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第七章 王太后の計画

3 宰相の推測

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 王太后の館から出た途端、王宮の本棟へと続く回廊を吹き抜ける風の冷たさにベルティーユは身を震わせた。
 柱だけで壁がない回廊には、雪が降り込んできている。
 夕刻の空は鉛色に曇り、風に吹かれて雪が斜めに舞っていた。
 女官の案内で本棟へと続く扉の前まで歩いて来たベルティーユは、そこに濃紺のお仕着せ姿の青年が立っていることに気付いた。

「ダンビエール公爵夫人、お久しぶりでございます」

 よくようのない低い声で挨拶をする彼は、宰相の次官のひとりだ。
 その冷徹ぶりは宰相以上だと噂されており、宰相の右腕として名高い。

「お久しぶりね」

 ベルティーユが待ち構えていた次官の姿に眉を顰めると、女官は次官をあからさまに警戒した。
 女官は、王太后がベルティーユを王宮に呼び寄せたことを宰相が気付いたことに驚いたらしい。
 王宮内どころか王都内のさまざまな出来事が宰相の耳に逐一報告されているというのに、王太后がダンビエール公爵夫人を招いたことを宰相が見過ごすはずがない。

「ここからは、私が案内いたします」

 次官は淡々と女官に告げ、暗に王太后のところへ報告しに行くよう指示した。
 王太后に対して、宰相が目を光らせているのだと忠告する意味もあるようだ。
 女官はわずかにひるんだが、黙ってお辞儀をすると王太后の館へと戻っていった。

「こちらへどうぞ。閣下がお待ちです」

 次官は本棟の通用口の扉を開けると、ベルティーユを中に入れた。
 薄暗い廊下にはろうそくあかりが点々と続いているが、人影はない。
 この廊下のすぐ隣には隠し廊下があり、使用人たちは隠し廊下を利用することになっている。
 通用口の奥の廊下は、ベルティーユのような貴族が利用するための物であり、通用口とはいっても緑色のじゅうたんが敷き詰められ、しょくだいも飾りがついた物で、石壁も整えられていた。
 ただ、隙間風が入ってこないとはいえ、石壁の廊下は寒い。

「くしゅんっ」

 寒さに身を震わせたベルティーユが小さくくしゃみをすると、次官は思い出したように手に持っていた肩掛けを素っ気なく差し出した。

「――こちらをお使いください」

 国王よりもまずはこの次官に対して、貴婦人に対する振る舞いを教えるべきではないかとベルティーユは思ったが、ひとまず礼を言って肩掛けを羽織る。
 うさぎの毛で織った肩掛けはとにかく暖かい。
 さきほどまでの緊張が肩掛けのぬくもりでほどけるのをベルティーユは感じた。

 しばらくの間、迷路のように続く廊下を無言のままふたりで歩き続け、階段を上がり、さらにすこし広い廊下を歩き、せん階段をぐるぐると上がり、自分がどこにいるのかわからなくなった辺りでようやく宰相の執務室に辿り着いた。
 この王宮はなんどか増築されているため、本棟と翼棟が複雑に繋がっているのだ。

「久しぶりだな、ベルティーユ」

 宰相の執務室に入ると、執務机の向こう側で書類に埋もれていた宰相である伯父が顔を上げた。
 焦げ茶色の服に身を包み、あごひげを蓄え、すこし神経質な細面の顔を和ませた宰相は、身内を前にして多少私人らしい表情になった。

「お久しぶりです、伯父様」

 ベルティーユは伯父に駆け寄ると、腕を伸ばしてほうようを交わした。

「王太后様がお前を呼び寄せたと聞いて、帰りに寄ってもらおうと待ち伏せをさせておいたのだよ。こうでもしなければ、なかなか顔を合わせる機会がなくなってしまったからな」
「そうでしたの。わたしも伯父様の元気そうなお顔を見られて、嬉しいですわ」

 ベルティーユが微笑むと、宰相は苦笑いを浮かべる。

「元気そうに見えるかね? 毎日、様々な難題で頭を悩ませているところだぞ」
「難題がなくなったら、伯父様は退屈して引退なさるのではなくて?」

 軽口でベルティーユが答えると、宰相は楽しげに笑い声を上げた。

「確かに。難題は儂の好物だ。ところで、目下の難題について、どうやら王太后様が首を突っ込もうとされているらしいので、お前に少々手伝ってもらおうと思ったところだ」
「まぁ、伯父様がわざわざわたしを呼び出すほどの難題、ですか?」
「そう、難題だ。どんな権力を使っても解決が困難な問題だよ。儂が難題と呼ぶこの問題は、王太后様もお気に掛けていらっしゃる問題ではあるようだがね。王太后様はお前に、どのような相談をされたのかな?」
「それは、伯父様のご推察どおりだと思いますわ」

 ベルティーユがはぐらかすと、宰相は溜め息をついた。

「王太后様は、お前を陛下のおそばに置こうと画策されているようだ」
「そのようですね」
「お前は了承したのかね」
「王太后様に頼まれて断れるわけがないではないですか」
「ダンビエール公爵には?」
「帰ってから話します」
「――なるほど」

 顎髭をしごきながら、宰相はうなった。

「いずれこうなることは、あるていど想像はしていた。儂だけではなく――お前も、だろう?」
「まぁ! それは、伯父様の買い被りです」
「陛下がファンティーヌ王女との婚約が決まった途端、お前はダンビエール公爵との結婚を決めたではないか。あの行動は、世間からは一番の王妃候補が自棄やけになったと言われていたこともあったようだが」
「いつまでも陛下に未練を持っていると世間から見られれば、陛下に多大なご迷惑をおかけすると思ったから結婚したんです。ダンビエール公爵は兄の親友ですし、わたしの気持ちを理解した上で求婚してくれた方ですわ」
「お前の気持ちを知った上で、とにかく結婚してしまえば妻を口説き落とすのに時間がかかってもなんとかなるだろうと考えて求婚したのだと思うが」
「は?」
「……いや、なんでもない。たわごとだ」

 げふん、と宰相は咳払いをして誤魔化した。

「王太后様は、いずれお前を陛下の公式愛妾にするつもりだろう。ファンティーヌ王女が王妃となり、いずれ王子を授かれば、王太后の影響力は弱くなる。王太后様は自分の代弁者として、お前を利用するつもりだ。最初はどのような口実でお前を陛下におそばに上げるにせよ、陛下とファンティーヌ王女の夫婦仲がよほどむつまじくなければ、陛下のお気持ちが王妃からそれていくことは想像にかたくない」
「わたしはそのような大それたことは考えていませんわ」
「――そうか? 可能性として、まったく考えたことがないと言うのか?」
「伯父様はなにをおっしゃりたいのですか」

 言葉遊びをするために、宰相が自分を執務室へ招いたわけではないことをベルティーユは察していた。
 宰相は姪と無意味な雑談をするほど暇ではないのだ。

「陛下のおそばに上がる気があるのであれば、ダンビエール公爵には黙っておくことだ」
「なにを、ですか」
「王太后様から打診されたことのすべてを。公爵は、お前が陛下のおそばに上がることを喜ばないだろう」
「――そうでしょうか」

(でも、オリヴィエールは求婚する際には愛妾になるために結婚すれば良いって言ってくれたわ)

 自分の考えを受け入れてくれたと言っても結婚する前のことではあるし、あれから国王の愛妾になる件については話題にならなくなっていたので、いまの彼の考えはわからない。
 とはいえ、もし妻が国王の愛妾になれば夫の出世がほぼ確実となるのだ。
 ダンビエール公爵家は充分な地位と財産があるので、これ以上の栄華は必要ないと言えば必要ないかもしれないが、どんな名家でも凋落はある。ダンビエール公爵家が未来永劫繁栄するためには、常にその時代の王におもねる必要が多少はあるはずだ。

「伯父様はどうお考えなのですか?」
「お前が愛妾になることか? もちろん、賛成だ。公式愛妾という存在は王妃に対しても権力乱用の抑止力があり、刺激にもなる。ファンティーヌ王女は安穏と王妃の座にいられないことを思い知るだろうし、お前は陛下にとって良い相談役になれるはずだ。だが、ダンビエール公爵は先代からして、儂の政敵だった」
「そういえば、そうでしたね」
「常に儂の案に反対意見を唱え、儂の邪魔をし、結果的にロザージュ王国との戦争の引き金となった。先代のダンビエール公爵が病死したときは神が儂を助けてくれたと祈りを捧げ教会に幾ばくかの寄進をしたほどだ。さらに、戦争の和睦としてロザージュ王国の王女と陛下の政略結婚を提案してきたのはお前の夫だ。最近は妻を溺愛しているだけの新婚惚けのように言われているが、ひとたび気に入らないことが起きたら真っ先に儂の邪魔をしてくるだろう」

(オリヴィエールって、けっこう、いえ、かなり伯父様に嫌われている……?)

 勢い良くまくし立てる宰相の口振りにベルティーユが言葉を失っていると、それまで部屋の隅で書類の片付けをしていた次官がぼそりと呟いた。

「閣下と似たもの同士ですね――いえ、なにも申しておりません」

 宰相が目を吊り上げても冷静さを失わない辺り、次官の鋼鉄の心臓説は正しいようだ。
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