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歩・二十六「幽」
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アミーの遺体から、それは立ち上がった。
血の気を失った肌、瞳の焦点がどこにも合っていない顔。
その身体が冷たく地面に横たわるのと同時に、黒い“それ”がゆっくりと立ち昇った。
まるで煙。
風もないのに揺れ、周囲の空間が歪むような感覚をまといながら、ひとつの「人の形」へと収束していく。
それは、アミーの影だった。
……いや、正確には、そう見える“何か”。
「……見えるのか」
俺が小さく呟くと、すぐ隣にいたエノクが首を傾げた。
「何が?」
「……いや、なんでもない」
そう、見えていない。エノクには。カサレアにも。
アミーの死体に寄り添うように立つ“それ”は、俺にしか見えていなかった。
それは俺をまっすぐ見つめていた。目などないはずなのに、そう感じた。
言葉もない。ただ、存在そのものが訴えかけてくる。
俺の頭の奥に、声が響いた。
『……ホド伯爵の命令……バラキエル……闇ギルドの刃……』
鼓膜ではなく、思考の中に流れ込んでくるような不思議な感覚。
その声は間違いなくアミーのものだった。
皮肉っぽさも怒りもなく、ただ事実を並べている冷たい語り口。
『……私を殺したのは、あの男……。バラキエル……。エンカイの血を狙ってる……。ホドは……次を狙ってる……あなた……』
俺の視線に呼応するように、影が静かに、すうっと俺の方へ近づいてきた。
思わず身を固くするが、恐怖ではなかった。
──これが、声。
ついに、“聞こえた”。
これまで何度も見てきた。
死者のそばに立つ、奇妙な“影”。
墓地で、戦場で、誰にも話せないその現象を、俺はずっと心の隅に追いやっていた。
だが今、このとき、確かに“語りかけられている”。
影が何を伝えようとしているのか、はっきりと分かる。
これは、単なる幻ではない。
……俺の中で、何かが目覚めている。
エノクが背後で遺体を確認し、カサレアが手を合わせていた。
ふたりには何も聞こえていない。何も見えていない。
けれど、俺には影が、ずっとそこに在ると分かる。
声は続いた。
『……“彼”が、動く……。私たちは……始まりに過ぎない……』
「“彼”? 誰のことだ……」
思わず声に出した。
「ん? 誰かいたか?」
エノクが眉をひそめてこちらを見る。
「いや、ただ……気になってな」
影はもう答えなかった。
ただ、最後に俺を見つめて、ふっと形を崩していった。
煙のように、砂のように、空気の中へと溶けていく。
俺の目の前から、“存在”が消える。
それと同時に、胸の奥に確かな実感が残った。
これは――力だ。
忌むべきか、救いかはわからない。
だが、確実に俺は「向こう側」とつながり始めている。
「アラン」
エノクの声が現実に引き戻す。
「遺体は処理する。名前はアミー、だったな」
「ああ」
「……どこかのギルドの末端だったとしても、最後に名を残したなら、人間らしい何かはあった」
俺は返事をしない。
彼女の死に意味があったかどうか、それを判断する資格は俺にはない。
けれど、最後に残してくれた情報は――
「バラキエルは、ホド伯爵の手の者らしい」
「は?」
「さっきの……いや、“感覚”でわかった。闇ギルドを通して、直接指示が出てたらしい」
「……また見えたのか」
「いや、今度は──声が聞こえた」
エノクは目を丸くしたが、それ以上は突っ込まなかった。
「……それが、どういう意味を持つかはともかく。使える情報だ」
「……ああ」
俺はアミーの遺体を最後に見つめる。
その顔は、まるで何かを伝え切って満足したように……少しだけ、穏やかだった。
そして俺は自分の中に芽生えた感覚を、静かに受け入れていた。
影が見えること。
声が聞こえること。
それが、これからの戦いの中で何をもたらすのか。
まだわからない。
けれど、確かなことがひとつある。
──もう、後戻りはできない。
血の気を失った肌、瞳の焦点がどこにも合っていない顔。
その身体が冷たく地面に横たわるのと同時に、黒い“それ”がゆっくりと立ち昇った。
まるで煙。
風もないのに揺れ、周囲の空間が歪むような感覚をまといながら、ひとつの「人の形」へと収束していく。
それは、アミーの影だった。
……いや、正確には、そう見える“何か”。
「……見えるのか」
俺が小さく呟くと、すぐ隣にいたエノクが首を傾げた。
「何が?」
「……いや、なんでもない」
そう、見えていない。エノクには。カサレアにも。
アミーの死体に寄り添うように立つ“それ”は、俺にしか見えていなかった。
それは俺をまっすぐ見つめていた。目などないはずなのに、そう感じた。
言葉もない。ただ、存在そのものが訴えかけてくる。
俺の頭の奥に、声が響いた。
『……ホド伯爵の命令……バラキエル……闇ギルドの刃……』
鼓膜ではなく、思考の中に流れ込んでくるような不思議な感覚。
その声は間違いなくアミーのものだった。
皮肉っぽさも怒りもなく、ただ事実を並べている冷たい語り口。
『……私を殺したのは、あの男……。バラキエル……。エンカイの血を狙ってる……。ホドは……次を狙ってる……あなた……』
俺の視線に呼応するように、影が静かに、すうっと俺の方へ近づいてきた。
思わず身を固くするが、恐怖ではなかった。
──これが、声。
ついに、“聞こえた”。
これまで何度も見てきた。
死者のそばに立つ、奇妙な“影”。
墓地で、戦場で、誰にも話せないその現象を、俺はずっと心の隅に追いやっていた。
だが今、このとき、確かに“語りかけられている”。
影が何を伝えようとしているのか、はっきりと分かる。
これは、単なる幻ではない。
……俺の中で、何かが目覚めている。
エノクが背後で遺体を確認し、カサレアが手を合わせていた。
ふたりには何も聞こえていない。何も見えていない。
けれど、俺には影が、ずっとそこに在ると分かる。
声は続いた。
『……“彼”が、動く……。私たちは……始まりに過ぎない……』
「“彼”? 誰のことだ……」
思わず声に出した。
「ん? 誰かいたか?」
エノクが眉をひそめてこちらを見る。
「いや、ただ……気になってな」
影はもう答えなかった。
ただ、最後に俺を見つめて、ふっと形を崩していった。
煙のように、砂のように、空気の中へと溶けていく。
俺の目の前から、“存在”が消える。
それと同時に、胸の奥に確かな実感が残った。
これは――力だ。
忌むべきか、救いかはわからない。
だが、確実に俺は「向こう側」とつながり始めている。
「アラン」
エノクの声が現実に引き戻す。
「遺体は処理する。名前はアミー、だったな」
「ああ」
「……どこかのギルドの末端だったとしても、最後に名を残したなら、人間らしい何かはあった」
俺は返事をしない。
彼女の死に意味があったかどうか、それを判断する資格は俺にはない。
けれど、最後に残してくれた情報は――
「バラキエルは、ホド伯爵の手の者らしい」
「は?」
「さっきの……いや、“感覚”でわかった。闇ギルドを通して、直接指示が出てたらしい」
「……また見えたのか」
「いや、今度は──声が聞こえた」
エノクは目を丸くしたが、それ以上は突っ込まなかった。
「……それが、どういう意味を持つかはともかく。使える情報だ」
「……ああ」
俺はアミーの遺体を最後に見つめる。
その顔は、まるで何かを伝え切って満足したように……少しだけ、穏やかだった。
そして俺は自分の中に芽生えた感覚を、静かに受け入れていた。
影が見えること。
声が聞こえること。
それが、これからの戦いの中で何をもたらすのか。
まだわからない。
けれど、確かなことがひとつある。
──もう、後戻りはできない。
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