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第七章 王太后の計画
1 公爵夫人の困惑
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ダンビエール公爵夫妻が王都へ戻ったのは、エテルネルで冬の社交シーズンが始まる直前の初冬のことだった。
王都では、王侯貴族や富裕層による冬の社交が年明けまで繰り広げられる。
この冬は特に、ロザージュ王国王女が到着したということで、春の婚礼まで様々な催しが王宮で開かれる予定だ。
王都では貴婦人たちが次々と夜会服や装飾品を新調し、国王の御成婚景気に沸いている。
秋に結婚したばかりのダンビエール公爵夫人は夜会服を二着と訪問着を一着だけ仕立屋に注文した。
嫁入り前にたくさんの服を新調していたが、新婚旅行で領地まで行きしばらく夫婦水入らずの日々を過ごしていたこともあり、まだ袖を通していない服がたくさんあったからだ。
王都に綿毛のような初雪が降ったその日、ダンビエール公爵夫人ベルティーユは侯爵家の紋章が付いた馬車で王宮へと向かった。侍女をひとりだけ連れているが、夫である公爵は同行していない。
これまでベルティーユが王宮を訪問する際は伯父である宰相に呼ばれてのことだったが、今回は王太后から私的な茶会に招かれたためだった。
茶会ということで栗色の訪問着に銀色の外套を羽織り、未婚の頃よりも落ち着いた雰囲気になるよう意識した装いだ。髪は既婚者らしく半分結い上げ、金の櫛のみを挿している。
「王太后様は、奥様にどのような御用向きなのでしょうか」
馬車の中でベルティーユの隣に座った侍女のミネットは、久しぶりに訪れる王宮の尖塔の屋根が窓から見えただけで声を弾ませた。
王都育ちのミネットは、ダンビエール公爵領での暮らしが退屈だったらしい。
貴族として国王主催の園遊会や舞踏会を欠席するわけにはいかないため渋々王都に戻ったダンビエール公爵とは正反対で、ミネットは王都に戻ることをことのほか喜んだ。
「さぁねぇ。わたしもあまり王太后様とお話をしたことはないのだけど」
アントワーヌ五世の生母である王太后は、夫亡き後、王宮でひっそりと暮らしている。
ほとんど公務には参加せず、お気に入りの貴婦人たち数名の取り巻きだけを自分の館に呼び、浮き世離れした悠々自適な生活を送っているはずだ。
ベルティーユが宰相である伯父から聞いた話では、政務にほとんど興味を示さず、アントワーヌ五世や宰相の統治に口を挟むことはまずないという。
かつてベルティーユが王妃候補の筆頭だった頃、なんどか王太后はベルティーユを自分の館に招待したが、「陛下にふさわしい妃になるよう、あなたが日々研鑽を積むことを期待します」と労われただけだった。
そのときのベルティーユの王太后に対する印象は、「あまり自分を主張しない穏やかな方」というものだった。
王太后が義母になった場合、良好な関係を築けるだろうとベルティーユは考えていた。
ただ、ロザージュ王国王女が王宮に入ったことで、少々宮殿内の事情が変わってきたらしい。
宰相から届いた秘密裏の手紙には、王宮の習慣に馴染まないロザージュ王国王女に対して王太后が次第に不満を募らせているようだ、と書かれていた。
「王太后様は、わたしを王女様の教育係にするおつもりかしら」
両国間で起きた戦争の和睦のためにラルジュ王国へ嫁ぐことになったロザージュ王国王女は、元々自国内の貴族と婚約していたという。そのため、他国の王妃になるための教育は受けておらず、ラルジュ王国の様々な習慣に疎い。付け焼き刃の王妃教育は本当に付け焼き刃で、あとはラルジュ王国で教育してくれと言わんばかりの状態で送り出されていた。
王女がロザージュ王国から連れてきた侍女たちは、王女が祖国で暮らしていた頃と同じ日常を過ごせるようにと世話を焼くため、王宮の女官たちと軋轢を生んでいるという話もある。
遊学のため一時的に滞在しているだけならそれでも良いかもしれないが、王女はまもなくラルジュ王国王妃となる身だ。ラルジュ王国の王妃としての自覚を持ち、王宮の習慣に従って暮らすようできる限り努力をしなければならない。
それを怠り、国王や王太后から非難されるようなことになれば、国同士の問題にも発展しかねないことを王女は意識すべきなのだ。
王女がどのような性格かはベルティーユには伯父から知らせはきていないが、王女自身は王妃になるという自覚が乏しいのかもしれない。
ならば、元王妃候補だった自分が王女の教育係として王宮のあらゆるしきたりを伝授するのが役目だろう。
「奥様は陛下の愛妾におなりになるのでは?」
「――そういえば、そんな世迷い言を吐いていたこともあったわね」
ミネットの指摘に苦笑いを浮かべる。
「世迷い言ではありませんわ。奥様は陛下の愛妾にふさわしい方ですわ」
忠実な侍女であるミネットは、ベルティーユの手を掴み、小声ながらもはっきりと告げた。
「ロザージュ王国の王女様がどのような方かは存じませんが、奥様を陛下の愛妾に、可能であれば王妃にと望む声があることはあたしも知っています」
「ミネット……」
ベルティーユもそういう噂があることはアレクサンドリーネから一度だけ聞いたことがある。
新婚旅行の際に雇ったトマ傭兵団の傭兵たちは、王都に戻った後も雇い続けている。
傭兵団からはディスが派遣されることもあれば他の傭兵がやってくることもあるが、ダンビエール公爵家では護衛が必要な状態が続いている。
新婚旅行の最中、そして領地から戻ってくる道中は特に問題は起きなかったが、トマ傭兵団の傭兵たちが周囲に目を光らせてくれていた効果だろう。よほど腕に覚えがある野盗でも、トマ傭兵団を相手に大立ち回りを演じるような命知らずはいない。
ディスは「給金が高くて楽な依頼」と言ってダンビエール公爵家の仕事を喜んで引き受けてくれているし、他に重要な仕事がないのは国内の治安が落ち着いている証拠だ。
国内に内乱の気配はなく、国境でも他国との小競り合いは起きていない。
アントワーヌ五世とロザージュ王国王女との婚礼を前に、王侯貴族たちが心配しているのは王女がいつになれば王宮での暮らしに馴染むかということくらいだ。
同時に宮廷では、王女が頑なな態度をとり続ければ、いずれ国王は王妃の代わりとなる愛妾をそばに置くことになるだろう、という考えが広がりつつあった。
もしくは、ロザージュ王国王女を帰国させ、自国の貴族令嬢を王妃に、と。
一番の愛妾候補は、もちろんダンビエール公爵夫人だ。
「奥様は御結婚後、ますますお美しくおなりです。陛下が奥様をおそばにお召しになるのも、時間の問題ですわ」
「――ミネット、口を慎みなさい」
侍女の手を振り払い、ベルティーユは低い声で叱りつけた。
いくら馬車の車輪の音がうるさいとはいえ、御者台には御者と従僕、それに馬車の後ろには護衛の傭兵がいるのだ。彼らが馬車の中から聞こえた話を吹聴するとは思いたくないが、あらゆる場所に人の耳があることは常に意識していなければならない。
「陛下の御心中を下々の者が想像して話をするなど、無礼極まりないことです」
「………………申し訳ございません」
まさか主人から叱責されると思わなかったのか、ミネットは驚いた様子で目を見開いたが、すぐに謝罪した。
「この話題は、どのような場所であれ、二度としてはいけません」
「でも――――」
「けっして話題にしてはいけません。ことは、ダンビエール公爵家の評判にもかかわります」
きつい調子でベルティーユが告げると、ミネットは俯きながら「……はい」と渋々頷いた。
「わたしがかつて陛下の愛妾になりたいと口走ったことを、余所で話したことはないですよね?」
ミネットは使用人仲間や出入りの商人と世間話はしても、雇い主のことをべらべら喋るような者ではないと信じていた。
ただ、彼女が主人に対する期待が並外れて大きいことも、ベルティーユは知っている。
ミネットは幼い頃から仕えているベルティーユが王宮に入り、地位を得ることを願っていた。そのとき、ミネット自身が侍女として王宮に入れるかどうかは別だが、自分が長く仕えた主人が王宮の女主人として国内外に名を馳せることが使用人の冥利だと考えているのだ。
「はい。そのようなことは、けっして喋っていません」
俯いたままミネットは答える。
彼女が顔を上げなかったことが、ベルティーユは気になった。
(この様子だと、わたしが口走ったことは言わなかったとしても、ミネットが自身の希望としてわたしが陛下の愛妾になるべきだと言った可能性はありそうね)
ベルティーユは心の中で溜め息をつく。
それがどのような場所であったにせよ、一度侍女の口からそのような話が出れば、口伝えで話に尾鰭が付いて「ダンビエール公爵夫人は陛下の愛妾になりたがっている」と言う噂がどこから流れ出すとも限らない。
(もしかして、新婚激甘夫婦計画は成功していないのかしら?)
ダンビエール公爵夫妻は新婚ながらすでに仲が冷えているという噂が流れていれば、世間は愛妾の件も信じるかも知れない。夫婦仲が円満であることが周知の事実であれば、世間は愛妾の件を笑ってすませるだろう。
(でも、アレクサンドリーネはわたしたちのことを、これ以上とないくらいの新婚激甘夫婦だと太鼓判を押してくれたわよねぇ)
アレクサンドリーネには「ダンビエール公爵の愛妻家ぶりというかあなたに対する溺愛ぶりは常軌を逸し……いえ、見ているだけで砂糖を吐きそうなくらいよ」とよくわからない感想をくれたものだ。
夫とは朝、昼、夜と最低毎日三回は口づけをするし、朝だろうが昼だろうが身体を求められれば用事がない限りはできるだけ応じるようにはしている。一度行為が始まるとしばらくは離してくれないので、外出や来客の予定があれば「夜になってから」と言うのだが、そうするとその夜は夕食もそこそこに寝室へ連れ込まれてしまうのだ。
(そういえばディスは、もうオリヴィエールの命を狙う者はいないとは言ってくれていないわよね。ということは、わたしたちが新婚激甘夫婦であるかどうかと、陛下と王女様の婚礼を阻止してわたしを陛下の妃にしようと目論む一派が存在することは別問題なのかしら)
だとしても、国王とロザージュ王国王女の結婚が円滑におこなわれるような妙案がすぐには思い浮かばない。
(わたしが陛下の愛妾になった方が、事が穏便に進むというのであれば愛妾になるのだけど)
王の愛妾になれるのは既婚者だけだから、ベルティーユが愛妾になれば王妃になる機会は失われる。
そうすればオリヴィエールが命を狙われることも減るはずだ。
どこの国でも、王に愛妾がいることは珍しくない。未婚の王に愛妾がいてもおかしくはない。王にとって愛妾という存在は、王妃とはまったく別の役割を担っているのだ。
(でも、本当にそれで良いのかしら? この国の将来にかかわる問題だから、選択を間違えるわけにはいかないわ)
果たしてどの選択肢が正しいのかわからず、ベルティーユは王宮までの道中、煩悶し続けた。
王都では、王侯貴族や富裕層による冬の社交が年明けまで繰り広げられる。
この冬は特に、ロザージュ王国王女が到着したということで、春の婚礼まで様々な催しが王宮で開かれる予定だ。
王都では貴婦人たちが次々と夜会服や装飾品を新調し、国王の御成婚景気に沸いている。
秋に結婚したばかりのダンビエール公爵夫人は夜会服を二着と訪問着を一着だけ仕立屋に注文した。
嫁入り前にたくさんの服を新調していたが、新婚旅行で領地まで行きしばらく夫婦水入らずの日々を過ごしていたこともあり、まだ袖を通していない服がたくさんあったからだ。
王都に綿毛のような初雪が降ったその日、ダンビエール公爵夫人ベルティーユは侯爵家の紋章が付いた馬車で王宮へと向かった。侍女をひとりだけ連れているが、夫である公爵は同行していない。
これまでベルティーユが王宮を訪問する際は伯父である宰相に呼ばれてのことだったが、今回は王太后から私的な茶会に招かれたためだった。
茶会ということで栗色の訪問着に銀色の外套を羽織り、未婚の頃よりも落ち着いた雰囲気になるよう意識した装いだ。髪は既婚者らしく半分結い上げ、金の櫛のみを挿している。
「王太后様は、奥様にどのような御用向きなのでしょうか」
馬車の中でベルティーユの隣に座った侍女のミネットは、久しぶりに訪れる王宮の尖塔の屋根が窓から見えただけで声を弾ませた。
王都育ちのミネットは、ダンビエール公爵領での暮らしが退屈だったらしい。
貴族として国王主催の園遊会や舞踏会を欠席するわけにはいかないため渋々王都に戻ったダンビエール公爵とは正反対で、ミネットは王都に戻ることをことのほか喜んだ。
「さぁねぇ。わたしもあまり王太后様とお話をしたことはないのだけど」
アントワーヌ五世の生母である王太后は、夫亡き後、王宮でひっそりと暮らしている。
ほとんど公務には参加せず、お気に入りの貴婦人たち数名の取り巻きだけを自分の館に呼び、浮き世離れした悠々自適な生活を送っているはずだ。
ベルティーユが宰相である伯父から聞いた話では、政務にほとんど興味を示さず、アントワーヌ五世や宰相の統治に口を挟むことはまずないという。
かつてベルティーユが王妃候補の筆頭だった頃、なんどか王太后はベルティーユを自分の館に招待したが、「陛下にふさわしい妃になるよう、あなたが日々研鑽を積むことを期待します」と労われただけだった。
そのときのベルティーユの王太后に対する印象は、「あまり自分を主張しない穏やかな方」というものだった。
王太后が義母になった場合、良好な関係を築けるだろうとベルティーユは考えていた。
ただ、ロザージュ王国王女が王宮に入ったことで、少々宮殿内の事情が変わってきたらしい。
宰相から届いた秘密裏の手紙には、王宮の習慣に馴染まないロザージュ王国王女に対して王太后が次第に不満を募らせているようだ、と書かれていた。
「王太后様は、わたしを王女様の教育係にするおつもりかしら」
両国間で起きた戦争の和睦のためにラルジュ王国へ嫁ぐことになったロザージュ王国王女は、元々自国内の貴族と婚約していたという。そのため、他国の王妃になるための教育は受けておらず、ラルジュ王国の様々な習慣に疎い。付け焼き刃の王妃教育は本当に付け焼き刃で、あとはラルジュ王国で教育してくれと言わんばかりの状態で送り出されていた。
王女がロザージュ王国から連れてきた侍女たちは、王女が祖国で暮らしていた頃と同じ日常を過ごせるようにと世話を焼くため、王宮の女官たちと軋轢を生んでいるという話もある。
遊学のため一時的に滞在しているだけならそれでも良いかもしれないが、王女はまもなくラルジュ王国王妃となる身だ。ラルジュ王国の王妃としての自覚を持ち、王宮の習慣に従って暮らすようできる限り努力をしなければならない。
それを怠り、国王や王太后から非難されるようなことになれば、国同士の問題にも発展しかねないことを王女は意識すべきなのだ。
王女がどのような性格かはベルティーユには伯父から知らせはきていないが、王女自身は王妃になるという自覚が乏しいのかもしれない。
ならば、元王妃候補だった自分が王女の教育係として王宮のあらゆるしきたりを伝授するのが役目だろう。
「奥様は陛下の愛妾におなりになるのでは?」
「――そういえば、そんな世迷い言を吐いていたこともあったわね」
ミネットの指摘に苦笑いを浮かべる。
「世迷い言ではありませんわ。奥様は陛下の愛妾にふさわしい方ですわ」
忠実な侍女であるミネットは、ベルティーユの手を掴み、小声ながらもはっきりと告げた。
「ロザージュ王国の王女様がどのような方かは存じませんが、奥様を陛下の愛妾に、可能であれば王妃にと望む声があることはあたしも知っています」
「ミネット……」
ベルティーユもそういう噂があることはアレクサンドリーネから一度だけ聞いたことがある。
新婚旅行の際に雇ったトマ傭兵団の傭兵たちは、王都に戻った後も雇い続けている。
傭兵団からはディスが派遣されることもあれば他の傭兵がやってくることもあるが、ダンビエール公爵家では護衛が必要な状態が続いている。
新婚旅行の最中、そして領地から戻ってくる道中は特に問題は起きなかったが、トマ傭兵団の傭兵たちが周囲に目を光らせてくれていた効果だろう。よほど腕に覚えがある野盗でも、トマ傭兵団を相手に大立ち回りを演じるような命知らずはいない。
ディスは「給金が高くて楽な依頼」と言ってダンビエール公爵家の仕事を喜んで引き受けてくれているし、他に重要な仕事がないのは国内の治安が落ち着いている証拠だ。
国内に内乱の気配はなく、国境でも他国との小競り合いは起きていない。
アントワーヌ五世とロザージュ王国王女との婚礼を前に、王侯貴族たちが心配しているのは王女がいつになれば王宮での暮らしに馴染むかということくらいだ。
同時に宮廷では、王女が頑なな態度をとり続ければ、いずれ国王は王妃の代わりとなる愛妾をそばに置くことになるだろう、という考えが広がりつつあった。
もしくは、ロザージュ王国王女を帰国させ、自国の貴族令嬢を王妃に、と。
一番の愛妾候補は、もちろんダンビエール公爵夫人だ。
「奥様は御結婚後、ますますお美しくおなりです。陛下が奥様をおそばにお召しになるのも、時間の問題ですわ」
「――ミネット、口を慎みなさい」
侍女の手を振り払い、ベルティーユは低い声で叱りつけた。
いくら馬車の車輪の音がうるさいとはいえ、御者台には御者と従僕、それに馬車の後ろには護衛の傭兵がいるのだ。彼らが馬車の中から聞こえた話を吹聴するとは思いたくないが、あらゆる場所に人の耳があることは常に意識していなければならない。
「陛下の御心中を下々の者が想像して話をするなど、無礼極まりないことです」
「………………申し訳ございません」
まさか主人から叱責されると思わなかったのか、ミネットは驚いた様子で目を見開いたが、すぐに謝罪した。
「この話題は、どのような場所であれ、二度としてはいけません」
「でも――――」
「けっして話題にしてはいけません。ことは、ダンビエール公爵家の評判にもかかわります」
きつい調子でベルティーユが告げると、ミネットは俯きながら「……はい」と渋々頷いた。
「わたしがかつて陛下の愛妾になりたいと口走ったことを、余所で話したことはないですよね?」
ミネットは使用人仲間や出入りの商人と世間話はしても、雇い主のことをべらべら喋るような者ではないと信じていた。
ただ、彼女が主人に対する期待が並外れて大きいことも、ベルティーユは知っている。
ミネットは幼い頃から仕えているベルティーユが王宮に入り、地位を得ることを願っていた。そのとき、ミネット自身が侍女として王宮に入れるかどうかは別だが、自分が長く仕えた主人が王宮の女主人として国内外に名を馳せることが使用人の冥利だと考えているのだ。
「はい。そのようなことは、けっして喋っていません」
俯いたままミネットは答える。
彼女が顔を上げなかったことが、ベルティーユは気になった。
(この様子だと、わたしが口走ったことは言わなかったとしても、ミネットが自身の希望としてわたしが陛下の愛妾になるべきだと言った可能性はありそうね)
ベルティーユは心の中で溜め息をつく。
それがどのような場所であったにせよ、一度侍女の口からそのような話が出れば、口伝えで話に尾鰭が付いて「ダンビエール公爵夫人は陛下の愛妾になりたがっている」と言う噂がどこから流れ出すとも限らない。
(もしかして、新婚激甘夫婦計画は成功していないのかしら?)
ダンビエール公爵夫妻は新婚ながらすでに仲が冷えているという噂が流れていれば、世間は愛妾の件も信じるかも知れない。夫婦仲が円満であることが周知の事実であれば、世間は愛妾の件を笑ってすませるだろう。
(でも、アレクサンドリーネはわたしたちのことを、これ以上とないくらいの新婚激甘夫婦だと太鼓判を押してくれたわよねぇ)
アレクサンドリーネには「ダンビエール公爵の愛妻家ぶりというかあなたに対する溺愛ぶりは常軌を逸し……いえ、見ているだけで砂糖を吐きそうなくらいよ」とよくわからない感想をくれたものだ。
夫とは朝、昼、夜と最低毎日三回は口づけをするし、朝だろうが昼だろうが身体を求められれば用事がない限りはできるだけ応じるようにはしている。一度行為が始まるとしばらくは離してくれないので、外出や来客の予定があれば「夜になってから」と言うのだが、そうするとその夜は夕食もそこそこに寝室へ連れ込まれてしまうのだ。
(そういえばディスは、もうオリヴィエールの命を狙う者はいないとは言ってくれていないわよね。ということは、わたしたちが新婚激甘夫婦であるかどうかと、陛下と王女様の婚礼を阻止してわたしを陛下の妃にしようと目論む一派が存在することは別問題なのかしら)
だとしても、国王とロザージュ王国王女の結婚が円滑におこなわれるような妙案がすぐには思い浮かばない。
(わたしが陛下の愛妾になった方が、事が穏便に進むというのであれば愛妾になるのだけど)
王の愛妾になれるのは既婚者だけだから、ベルティーユが愛妾になれば王妃になる機会は失われる。
そうすればオリヴィエールが命を狙われることも減るはずだ。
どこの国でも、王に愛妾がいることは珍しくない。未婚の王に愛妾がいてもおかしくはない。王にとって愛妾という存在は、王妃とはまったく別の役割を担っているのだ。
(でも、本当にそれで良いのかしら? この国の将来にかかわる問題だから、選択を間違えるわけにはいかないわ)
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