幽刀星

氷翠

文字の大きさ
26 / 55

歩・二十六「幽」

しおりを挟む
アミーの遺体から、それは立ち上がった。
血の気を失った肌、瞳の焦点がどこにも合っていない顔。
その身体が冷たく地面に横たわるのと同時に、黒い“それ”がゆっくりと立ち昇った。
まるで煙。
風もないのに揺れ、周囲の空間が歪むような感覚をまといながら、ひとつの「人の形」へと収束していく。
それは、アミーの影だった。

……いや、正確には、そう見える“何か”。

「……見えるのか」

俺が小さく呟くと、すぐ隣にいたエノクが首を傾げた。

「何が?」
「……いや、なんでもない」

そう、見えていない。エノクには。カサレアにも。
アミーの死体に寄り添うように立つ“それ”は、俺にしか見えていなかった。
それは俺をまっすぐ見つめていた。目などないはずなのに、そう感じた。
言葉もない。ただ、存在そのものが訴えかけてくる。
俺の頭の奥に、声が響いた。

『……ホド伯爵の命令……バラキエル……闇ギルドの刃……』

鼓膜ではなく、思考の中に流れ込んでくるような不思議な感覚。
その声は間違いなくアミーのものだった。
皮肉っぽさも怒りもなく、ただ事実を並べている冷たい語り口。

『……私を殺したのは、あの男……。バラキエル……。エンカイの血を狙ってる……。ホドは……次を狙ってる……あなた……』

俺の視線に呼応するように、影が静かに、すうっと俺の方へ近づいてきた。
思わず身を固くするが、恐怖ではなかった。

──これが、声。

ついに、“聞こえた”。
これまで何度も見てきた。
死者のそばに立つ、奇妙な“影”。
墓地で、戦場で、誰にも話せないその現象を、俺はずっと心の隅に追いやっていた。
だが今、このとき、確かに“語りかけられている”。
影が何を伝えようとしているのか、はっきりと分かる。
これは、単なる幻ではない。

……俺の中で、何かが目覚めている。

エノクが背後で遺体を確認し、カサレアが手を合わせていた。
ふたりには何も聞こえていない。何も見えていない。
けれど、俺には影が、ずっとそこに在ると分かる。
声は続いた。

『……“彼”が、動く……。私たちは……始まりに過ぎない……』
「“彼”? 誰のことだ……」

思わず声に出した。

「ん? 誰かいたか?」

エノクが眉をひそめてこちらを見る。

「いや、ただ……気になってな」

影はもう答えなかった。
ただ、最後に俺を見つめて、ふっと形を崩していった。
煙のように、砂のように、空気の中へと溶けていく。
俺の目の前から、“存在”が消える。
それと同時に、胸の奥に確かな実感が残った。
これは――力だ。
忌むべきか、救いかはわからない。
だが、確実に俺は「向こう側」とつながり始めている。

「アラン」

エノクの声が現実に引き戻す。

「遺体は処理する。名前はアミー、だったな」
「ああ」
「……どこかのギルドの末端だったとしても、最後に名を残したなら、人間らしい何かはあった」

俺は返事をしない。
彼女の死に意味があったかどうか、それを判断する資格は俺にはない。
けれど、最後に残してくれた情報は――

「バラキエルは、ホド伯爵の手の者らしい」
「は?」
「さっきの……いや、“感覚”でわかった。闇ギルドを通して、直接指示が出てたらしい」
「……また見えたのか」
「いや、今度は──声が聞こえた」

エノクは目を丸くしたが、それ以上は突っ込まなかった。

「……それが、どういう意味を持つかはともかく。使える情報だ」
「……ああ」

俺はアミーの遺体を最後に見つめる。
その顔は、まるで何かを伝え切って満足したように……少しだけ、穏やかだった。
そして俺は自分の中に芽生えた感覚を、静かに受け入れていた。
影が見えること。
声が聞こえること。
それが、これからの戦いの中で何をもたらすのか。
まだわからない。
けれど、確かなことがひとつある。

──もう、後戻りはできない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

嵌められたオッサン冒険者、Sランクモンスター(幼体)に懐かれたので、その力で復讐しようと思います

ゆさま
ファンタジー
ベテランオッサン冒険者が、美少女パーティーにオヤジ狩りの標的にされてしまった。生死の境をさまよっていたら、Sランクモンスターに懐かれて……。 懐いたモンスターが成長し、美女に擬態できるようになって迫ってきます。どうするオッサン!?

【もうダメだ!】貧乏大学生、絶望から一気に成り上がる〜もし、無属性でFランクの俺が異文明の魔道兵器を担いでダンジョンに潜ったら〜

KEINO
ファンタジー
貧乏大学生の探索者はダンジョンに潜り、全てを覆す。 ~あらすじ~ 世界に突如出現した異次元空間「ダンジョン」。 そこから産出される魔石は人類に無限のエネルギーをもたらし、アーティファクトは魔法の力を授けた。 しかし、その恩恵は平等ではなかった。 富と力はダンジョン利権を牛耳る企業と、「属性適性」という特別な才能を持つ「選ばれし者」たちに独占され、世界は新たな格差社会へと変貌していた。 そんな歪んだ現代日本で、及川翔は「無属性」という最底辺の烙印を押された青年だった。 彼には魔法の才能も、富も、未来への希望もない。 あるのは、両親を失った二年前のダンジョン氾濫で、原因不明の昏睡状態に陥った最愛の妹、美咲を救うという、ただ一つの願いだけだった。 妹を治すため、彼は最先端の「魔力生体学」を学ぶが、学費と治療費という冷酷な現実が彼の行く手を阻む。 希望と絶望の狭間で、翔に残された道はただ一つ――危険なダンジョンに潜り、泥臭く魔石を稼ぐこと。 英雄とも呼べるようなSランク探索者が脚光を浴びる華やかな世界とは裏腹に、翔は今日も一人、薄暗いダンジョンの奥へと足を踏み入れる。 これは、神に選ばれなかった「持たざる者」が、絶望的な現実にもがきながら、たった一つの希望を掴むために抗い、やがて世界の真実と向き合う、戦いの物語。 彼の「無属性」の力が、世界を揺るがす光となることを、彼はまだ知らない。 テンプレのダンジョン物を書いてみたくなり、手を出しました。 SF味が増してくるのは結構先の予定です。 スローペースですが、しっかりと世界観を楽しんでもらえる作品になってると思います。 良かったら読んでください!

生贄にされた少年。故郷を離れてゆるりと暮らす。

水定ゆう
ファンタジー
 村の仕来りで生贄にされた少年、天月・オボロナ。魔物が蠢く危険な森で死を覚悟した天月は、三人の異形の者たちに命を救われる。  異形の者たちの弟子となった天月は、数年後故郷を離れ、魔物による被害と魔法の溢れる町でバイトをしながら冒険者活動を続けていた。  そこで待ち受けるのは数々の陰謀や危険な魔物たち。  生贄として魔物に捧げられた少年は、冒険者活動を続けながらゆるりと日常を満喫する!  ※とりあえず、一時完結いたしました。  今後は、短編や別タイトルで続けていくと思いますが、今回はここまで。  その際は、ぜひ読んでいただけると幸いです。

転生したら名家の次男になりましたが、俺は汚点らしいです

NEXTブレイブ
ファンタジー
ただの人間、野上良は名家であるグリモワール家の次男に転生したが、その次男には名家の人間でありながら、汚点であるが、兄、姉、母からは愛されていたが、父親からは嫌われていた

蒼穹に溶けた約束 ―記憶を失った勇者と終焉の魔女―

usako
ファンタジー
目を覚ましたとき、名前も記憶も失っていた――。 少年は滅びゆく世界で、ただ一人の「魔女」に拾われる。 世界を救うと呼ばれた勇者は、なぜすべてを忘れたのか。 魔女が背負う「終焉の呪い」とは何か。 過去を思い出すたび、二人は哀しみの真実に近づいていく。 これは、滅びの運命に抗う二人の再生の物語。

悪徳貴族の、イメージ改善、慈善事業

ウィリアム・ブロック
ファンタジー
現代日本から死亡したラスティは貴族に転生する。しかしその世界では貴族はあんまり良く思われていなかった。なのでノブリス・オブリージュを徹底させて、貴族のイメージ改善を目指すのだった。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...