爵夫人は国王陛下の愛妾を目指す

友鳥ことり

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第五章 新婚旅行

4 旅籠

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 日没後、辺りが暗闇に包まれた頃になって、一日目の宿がある町に馬車は辿り着いた。
 宿場町と呼ぶほど大きな町ではないが、はたが幾つかあり、その中でも一番大きな旅籠でダンビエール公爵一行は泊まることになった。
 新月ではないが、雲で月や星が隠れ、松明たいまつろうそくの灯りがなければ足元も見えないほどの暗さだ。
 旅籠の主人は夜遅くに到着した公爵一行を笑顔で出迎えた。

「ようこそおいでくださいました。日が落ちるとすっかり外は寒くなってしまいますので、さぞお身体が冷えてしまわれたことでしょう。ただいまお部屋を温めておりますので、支度が調うまでこちらの広間のだんの前でお待ちいただけますか」

 壮年のふくよかな体格の主人は、オリヴィエールとベルティーユを広間へ案内した。
 家令とミネットは宿の使用人たちが馬車から荷物を下ろして部屋まで運ぶ作業を細かく指示し、大量の鞄をひとつずつ賓客と同じく大玄関の中央階段を通って運ばれた。
 ペランは先に夫妻が泊まる部屋を確認するため、使用人たちと一緒に階段を上っていった。
 ディスはベルティーユに続いて広間へ入ってきた。
 暖炉の前には夫妻がくつろげるようにと長椅子が用意されていた。

「まずはお茶でもお召し上がりください」

 女将が温かい紅茶と軽食を運んできた。

「ディス、さきほどはごめんなさいね」

 オリヴィエールが宿の主人と話している隙を見計らって、ベルティーユはディスをそばまで手招きすると小声で謝った。

「いえ、俺の方が軽率でした」

 ディスはベルティーユにだけ聞こえるよう、耳元で囁く。

「わたし、市場は見たことがないから、とても見てみたかったの」
「賑やかで面白い場所ではありますが、公爵様がおっしゃるとおり、公爵夫人にふさわしい場所ではありませんでした」
「――残念だわ」

 苦笑いを浮かべ、ベルティーユは紅茶に手を伸ばした。

(公爵夫人は、思っていたよりも窮屈だわ)

 貴族だからといって市場を覗く行為が品位を落とすわけではない。
 市井の暮らしぶりを知るのは良いことだし、お忍びで市場に出掛ける貴族だっているだろう。
 貴族たちが利用する高級雑貨店では売られていないような物が並んでいるだろうし、食べたことがないような食べ物だってあるはずだ。
 せっかく王都の外に出たのだから羽を伸ばしてみたいとベルティーユは思っていたし、ディスも似たようなことを考えていたはずだ。
 これまでベルティーユが見たことがない光景を見せてやろう、と。

(でも、オリヴィエールが言うことだって一理あるわ。わたしはこれから、ダンビエール公爵夫人としての評判を気にしていかなければならんだもの。最初から評判が下がるようなことをしてはいけないわ)

 どんなさいなことでも揚げ足を取ろうとする者がいるのが宮廷だ。
 いずれ国王の愛妾になるためにも、言動には充分注意していかなければならない。
 この宿の主人や女将だって、新しいダンビエール公爵夫人がどのような貴婦人であるかを見定めようとしているのだ。
 彼らはいずれ、今後訪れる客たちに語るだろう。

――先日、ダンビエール公爵夫妻がうちにお泊まりになったんだけどさ。奥様は若くて軽はずみなところがある世間知らずな方だったよ。

 庶民の口から出た評価とはいえ、それが客たちに伝わり、その客が貴族であれば、ベルティーユが若く世間知らずで浅慮な公爵夫人であるという先入観を持たせることになる。

(わたしはもっと周囲の目を気にして行動しなければいけないのだったわ)

 女将が淹れてくれた紅茶を褒めながら、ベルティーユは反省した。

「そういえば、ディス。なにか隠していない?」
「隠す? なにをですか」
「あなたたちが強盗対策の護衛として雇われたってことよ」

 たかだか強盗相手に傭兵団の精鋭が二人も派遣されることに、ベルティーユは納得していなかった。

「ちまたの強盗がどんな凶暴かも知れたものではありませんし、万が一奥様になにかあっては閣下に顔向けができないので、強盗団が束になってかかってきても撃退できるように俺たちが選ばれただけですよ」
「そう?」
「そうです。あぁ、ほら、公爵様がこちらを見ていらっしゃいますよ」

 ディスに言われてベルティーユが視線を前方に向けると、オリヴィエールは宿の主人と会話をしつつもこちらの様子を気にしている素振りが見られた。

(護衛と雑談をしているのも、公爵夫人にあるまじき行為って言いたいのかしら)

 旅行がこんなに窮屈なものだったとは、とベルティーユは長椅子の背もたれに身体を預けながら、溜め息を噛み殺した。
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