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しおりを挟むツーツェイは十六年前にこの屋敷、シュナウザー伯爵家の使用人として拾われた。
母に手を引かれて連れて行かれたシュナウザー伯爵邸の門の前。そのときツーツェイはまだ四歳だった。
『好きにお使いください』
そんな薄汚いメモ帳を母から渡されて、真冬の雪が降る下で屋敷の前にツーツェイは捨てられた。幼いツーツェイは文字が読めなかったので意味が理解できず、そのメモ帳を掲げてただ屋敷の門の前で白い息を吐いて棒立ちするしかなかった。
たまたま屋敷の執事がそれを見つけて、追い払おうとしてきたけれど、ツーツェイは幼いながら『ここでも捨てられたら本当に死ぬ。離れてなるものか』と直感で悟った。是が非でも動かない意志を示せば、執事もさすがに折れてシュナウザー伯爵に相談し屋敷に入れてくれたのだった。
だがすぐにまたツーツェイは追い払われそうになった。なぜなら……。
『こいつは声を出せないのか?』
口ひげを生やした立派な体格をしたシュナウザー伯爵が返事を返さないツーツェイを見下ろす。
そうツーツェイは一言も言葉を発しなかったのだ。
気味悪がられまた屋敷を追い出されそうになったがツーツェイはひたすら頭を下げて床にしがみついた。
そんなとき同い年くらいのシュナウザー伯爵の娘であるミーシャが『この子、私の好きなようにしてもいい?』と気まぐれに発言したことによって置いてもらえることになった。
(お嬢様には感謝してもしきれないわ)
ツーツェイは思う。小汚く狭い使用人部屋で濡れてしまったメイド服を乾かそうと脱げば、身体中に痣や傷がついている。それはミーシャからの殴る蹴るの暴行のあとだった。
ミーシャがツーツェイを屋敷に置いた理由。それは怒りの捌け口とする目的だった。
(お嬢様の護身術もなかなかに上達してきたわね)
だけれどツーツェイは物凄く鈍感だった。
ふむふむと感心しつつ、軟膏を棚から取り出して手馴れた手つきで痣や傷に塗る。
声が出せないことから他人に気味悪がられ、長い間コミニュケーションをとることがなかった。そのことにより嫌味など、建前と本音を聞き分けることが出来なかったのだ。
初めて殴られたときも『護身術の練習に付き合って欲しいの』と言われて、満面の笑顔で頷いて頬を差し出した。案の定その後、思いっきり拳で殴られた。
(痛いけれど仕方ないわ。お嬢様のためだもの)
痛んで熱を持つ腕を押さえたあと、部屋に置いてある蝋燭が立つ燭台を持つ。
蝋燭に顔を近づけて、息を吐いて口を開いた。
――――「燃えろ」
そうツーツェイが小さくか細い声で呟けば、蝋燭の先の芯から勢いよく赤い火が灯る。
水仕事で冷えた手をその蝋燭に近づけて温まりながら、また口を固く閉ざした。
(これだけは知られてはいけない。気持ちが悪いから)
母との微かに残る記憶で『人前で声を出してはなりません』ときつく言われていた。この能力が原因だろうことは幼いツーツェイでも気がついていた。
ツーツェイが願いながら声を出せばその通りのことが起こる。
屋敷に拾われる前、あまりに幼かったため理解が追いつかず、気まぐれに土の地面を這う蟻の行列に「止まれ」と呟けば、一瞬で動かなくなった。幼いながら恐怖に震えていれば、それを見た母に声を出すなと恐ろしい形相で怒られられた。
――――つまりツーツェイが『死ね』と言えば簡単に人が死ぬのだ。
そう気づいてからは声を出すことも出したいと思うこともなくなった。いくら気味悪がられようが、目の前の怒りに従ってしまえばさらに最悪の事態しか待っていないことを悟っていた。
(屋敷に置いてもらえているだけ私は幸せ)
そっと温かく揺れる蝋燭の灯火をぼんやりと眺めて微笑んだ。いくら身体が痛くても、痣や傷だらけでも、ツーツェイは幸せだった。
その前向きさだけが彼女の救いだった――……。
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