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『ツェイ、ごめんなさい』


(あぁ、またこの人だ)


『ツェイ、いつか必ずあなたを……』

 金木犀の花のような橙色の綺麗な瞳から落ちる涙が頬にあたって冷たい。


(あなたは誰……あなたは……)


 ――――はっ!

 ふと目が覚めれば、天井に手を伸ばしている。頬が冷たくなっているのに気がついて、自らの頬に触れれば涙の雫が落ちている。

(なんで……私は泣いてるのかしら)

 なぜか悲しい気持ちも溢れてきて、そわそわと気持ちが悪い。いまは何時だろうかと時計を見れば、既に明け方近くだった。
 だけれど横にテオドールはおらず、そっと横のシーツに触れるが温かみはなく戻ってきた気配はなかった。

(まだテオドール様は仕事が終わってないのかな)

 高位魔術師というのは本当に忙しいのだと心配になってくる。いくら白魔術で疲れはとれても、休まらなければ身体に悪いだろうに。

(なにか温かい飲み物を持っていって差し上げよう)

 それに夜は少し冷えるのでショールを持って部屋を出る。テオドールが屋敷で仕事をするときは自らの部屋か書斎にいる。明け方近くの薄暗く静かな屋敷の厨房で温かいハーブティーを入れて手に持つ。

 書斎の扉の前に立ってノックをしようとしたとき、中から魔唱が聞こえる。なぜここで?と首を傾ければ、扉の隙間から漏れている眩い光。なにかあったのかと慌てて扉を開けると……。

「ッ!?」

 光の粒が部屋中に散らばっている。その中で祈るように手を合わせて魔唱を唱えるテオドールがいる。手から強く放たれる光はあまりの眩さに目を瞑ってしまいたくなるほどで、それは綺麗というより異常だと感じてしまう光の強さだった。

「……ツェイ?」

 扉の前で立ち尽くすツーツェイにはっと気がついたテオドールが魔唱を唱えるのをやめる。

(顔色が……)

 元々、肌の色素が薄い人だった。けれどいまはさらに白く、青白くなっている。今にも倒れそうだ。魔術を使いすぎていることが原因なのは魔術に疎いツーツェイでもすぐにわかった。

 ――――カチャン!!

 持っていたカップを床に落とせば、柔らかいカーペットの上にカップが転がりハーブティーが広がる。茶色のシミを広げていくが、そんなことはどうでもよかった。
 ぎゅっと放たれる光を抑えるようにツーツェイがテオドールの手を両手で掴む。だけれど放たれる強い光は収まらない。


「ツェイ……」

(だめ、これ以上は術を使っては……)

「ツェイ、離して」

(だめ、離さない!)

 強く見つめれば、瞳が揺れる。


「もっと綺麗にしないと……」

 テオドールがか細く小さな声で呟く。その意味が分からず顔をあげると力なく微笑まれて、ゆっくりと口が開かれる。

「いくら白魔術で元に戻そうとしても汚いままだから」

 その悲しそうに笑うテオドールに胸が締め付けられる。

(どうして、そんなことを……)

 テオドールがなぜそう言うのかが分からない。けれどツーツェイにとって彼は自身を汚いと罵るものではなかった。


 ――――あなたは美しく綺麗な人


 そう伝えたいけれど、伝える手段を部屋に置いてきてしまった。なにか使えそうな紙とペンを探していると……。

「ツェイ、君は綺麗だ」

 空いた手がツーツェイの髪飾りに触れてから、その指先が頬に伸びてくる。だけれどその指先は頬に触れるわずか手前で止まってしまう。

「僕が触れていい子じゃないんだ。僕は汚いから」

 伸びた手がぎゅっと握られて離れていく。

(なぜ……)


 悲しく辛い。そんな気持ちが痛いくらいに伝わってきて胸が締め付けられて苦しい。それにテオドールがなぜそんなことを言うのかわからず、瞳から涙が溢れてくる。


(汚くない。テオドール様は汚くない)

 涙を流しながら心の中でそう何度も伝える。けれどその想いは心の中で止まってしまっている。テオドールが悲しそうに笑うのは変わらないから。

「ッ、ぁ……」

(声を出せれば……)


 彼に伝えることができるだろうか? 「あなたは汚くない」と。


 それに悲しみに包まれる身体を塗り替えるように、大きく抱きしめて……。


 ――――『私の愛おしい人』


 そう何度も耳元で伝えたい。


(あぁ、私はこの人を……)


 ――――愛してしまった。


 なにかに囚われる優しく残酷な人。愛してはいけなかった。

 この人を悩ませるすべてのものを排除してしまいたいと心の奥底にある暗く重い欲望が湧き上がってくる。
 この声があればその欲望を満たしてしまうことができる。それを誰も望まないのを知っているのに、その衝動が抑えられない。


(だから人を愛したくなかったのに……)


 瞳から涙が零れて床に落ちていく。瞳から溢れて止まらないその涙にテオドールが困らせてしまったと思ったのか悲しそうに眉を歪めている。

 けれど、その涙の理由は声も出せない自分に彼の暗い重い悲しみを消すことはできないという切ない悔しさからくるものだった。
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