47 / 56
30.棗side②
しおりを挟む「もう無理なのかもしれない」
なにも成果のない資料を机に置いて、椅子の背もたれにもたれかかりながら瞳を閉じる。
気がつけば莉衣を探してもう十五年も経っていた。なぜこんなにもみつからないのか。
(もしかすると、すでに一家で……)
暗い樹海のなかならいまも見つからずに……そんな嫌な予感がよぎって瞳を開く。
「はぁ、疲れているな……」
資料のファイルを閉じて棚に戻す。古びた誓約書を開いて文字を指先でなぞる。冷たく皺のよった汚れた紙に心も冷えていくように感じる。そんな諦めかけていたとき……。
「がははっ! それで俺は言ってやったんだ、お前は使えないやつだって!」
「やぁん、さすが井口様だわ。格好いいわぁ」
仕事終わりに気分転換がてらバーに行けば、なにやら奥の席が騒がしい。
「久世様、申し訳ありません。もう少し様子を見てからお声かけしようと思いますので……」
「うん、いいよ。俺のことは気にしないで」
カウンターの席につけば、マスターが申し訳なさそうに頭を下げてくる。場に釣り合わない奴がいるなとは思ったが関わりたくもないと無視をしていた。
が、気がつけば別の女性がその男に無理やり肩を掴まれている。
(ここをどこだと思ってるんだ。今日は外れだな)
その光景を横目に見て、はぁと深いため息をつく。早めにバーを出て部屋で休むかと、残りのお酒が入ったグラスを手にしたとき……。
「やめてくださいっ!」
グラスに触れた指先がビクリと揺れる。
聞き覚えのある声。
よく通る芯の通ったような声。その声に触れていたグラスから手を離して、また女性の方を見る。
「っ!」
そこには黒髪の丸い瞳の女性。やつれてはいるが昔の面影がある。
────莉衣だ。
直感ですぐにわかる。長い間、彼女を求めてきたからか。
(嘘だろ……なぜこんなところに)
ずっとずっと探してきた莉衣。その莉衣がいま俺の目の前にいる。
「莉衣です。二ノ宮莉衣」
すぐに男から救い出して、半ば強引に彼女を飲みに誘えば、戸惑いつつも名前を伝えてくる。
(やはり、苗字を変えていたのか)
どこかの親族の戸籍上の養子にでも入って名前を変えたのだろう。母方では気づかれてしまうと、龍ヶ岳元会長の手筈で巧妙に隠されてきたのだと感じる。
現実なのかわからない状況だと莉衣は瞳を輝かせる。自分も本当に現実なのかと頬をつねりたくなるのを堪えていた。
(ここで俺がなつめだと伝えるべきか。いや思い出してくれるのを待つか)
莉衣は俺がなつめであるとは気がつかなかった。俺を女だと思い込んでいたせいか、それか昔より容姿が日本人寄りに変わっていたのも原因かもしれない。
どちらにしろ、もう少し距離を詰めてから話そうか。莉衣を見つけられただけで充分だ。それにこれからはたくさん時間がある。
(焦るな……ゆっくりと……)
水の雫がグラスをゆっくりと伝っていくのを見つめながら、焦る自分を落ち着かせる。連絡先だけでも交換して……それから……。
「久世さんって……綺麗……ですね」
どう莉衣と関わっていこうと思いを巡らせていれば、お酒が入って蕩けた瞳で見つめてくる。
────『綺麗』
大人になるにつれて他人から言われることが増えた賛美。聞き慣れていたその言葉。けれども莉衣に言われると胸が苦しいくらい締め付けられる。
昔と変わらない莉衣の温かい言葉。
(早く俺のものにしたい)
抑えていた自分が決壊するように溢れてくる。そこからは手を回して、莉衣が逃げられないように無理やり囲いこんだ。残された空欄の婚姻届を前に、昔も今も取り繕うとしても莉衣を前にしては無駄だと自分自身でも苦笑してしまった。
やっと莉衣とずっと一緒に……これから……。
ずっと二人で────……。
「久世くん……久世くん……」
遠くから声が聞こえる。はっと意識が戻れば、会議室に集まった何人かの弁護士が座りながら不思議そうにこちらを見ている。
(しまった。会議中だった)
「すみません。少し別のことを考えていました」
手元にある資料に急いで目を通す。自分の受け持つ案件の資料が並べられている。
『私たちへの当てつけね』
あの人に弁護士になった理由を指摘されたとき、否定ができなかった。それはその通りだったから。
(あの人は俺のくだらない醜い理由を蔑んでいるんだ)
『あなたに依頼する人が可哀想だわ。辞めてしまいなさい』
脳内に重く響く忠告。いくら仕事を詰め込んでも頭からこびりついて離れない。
「その案件については……今後……」
急に言葉につまる。なにも考えられない。
────重い。苦しい。
目の前に置かれた資料に書かれた自分の担当の案件。それが重く肩にのしかかってくるように感じる。
「久世くん」
ポンっと肩を叩かれて顔をあげると西園寺先生が微笑みながら見下ろしている。
「休みなさい。こんな状態で会議に参加しようとしても無理だ」
「でも……」
「集中できないのに参加されてもこちらが困るだけだ。頭のいい君ならわかるだろう?」
「っ……すみません」
優しい微笑みは変わらないが、瞳だけが鋭いものへ変わる。おそらく俺がなにに悩んでいるのかわかっているようだ。
(この人には隠し事はできないな)
莉衣と俺の関係も気がついているのだろう。あの人が面接もなしに莉衣を受け入れたのも、すべてを把握していたからに違いない。
「はぁ……」
ビルの屋外の庭でベンチに座る。昼休憩も終わった時間で、夏の暑さも増してきた時期だからか人はまばらだった。
(暑い……日差しが眩しい)
燦々と照らされて天を向く庭に埋められた向日葵を木の影から見つめる。
あれ以来、莉衣が何度も俺に話しかけてこようとしているのはわかっている。それを時間がないからと拒否し続けている。そのたびに悲しそうに莉衣の瞳が俯くのは見ていて辛かった。
『いたいっ、やめっ……やめてっ……』
けれど思い浮かぶのはあの日、泣きながら抵抗する莉衣を無理やりにしてしまった記憶。身体中につけた赤い痕。夏場だというのに詰襟のインナーを着る彼女が目に入る度にそれを思い出して悔いることしかできない。
(謝りたい。そうは思うけれど……)
莉衣は懸命なあの人のことを庇おうとしている。なぜ俺よりあの人を庇うのか。それがなによりも腹立たしく、自分を抑えることができなくなる。
また醜い自分を晒してしまったら?唯一の存在である莉衣にも拒否されたら?
『棗ちゃん、嫌い』
瞳を閉じれば、そう冷たく言い放つ莉衣の想像で暑さからではない冷や汗が流れる。そうなったら……。
(一生、外に出られないようにして……)
────誰にも目が届かないところに……。
脳裏に浮かぶ檻に閉じ込められた莉衣の姿。あの日と同じ悲しそうに歪む瞳から涙が流れる。
はっと瞳を開くと地面にポタリと落ちる汗。
醜い曲がった欲望。
俺は莉衣だけだから、莉衣にも俺だけでいいという欲望。
『棗ちゃん、どうして、どうしてわかってくれないの』
そう泣きながら訴えかける莉衣を思い出して苦しくなる。彼女の言いたいことがわからない。
「わからないよ、莉衣。誰も俺のことは見ていない」
すぐに母を忘れた父も、俺を蔑むように見下ろすあの人も、異質だと虐めてきた生徒たちも……。
「俺は莉衣だけいればいいのに……」
夏の気温で暑いはずなのに身体が、心が冷えていく。燦々と輝く向日葵から目線を逸らせば、また額から流れる汗が地面に落ちていった。
4
あなたにおすすめの小説
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です!
https://estar.jp/novels/26513389
【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて
アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。
二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――
女の子がほとんど産まれない国に転生しました。
さくらもち
恋愛
何番煎じかのお話です。
100人に3~5人しか産まれない女の子は大切にされ一妻多夫制の国に産まれたのは前世の記憶、日本で亭主関白の旦那に嫁いびりと男尊女卑な家に嫁いで挙句栄養失調と過労死と言う令和になってもまだ昭和な家庭!でありえない最後を迎えてしまった清水 理央、享年44歳
そんな彼女を不憫に思った女神が自身の世界の女性至上主義な国に転生させたお話。
当面は2日に1話更新予定!
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる