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第九章 宮廷の陰謀と公爵夫人の計謀
2 反宰相派の会合 -クレマンティ伯爵-
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ラルジュ王国の宮廷内には、主に三つの派閥が存在する。
宰相を中心とする現政権で活躍する貴族と取り巻きの一派、現政権に反発する貴族と取り巻きの一派、そしてどちらにも属さない中立の立場ながら宮廷内でそれなりの地位と発言力を持つ一派だ。
宰相を伯父に持つクレマンティ伯爵シルヴェストル・ガスタルディは宰相派だと思われがちだが、アントワーヌ五世妃候補だった妹がダンビエール公爵と結婚して以来、反宰相派の同世代の貴族に声をかけられる機会が増えた。友人のダンビエール公爵の祖父が反宰相派の主要人物だったことと、カルサティ侯爵家から王妃が出なかったことで宰相に反感を持つようになったに違いないと周囲から見られるようになったせいだろう。
シルヴェストルはカルサティ侯爵家の嫡男だが、政治にはあまり興味がない。とはいえ、宮廷と距離を置くには難しい立場にあった。
反宰相派の会合に招かれたときは、「私は図書室にしか興味がないよ」と断るので、いつの間にかシルヴェストルが参加する会合は各邸宅の図書室で開かれるようになった。
ボシェ伯爵邸の図書室は、狭いながらも蔵書が充実している。
伯爵は「埃と黴の温床」と呼ぶ図書室だが、シルヴェストルは古い紙の匂いが満ちた薄暗い部屋を気に入っている。
そんなわけで、ボシェ伯爵邸の会合には常に顔を出すようにしていた。
ボシェ伯爵たちが政治について激論を交わしている横で、書棚の本をじっくりと品定めしたり、本を読んだりしているだけだが、反宰相派の貴族たちにとっては「クレマンティ伯爵が自分たちの会合に参加している」ということが一番重要らしい。
「君が参加するとは珍しいな」
ボシェ伯爵たち数名が王宮内の最新の情報を交換している横でいつもどおり本を読んでいたシルヴェストルは、遅れてやってきたダンビエール公爵の姿に目を丸くした。
祖父の後を継いでダンビエール公爵となったオリヴィエールは、結婚して以降ほとんど政治的な集まりには顔を出していなかった。元々政治活動には関心が薄かった彼だが、結婚後は家庭にしか興味が向いていなかった。
「あぁ」
不機嫌を隠さず生返事をしたオリヴィエールは、ボシェ伯爵たちとは離れたシルヴェストルの隣の椅子に座った。
「王太后様の動きが気に入らないから、動きを封じる材料がないかと思って情報を集めているところかい?」
本に栞を挟みながらシルヴェストルが尋ねると、オリヴィエールは黙ったまま口元だけゆがめた。
「宰相も王太后様には手を焼いているようだよ。ようやくロザージュ王国から王女様がやってきたっていうのに、王太后様は陛下と王女様の仲を引っかき回そうとしてあれこれ画策しているからね。ロザージュ王国の心証も悪くなる一方だから、宰相はロザージュ王国に駐在する大使を入れ替えるそうだ」
「この時期に?」
通常、人事異動は雪解け後の春か、農作物の収穫が一段落した秋だ。
雪深い冬に諸外国へ派遣している大使を入れ替えることはまずない。派遣している大使が死亡したり病気などで職務継続が困難になれば異動もあるが、いまは諸外国の大使が帰国を願い出ているという話はない。
「この時期に。まだ公表はしていないけれど、ガスタルディ卿が派遣されることになるらしい」
「ガスタルディ卿――君の従兄弟か」
「そう。宰相の長男で、子供の頃からなにかって言うと『本当は自分がカルサティ侯爵位を継ぐはずだった』って私に言うから、伯父が君の母親と結婚していなかったら君は生まれていないんだから、君はカルサティ侯爵位には縁はないんだよと言い返したら喧嘩になってボコボコにされたんだけど。あんな彼に大使なんて務まるのかは不明だし不安だけど、宰相は自分の息子をロザージュ王国の大使として派遣することで、人質を送ったってことにするつもりらしい。それに関連して、私に外交官としてロザージュ王国へ行ってくれないかという打診が宰相からあったから、即座に断っておいた。ルイの尻拭いなんて真っ平御免だよ! 喧嘩っ早くて、すぐに手が出るし、行儀は悪いし、性格にも難がありすぎる!」
従兄弟に対する鬱憤がたまっていたシルヴェストルは、それからしばらく従兄弟に関する愚痴をひとしきり喋った。
オリヴィエールはときおり「ふうん」と相槌を打つだけで、ほとんど顔を合わせたことがないガスタルディ卿に関しては特に私見は述べなかった。
「ま、そういうことだから、君を推薦しておいた」
「――は?」
「正確にはダンビエール公爵夫妻を外交官としてロザージュ王国に派遣したらどうか、と提案した。ルイはベルを自分の実の妹のように可愛がっていたからね。ベルなら彼を大使としてうまく操れると思うよ」
「僕に、ロザージュ王国へ行け、と?」
「君たちがこの国を出て行けば、王太后様だってすこしはおとなしくなるだろうよ」
「なぜ僕たちが国を出なければならないんだ?」
顔を顰めたオリヴィエールは低い声で抗議する。
「妹は外国に行ったことがないから喜ぶと思うけどな。それに、ベルにはなにか仕事をしてもらった方がいい。これまで十年以上お妃教育を受けてきたんだから、ガスタルディ卿よりずっと政治に通じているよ。君は外交官としてベルの三歩後ろを歩いて、大使がなにか失言をしたら首根っこ捕まえて口を封じるのが主な仕事になるだろうね。ベルならガスタルディ卿の尻拭いだってうまくやれるさ」
まだ憮然としたままのオリヴィエールに対して、シルヴェストルは続けた。
「いいかい? いくら君がベルとの夫婦水入らずの生活を望もうと、ダンビエール公爵夫人ともなれば、ベルが家でおとなしく主婦をしていられるわけがない。遅かれ早かれ、王宮に呼ばれて王妃と王太后の派閥争いに巻き込まれることになる。女性たちの覇権争いは私たち男よりも陰湿で恐ろしいよ? 下手をすると、私たちだって巻き込まれてしまう。過去には、そうやって没落の憂き目に遭った貴族だっているんだ。君は、自分が本気を出せば争いを回避できると考えているんだろうけれど、女性は君の思惑通りに動いてくれることなんてほとんどないんだよ?」
「それは、承知している」
苦々しげにオリヴィエールは頷いた。
結婚した現在も、妻が王の愛妾の座を狙い続けていることに関して悩んでいることを指しているのだろう。
「あと、ラクロワ伯爵がファヤルド王国の大使になるらしい」
「ラクロワ伯爵? 夫人がベルの親友の?」
「そう。ラクロワ伯爵は王太后派でね。近頃、言動がいろいろと目につくってことで、穏便な国外追放だよ。夫婦で仲良くファヤルド王国の砂漠を堪能してこいってことらしい」
「――意外だな」
「そうかな? ベルなら驚かないと思うけど。ラクロワ伯爵は笑顔の裏に野心が見え隠れしている男でね。妻にアレクサンドリーネを娶ったのは、彼女がベルと繋がりがあったからだよ。ベルはゆくゆくは王妃になるはずだったから、彼にしてみれば妻が王妃の親友であることを利用して王宮内での地位を上げていく計画だったんだよ。結局、ベルは王妃になれなかったから、今度は王太后に賭けることにしたようだけどね。伯爵は博打に弱いってアレクサンドリーネから聞いたことがあるけれど、確かに彼は賭け事に向いていないようだね。ま、身ぐるみ剥がされる前になんとか宮廷内の覇権争いという賭けからは離脱することになりそうだから、没落だけは免れそうだけどね」
再び本を開くと、シルヴェストルは言うべきことは言ったとばかりに読書に戻った。
宰相を中心とする現政権で活躍する貴族と取り巻きの一派、現政権に反発する貴族と取り巻きの一派、そしてどちらにも属さない中立の立場ながら宮廷内でそれなりの地位と発言力を持つ一派だ。
宰相を伯父に持つクレマンティ伯爵シルヴェストル・ガスタルディは宰相派だと思われがちだが、アントワーヌ五世妃候補だった妹がダンビエール公爵と結婚して以来、反宰相派の同世代の貴族に声をかけられる機会が増えた。友人のダンビエール公爵の祖父が反宰相派の主要人物だったことと、カルサティ侯爵家から王妃が出なかったことで宰相に反感を持つようになったに違いないと周囲から見られるようになったせいだろう。
シルヴェストルはカルサティ侯爵家の嫡男だが、政治にはあまり興味がない。とはいえ、宮廷と距離を置くには難しい立場にあった。
反宰相派の会合に招かれたときは、「私は図書室にしか興味がないよ」と断るので、いつの間にかシルヴェストルが参加する会合は各邸宅の図書室で開かれるようになった。
ボシェ伯爵邸の図書室は、狭いながらも蔵書が充実している。
伯爵は「埃と黴の温床」と呼ぶ図書室だが、シルヴェストルは古い紙の匂いが満ちた薄暗い部屋を気に入っている。
そんなわけで、ボシェ伯爵邸の会合には常に顔を出すようにしていた。
ボシェ伯爵たちが政治について激論を交わしている横で、書棚の本をじっくりと品定めしたり、本を読んだりしているだけだが、反宰相派の貴族たちにとっては「クレマンティ伯爵が自分たちの会合に参加している」ということが一番重要らしい。
「君が参加するとは珍しいな」
ボシェ伯爵たち数名が王宮内の最新の情報を交換している横でいつもどおり本を読んでいたシルヴェストルは、遅れてやってきたダンビエール公爵の姿に目を丸くした。
祖父の後を継いでダンビエール公爵となったオリヴィエールは、結婚して以降ほとんど政治的な集まりには顔を出していなかった。元々政治活動には関心が薄かった彼だが、結婚後は家庭にしか興味が向いていなかった。
「あぁ」
不機嫌を隠さず生返事をしたオリヴィエールは、ボシェ伯爵たちとは離れたシルヴェストルの隣の椅子に座った。
「王太后様の動きが気に入らないから、動きを封じる材料がないかと思って情報を集めているところかい?」
本に栞を挟みながらシルヴェストルが尋ねると、オリヴィエールは黙ったまま口元だけゆがめた。
「宰相も王太后様には手を焼いているようだよ。ようやくロザージュ王国から王女様がやってきたっていうのに、王太后様は陛下と王女様の仲を引っかき回そうとしてあれこれ画策しているからね。ロザージュ王国の心証も悪くなる一方だから、宰相はロザージュ王国に駐在する大使を入れ替えるそうだ」
「この時期に?」
通常、人事異動は雪解け後の春か、農作物の収穫が一段落した秋だ。
雪深い冬に諸外国へ派遣している大使を入れ替えることはまずない。派遣している大使が死亡したり病気などで職務継続が困難になれば異動もあるが、いまは諸外国の大使が帰国を願い出ているという話はない。
「この時期に。まだ公表はしていないけれど、ガスタルディ卿が派遣されることになるらしい」
「ガスタルディ卿――君の従兄弟か」
「そう。宰相の長男で、子供の頃からなにかって言うと『本当は自分がカルサティ侯爵位を継ぐはずだった』って私に言うから、伯父が君の母親と結婚していなかったら君は生まれていないんだから、君はカルサティ侯爵位には縁はないんだよと言い返したら喧嘩になってボコボコにされたんだけど。あんな彼に大使なんて務まるのかは不明だし不安だけど、宰相は自分の息子をロザージュ王国の大使として派遣することで、人質を送ったってことにするつもりらしい。それに関連して、私に外交官としてロザージュ王国へ行ってくれないかという打診が宰相からあったから、即座に断っておいた。ルイの尻拭いなんて真っ平御免だよ! 喧嘩っ早くて、すぐに手が出るし、行儀は悪いし、性格にも難がありすぎる!」
従兄弟に対する鬱憤がたまっていたシルヴェストルは、それからしばらく従兄弟に関する愚痴をひとしきり喋った。
オリヴィエールはときおり「ふうん」と相槌を打つだけで、ほとんど顔を合わせたことがないガスタルディ卿に関しては特に私見は述べなかった。
「ま、そういうことだから、君を推薦しておいた」
「――は?」
「正確にはダンビエール公爵夫妻を外交官としてロザージュ王国に派遣したらどうか、と提案した。ルイはベルを自分の実の妹のように可愛がっていたからね。ベルなら彼を大使としてうまく操れると思うよ」
「僕に、ロザージュ王国へ行け、と?」
「君たちがこの国を出て行けば、王太后様だってすこしはおとなしくなるだろうよ」
「なぜ僕たちが国を出なければならないんだ?」
顔を顰めたオリヴィエールは低い声で抗議する。
「妹は外国に行ったことがないから喜ぶと思うけどな。それに、ベルにはなにか仕事をしてもらった方がいい。これまで十年以上お妃教育を受けてきたんだから、ガスタルディ卿よりずっと政治に通じているよ。君は外交官としてベルの三歩後ろを歩いて、大使がなにか失言をしたら首根っこ捕まえて口を封じるのが主な仕事になるだろうね。ベルならガスタルディ卿の尻拭いだってうまくやれるさ」
まだ憮然としたままのオリヴィエールに対して、シルヴェストルは続けた。
「いいかい? いくら君がベルとの夫婦水入らずの生活を望もうと、ダンビエール公爵夫人ともなれば、ベルが家でおとなしく主婦をしていられるわけがない。遅かれ早かれ、王宮に呼ばれて王妃と王太后の派閥争いに巻き込まれることになる。女性たちの覇権争いは私たち男よりも陰湿で恐ろしいよ? 下手をすると、私たちだって巻き込まれてしまう。過去には、そうやって没落の憂き目に遭った貴族だっているんだ。君は、自分が本気を出せば争いを回避できると考えているんだろうけれど、女性は君の思惑通りに動いてくれることなんてほとんどないんだよ?」
「それは、承知している」
苦々しげにオリヴィエールは頷いた。
結婚した現在も、妻が王の愛妾の座を狙い続けていることに関して悩んでいることを指しているのだろう。
「あと、ラクロワ伯爵がファヤルド王国の大使になるらしい」
「ラクロワ伯爵? 夫人がベルの親友の?」
「そう。ラクロワ伯爵は王太后派でね。近頃、言動がいろいろと目につくってことで、穏便な国外追放だよ。夫婦で仲良くファヤルド王国の砂漠を堪能してこいってことらしい」
「――意外だな」
「そうかな? ベルなら驚かないと思うけど。ラクロワ伯爵は笑顔の裏に野心が見え隠れしている男でね。妻にアレクサンドリーネを娶ったのは、彼女がベルと繋がりがあったからだよ。ベルはゆくゆくは王妃になるはずだったから、彼にしてみれば妻が王妃の親友であることを利用して王宮内での地位を上げていく計画だったんだよ。結局、ベルは王妃になれなかったから、今度は王太后に賭けることにしたようだけどね。伯爵は博打に弱いってアレクサンドリーネから聞いたことがあるけれど、確かに彼は賭け事に向いていないようだね。ま、身ぐるみ剥がされる前になんとか宮廷内の覇権争いという賭けからは離脱することになりそうだから、没落だけは免れそうだけどね」
再び本を開くと、シルヴェストルは言うべきことは言ったとばかりに読書に戻った。
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